第34話


 コルロルは縛り付けられていた縄を引きちぎり、翼をいっぱいに広げると、ぐるりと辺りを見回し、あたしを見つけたところでピタリと止まった。


 街人は堰を切ったように逃げ出し、兵士はコルロルに向けて銃を構える。


 撃てーー!!、号令一下、何十ものライフルが、一斉に火を噴く。銃弾の雨を、まるで風のように浴びながら、コルロルはまっすぐにあたしを見ていた。


「レーニス……なんてことだ……」


 驚きと悲しみに歪められた顔。やつはその顔を手で覆った。立ち尽くすコルロルの体に、おびただしい数の銃弾が埋まっていく。翼や触覚は火に焼かれている。


 そんな攻撃は、関心の外のようだ。今のコルロルは、なにも感じていないように見えた。やがて顔をあげると、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


「僕は言った。人は殺さないと……」、誰に聞かせるでもない、一人ごとのような呟き。「人を殺さないと決めたのは、それが正しいと思ったから……善いことだと思ったから。でも……本当か? それは本当に、貫くべき信念なのか……全部が、どうでも良くなってくる」


 コルロルがすぐそばまでやってくると、あたしを痛めつけていた男たちは、「ひい」と腰を引きながら、薪を前に突き出した。


「く、くるなバケモノ……! ひ、火だ! 火だぞ!」


 男はがむしゃらに薪を振り、コルロルへ火を見せつける。コルロルはただ、斜めに腕を振る。突き出されていた薪と一緒に、男の腕も消えた。腕のあとを追うように、大量の血が噴き出し、真っ黒な羽が舞った。


「図に乗るな薄汚い人間め」


 コルロルの燃える翼が、ぞわりと粟立ち、髪の毛のような触覚が盛り上がる。敵を威嚇する、獰猛な虎のように。


「ねえねえ、レーニスの髪飾り、とっても綺麗」


 肩に立ち、あたしの頭に寄り掛かりながら、テディは呑気なことを言う。処刑の見物人たちは、またたく間にこの場から走り去っていく。


 弾が切れたのか、銃は通じないと判断したのか、今度は大勢の騎馬が剣を振りかざし、勇気を奮い立たせるように叫びながらコルロルへ群がりだしたが、臆病なコルロルは怯える様子もなく、あたしの前に立った。


 燃える翼が左右からあたしを包み、小さな密室の空間が出来上がる。その中で、コルロルは何度も何度も、謝罪を口にしていた。


「ごめん、レーニス……。本当に、ごめんね。僕と関わったせいで、こんな……」


「ねえねえ、この髪飾り、似合う? どうかな? もらってもいい?」


 テディは髪飾りを見せつけるように、あたしの頬に押し付けてくる。


「僕の仲間じゃないって、言えば良かったのに……」


「もちろん言ったわ。でも、信じてもらえなかった」


「そっか……そうだよね……。もちろん言うよね……」


 ちょっとだけ笑って、コルロルの鋭利な爪は、あたしを縛る縄をあっさり切った。それからコルロルは、手近な兵士の腕をつかんで持ち上げると、その手から剣を抜き取り、兵士を投げ捨てた。


 その剣をあたしの手に握らせる。そして言った。


「僕を殺してレーニス」


 ぎゅうぎゅうに圧迫されていたせいで、剣を握る手がしびれている。コルロルは泣いてしまいそうに微笑んでいた。


「全部、僕のせいだ。僕が、君を好きになったから……」


 申し訳なさそうに言ったあとで、コルロルは「ははっ」、と短く笑う。


「さっきの、見た? この手を振り下ろしただけで、簡単に腕がもげたよ。本当に、人間は脆い。なんでそんな人間になることを、僕は渇望するのか……」


 やつの手のひらが、あたしの頬に添えられる。燃える炎。立ち昇る煙。舞う黒羽。まるで生き地獄のようなこの場所で、コルロルは牙を見せて笑った。


「お願いだレーニス。最後に、僕を愛して」


 金色の目が、涙をこぼす。瞳が潤って水が溜まり、端から零れ落ちる。何度も、何度も。その連続を、あたしは息をのんで見ていた。その涙を、どんな宝石よりも綺麗だと思った。どんな宝石にも代えられない価値があると、理解できた。


「嘘でもいい。僕を愛していると……言葉だけでいい。姿は人間になれなくても、君がそう言ってくれるなら、僕は人間らしく死ねる。たったひと時、この瞬間だけでも、愛されているとうぬぼれたいんだ。お願いだレーニス……頼むから……もう、嫌だ。ひとりぼっちは、もう嫌なんだ」


 巨大な乾いた手だった。人間の肌とはまったく違う、ごつごつした固い感触。太く先の尖った爪は、まさに天然のナイフだ。コルロルがひょいと横へ動かせば、あたしの首は地蔵の頭みたいに簡単に転がっていくだろう。


 あたしは小さく首を振っていた。


「無理……無理よ」


 だってあたしは、空っぽなの。もう憎しみすら与えられない。愛の言葉なんて言えるはずがない。


 分からない……。憎しみって? 愛って?


 誰かを思い、命もいとわないほど強い思いって?


 見えないし聞こえないし触れない。あたしが今感じるのは、火の熱と、怪物の手の感触だけだもの。


「あたしには、分からない……。分からないの……分からないのよ……」

 

 頬に当てられた手が、すべり落ちていく。コルロルはそのまま倒れ込み、真っ黒

な羽が、陽炎のように辺りをたゆたう。


 コルロルを倒したと、街の人々は歓声をあげ、勝利をかみしめる中、あたしは茫然としていた。燃えていくコルロルを見つめ、剣を両手に握り、力をこめる。


 ぎりぎりまで腕を突っ張って、剣先を喉元へ向ける。


「レーニス、なにしてるの? 変なポーズ。ふふ」


 弾むように言って、テディはあたしの腕に座り、両足をぱたぱたと動かした。丸い耳には、髪飾り。その背中に、小さな炎がついていた。


「テディ、燃えちゃってるじゃない」


「死ぬときは、一緒だよ」


 柔らかな綿の感触が、頬を撫でる。火の色に染められ、テディは笑った。あたしはその顔に見入った。またたくまに、喧騒が遠のいていく。


 すべての音が押し黙った濃密な無音の中、片目のぬいぐるみの笑顔と、かつて封じ込めてしまったかけがえのない記憶が重る。


「……リースス?」、目の前に、パッとまばゆい閃光が広がった。





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