■頑張るテディ

第24話




 爆発が起こる少し前。あたしは眼下に広がる景色の中に立つ、黒い翼の怪物を見ていた。なんで、来たの。怒り出したい気持ちだった。怒り任せに怒鳴り散らしてしまいたかった。あたしのことは、放っておいてよ。


 ふいに、ガルパスおじさんがなにかを察知したようにこちらを振り返った。あたしも自分の後ろを見てみる。地面にテディーが横たわっていた。おじさんは気付かなかったらしく、もしくは汚れたぬいぐるみに危険はないと判断したのか、また顔を前に戻す。


 おじさんの視線が逸れると、テディーはむくりと体を起こし、こちらに手を振った。それからポテ、ポテ、と丸い足で、置いてあるリュックへ寄っていく。リュックの横ポケットには、ナイフの柄が突き出していた。


 ナイフ……そうだ、ナイフさえあれば、縄を切れる。テディー、助けに来てくれたのね。

 テディーはナイフを引き抜―――けなかった。なにせ手が丸いんだもの。掴みようがない。テディーは諦めず、ナイフの柄を両手にはさみ、引きずり出そうとする。


 テディーお願い、頑張って。あそこに爆弾が仕掛けられているってこと、コルロルに伝えないと。あたしひとりが死ぬのはいいけど、あたしのせいで誰かが死ぬなんて嫌なの。それがたとえ、怪物のコルロルでも。


 ずりずり、テディーはナイフを引きずってこちらへ進んでくると、ナイフを脇にはさんで、あたしの右足にしがみついた。そろりと大男の様子を確認する。彼は爆破スイッチを手に持ち、コルロルたちに見入っている。


 右足を後ろへ上げて、ロープが横断している胴までテディーを持ち上げる。まもなくして、ロープが切れる。あたしは口に噛まされていた布を下げてテディーを抱えると、ナイフを手に、思い切り体を下げた。


 油断していた男の手がするりと離れる。その場にしゃがむと同時に、ナイフを横へ振り切る。男の踵の少し上、アキレス腱をナイフが横断し、男は小さな叫び声を上げて前のめりに倒れる。


 そのとき、爆発音が響いた。爆発によって生じる不自然な強風が、砂利と一緒に吹いてきて、あたし達は倒れまいと足に力をこめて、両腕で顔を庇う。


「くそ、なにも見えん! 探せー! あのバケモノの死体が転がってるはずだ!」


 砂埃の中、こちらを見据える銃口が、きらりと光ったのが見えた。前のめりに倒れた男が、こちらに銃を向けていた。あたしは慌てて横へ飛び退く。そのあとを追って、銃声がほとばしる。


 飛び退いた勢いを殺さず、二転三転と転がり、ほとんど滑るようにして岩壁を下り落ちる。ところどころに突き出した石が、膝や顔をこすっていく。道へ転がり落ちた。


 すぐに上を向く。ずいぶん高いところから落ちた。さっきまでいた場所は、十メートルほど先にあった。そこに男の上半身が這い出してきて、銃を握る腕が下ろされる。あたしは無我夢中で走った。男の視界へ入らないところまで行っても、それでも走り続けた。


 コルロル……コルロル……気が付くと、心の中で呼んでいた。コルロル、死んでしまったの? あの爆発だ。いくら怪物でも助からない。無性に腹が立つ。なんで? 怪物のくせに、それくらいで死んじゃうの? 怪物のくせに……怪物のくせに……怪物のくせに……


 ガッ、とつま先に硬い衝撃が走る。視界が暗転したかと思うと、今度は肩に痛みがあり、スライディングするみたいに地面を転がった。盛大に転んだんだ、と気づいたのは、目の前に地面が見えてからだった。


 口の中に砂利が混じり、鉄錆くさい血の味が広がっていた。横向きに倒れたまま、肩で息をする。満身創痍だ。思い出したように、あちこちで痛みが走り、体中に疲れが充満していく。


「テディー、大丈夫?」


 あんなに激しく動きながらも、テディーのことはしっかり抱えていたらしい。汚れは増しているけど、どこも破れていないようだ。テディーは目の前に立ち、両手を広げて見せた。


「あなたは、どう思う? コルロル、死んじゃったと思う? 死んじゃってたら、あたしのせいだよね。あたしのことなんて、放っておけばいいのに。あたしは、死んでも良かったのよ? でも、あたしのためにあいつが死ぬなんて、気分悪いじゃない」


「哀しいの?」、プラスチックの目が、こちらを覗き込む。


「分からない。でも、あたしは死んだ方がいい気がするの」


 糸で縫われた口を歪めて、ぬいぐるみは悲しそうな顔をする。「なぜ?」


「罪深いから。リーススを泣かせて、コルロルを犠牲にした。たぶん、ライアンも」


「リースス?」


「双子のお姉ちゃん。あたしとよく似てるんだけど、テディー、知らない?」


「レーニスと似てるの?」、あはは、なぜかテディーは飛び跳ねて笑う。「おもしろいね」


「なんにもおもしろくないよ」、なに? あたしの顔がおもしろいってことなの?


「ね、行こう、レーニス」、テディーは両手であたしの手をはさむ。


「どこへ? どこへ行くの?」


「コルロルや、一緒にいた男の人、それから、お姉ちゃんのところ」


「なんで? どこにいるかも……生きてるかも分からないのに」


「だから探すの。会いたいんだよね? 好きなんだよね?」


 体を起こす。コルロルやリーススのことを思うと、あたしはまだ動けるような気がした。


「愛があるなら、ちゃんと伝えないと。想っているだけじゃダメなんだよ」


 黒くつやつやの目に、ちっぽけなあたしが映り込む。


「あたしにも、あるの? ……愛が」


「もちろん!」


 テディーは両手を広げて笑う。

 心の奥底。ずっと閉ざしたきりの錆び付いた扉に隙間が開いて、一筋の光を取り込んだようだった。その隙間から、真新しく鮮烈な風が吹いてくる。



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