第37話


「笑っていいかって? そんなの当たり前だ。君たちほど笑顔がふさわしい人はいない」、言っている途中から彼の視線が後方へ動き、「って、とにかく今は逃げるぞっ」、リーススを馬に乗せ、自分も跨り、それからあたしに手を差し出した。


「お待たせ、レーニス」


 ライアンはあたしの手を掴んで一気に引き上げた。


「ライアン、無事だったのね」


「ああ、なんとかね。レーニス、よく耐えたな。本当は、もっと早くに助けられたらよかったんだけど」


 ライアンは申し訳なさそうに言った。あたしが薪で殴られるのを止めてくれていた兵士。あれはライアンだったらしい。


「事情はあとで説明するとして、急いでここを離れよう。君とレーニスの服も調達できればいいんだけど」


 あたしは綿の白いワンピースを着せられていた。でも、裾は焼け焦げているし、腹には穴が開いている。リーススに至っては素っ裸だ。


 後ろを振り返る。兵士たちはこちらを指さし、「あいつ、偽物だ!」「待て! 捕まえろ!」、と、ライアンが偽兵士だとばれて、大騒ぎになっている。でも、ライアンが手綱を握る馬は、颯爽と駆け出していた。


「ははっ、お揃いの服しか見てないから、そうなるんだ!」、言って、軽やかに指笛をならす。高い音が喧騒に染み込めたかは分からないけど、ライアンは続けて叫んだ。「コルロルー!! レーニスとリーススはもう大丈夫だ!! 引き上げるぞー!!」


「コルロル……生きてるの?」


 離れていく街の広場を振り返る。黒い翼がいっぱいに広がったところだった。離れて見ていると分かり易い。コルロルの周りから、さーーーと人が引いていく。


「よく無事だったね。あの時の爆発、すごかったのに」


「まあね。あれは爆発の直前に逃げられたから良かったけど……。ここに来るまでが、本当に大変だった。レーニスは夜には火あぶりだって言うし、兵隊は誰もかれも銃を持って八方ふさがりに迫ってくる。もう終わりかと思ったけど、土壇場でいい策を思いついた。俺は軍服を着ていた。だから俺がコルロルを仕留めたことにして、街まで運ばせたんだ」


「……すごい。コルロルはずっと、死んだふりをしていたの?」


「まあ実際に殴って気絶させてたんだけど。名づけて、『殺される前に死んじまえ作戦』」


「そのネーミングはどうかと思うわ」


「ははは、その冷めた態度も懐かしく感じるよ。さあ、いくぞ! 馬よ、駆けろ! どうだ? 俺ってなかなか、ヒーローみたいじゃないか?」


 馬は森の中を疾走する。満足そうな高揚した声を聞きながら、あたしはライアンの広い背にもたれ、猛スピードで過ぎていく木々を見ていた。


「……リースス」


 ライアンの腕の中にいるリーススへ呼びかける。『もう限界なのよ、1人は嫌なのよ』、そう言って、初めて泣いたリーススのことを思い出す。


「もう、怒ってない?」


 ライアンの脇から前を覗く。すぐに返事はなかった。代わりにライアンが喋った。


「そうか、二人は喧嘩別れしてから、久しぶりの再会なのか。それにしても、テディがリーススだったなんて、びっくりだよ。ちなみにテディを逃がしたのも俺だよ、一応言っとくけど」


「テディ? テディってなんなの?」、リーススは不思議そうに尋ねる。


「ぬいぐるみだったのよ。汚れたテディベアで、良く笑って、けっこう毒舌だった。さっきは、焼かれそうなあたしの元に来たわ。死ぬときは、一緒だって」


 炎を背負うテディベア。焦げる匂いと、落ち着いた笑顔のアンバランスさを思い出す。年齢不詳なあの声で、テディは言った。『死ぬときは、一緒だよ』


「死ぬときは一緒ですって? ぬいぐるみになったあたしが、そう言ったの?」


「……そうだけど」


 リーススはおかしそうに、声を出して笑った。


「ぬいぐるみになっても、私は私ね」、彼女は晴れやかな顔で、空を見上げる。「もう怒ってないわ。なんだかとっても、気分がいいの」




  ▲

  ▲

  △




「まずいな」、馬で駆け初めてころなく、ライアンは手短に後ろを振り返った。「このままじゃ追いつかれる」


 大量の騎馬が、木々の間に見えている。まるで森を揺らすような地響きが、近づいてきていた。


「くっそ、こっちは3人乗ってるからな。もう暗くて視界も悪いし、コルロルも来てない。賭けだったけど、やっぱりあの数相手に、逃げられる体じゃなかったんだ」


 コルロルの燃える翼を思い出す。黒羽は翼から離れ、炎と共に舞っていた。


「どうするのライアン? 引き返す?」、リーススがたずねる。


「いや、今引き返せば俺たちも捕まる。君たちだけでも、安全な場所まで……でも、それまでコルロルが持つかどうか……」


 苦渋の決断を迫られたように、ライアンは苦々しい声を出す。ライアンは苦しそうだったから、代わりあたしが答えを教えた。


「このまま突っ走って逃げるしかない。間近でコルロルを見てたから分かるけど、あれはもう助からない」


「レーニス! なんてことを言うんだ!」


「ライアン、ずいぶんコルロルと仲良くなったのね。あなたのコルロルへの友情が、コルロルを助けられるかもしれないという希望的観測を膨らませてる。その期待が、判断能力を鈍らせているわ。現実問題、コルロルは満身創痍で飛べる状態じゃなかったし、あたしたちは騎馬に追われている。3人も乗せた馬は、へばるのも早いはず。追いつかれるのは時間の問題だし、あたしたちは今、他のことを心配している余裕はないはずよ」


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