第31話
この塔に来るまでの道のり、あたしは木の板にくくりつけられ、まるで見世物のように人々のひしめく広場を運ばれた。
あの時の広場に集まった人たちの、畏怖と憎しみにまみれた顔。顔。顔。怒りをこめて投げられる石。石。石。そのひとつがおでこに当たって、血が流れた。目の前で思い切り鈍器を振られたような衝撃だったけど、それは手で握れるくらいの石ころだった。あたしは石を投げたオヤジを睨んだ。顔も覚えた。
小柄で白髪の男だ。よれた白いシャツを着ている。目は鋭いが眉は垂れている。鼻がでかくて口は薄い。どことなく幸の薄そうな印象を受ける顔だった。
「今度会ったら、石ぶつけてやるから。それより今は、ここから逃げないと」
でも、と心の中で言葉が続く。でも、あたしはどこへ向かい、誰と会えばいいんだろう。 今まではずっと、リーススと生活していた。でも、リーススは……。
「ねえテディ、あたしって、一緒にいてつまんない?」
「ん~……普通」
「………あなたって、可愛げのないぬいぐるみね」
「だって、ほつれてるし」
「性格のことを言ってるんだけど」
なんだかテディ、少し、大人になった? 会ったばかりの時は、ただ生きていることを喜ぶぬいぐるみだったけど、それからのすったもんだが成長させたのか、ちょっと落ち着いてきた気がする。思春期の子供みたいな。
「まあいいわ。つまんないと思われていないだけ。もっと小さい頃ね、学校に通ってたの。リーススと一緒に。あたしは一人も友達がいなかった」
「あはは、おもしろい。うんうん、友達できなさそうだもん」
「あのね、そんなことばっかり言ってると、その汚れた布を引きちぎるわよ」
「あーやだやだ、怖い怖い」
学校での生活は、あまり思い出したくない。人の密集した教室という場所が、あたしはとにかく大嫌いだった。みんな孤立したくなくて、友達という存在を求めている。
でもあたしは、何気ない会話で盛り上がり、笑い合うことが、とても難しかった。なにを言えば相手が笑ってくれるのか、嫌われずに済むのか、あたしには分からなかった。
話かけられれば素直に答えたけど(「昨日なにしてた?」「感情の行方について考えてた」「え……なに……?」)、から回るばかりだった。次第に話かけられることはなくなり、だからといって自分からちょうどいい距離感で馴染むこともできず、学校の中では自然と浮いた存在となった。
あたしはどうやら、空気が読めない種類の人間らしかったのだ。同じ学級の人たちからは、日々小さな悪意を感じた。少しだけ、悪く言われる。少しだけ、馬鹿にされる。少しだけ、見下される。表面立つ問題には発展しない程度の、遠回りな悪意。そういうものたちは、消化できない異物のように胃の中へ蓄積されていき、きりきりと腹を痛める毒となる。
恐怖。あたしは怖かった。人の悪意を受け取ることが。不意に異物を飲まされることが。いっそのこと意見をぶつけ合い、殴り合いの喧嘩でもした方が、よっぽどすっきりする。正面きって嫌いだって言われた方が、今後の立ち振る舞いを定められる。
でも、誰もそうしようとしなかった。なんとなく孤立していって、なんとなく悪く思われている。クラスメイトとあたしとの間に、薄暗い沼が張っているみたいだった。その沼を渡ってまで近づきたいとは、誰も思わなかったらしい。逆を言えば、そう思わせるだけの魅力が、あたしには備わっていなかったということだ。
でも、
『リースス、友達つくらないの?』
帰るときは、リーススが一緒だった。彼女はあたしと同じように一人だった。だからって、二人で行動することはなかったけど、同じ家に帰るのに、わざわざ別に帰るのもおかしいし。
『私たちに、友達ができると思ってるの?』、リーススは、無表情にそう言っていた。
友達、つくれば良かったじゃない。笑いあって、普通に生きたいって、思ってたくせに。
リースス、生きているのかしら。あたしはあなたと笑いあって過ごせない。だけど、あなたを見つけたい。あなたが、あたしの帰る場所だと思うから。
「テディー、慎重にね」
脱出の方法をよくよく言って聞かせてから、いよいよテディーは食事の受け渡し用の小さな扉に、その柔らかい体を滑り込ませた。でも、胴が受け渡し口に挟まり、足だけがジタバタと動いてしまっている。
もどかしい思いをこらえ、しばらく見守っていると、すぽんとお尻が抜けて、扉の向こう側へ消えた。
耳を澄ませながら、テディーの行動を想像してみる。立っている男の足元へ、テディーが忍び寄る。布と綿の足だから、足音はしない。男によじ登る。「なんだ?」、男の不審がる声。振り返る。テディーには気づかない。
鍵は腰についている。両手でうまく挟んで鍵を取り、男の足を滑り下りる。「な、なんだこいつ!」「やだ、怒らないで。怒らないでよ」、男の驚きの声、続けてテディーのもったり声。受け渡し口に、テディーが飛び込む。やっぱり尻がつっかえたが、その手には鍵を掴んでいた。
「テディー、投げて!」
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