■愛って、なに?

第19話



 起きたとき、あたしはまだコルロルの腕の中で、やつは飛んでいた。下を見ると、ぶら下がっているライアンが見えた。器用なことに、眠っているらしい。


「ずっと、探してくれてたの?」


「おはようレーニス。今はとりあえず、ライアンの提案通り、頂上に向かっているよ」


「彼、起きてたの?」


「ついさっきまでね」


 辺りはほの明かるく、まもなく夜が明けることを知らせていた。この世の開幕みたいな朝陽が、山の向こうに差して、まだ星のまたたく深い夜を、端から染めている。


「飛ぶのって、疲れないの?」


「疲れるよ。重いのがぶら下がってるから」、彼はちらりとライアンを見下ろす。「でも楽しいんだ。飛んでるだけで、景色を見ているだけで。なぜだと思う?」


「あたしから『楽しい』を盗ったからでしょう?」


「……そう言われちゃうとそうなんだけど。それだけじゃないんだ。それだけじゃなくて……レーニスに会ってから、すべてが変わったんだ」


 それがいい方向への変化だと分かる、喜びを帯びた言い方。


「変わった? どういうこと?」


「ん~説明が難しいんだけど」


「難しいんだ」


「それはそうだよ。なにせ心の中のことだからね。心の中のことは、言葉に置き換えて伝えようとすると、元の形が損なわれてしまうことがあるし」


 小難しいことを言う怪物だ。あたしの感情は簡潔だ。憎い、腹立たしい、つまらない。言葉にしたって何も損なわれない。


「それでも、しいて言うなら、頑張れるって感じかな」


「頑張れる?」


「そうだ、気力が湧く。活力になる。いくらでも、いくらでも頑張れそうな気がする。僕の原動力になる。ありあまるようなエネルギーになって、どんな困難だって乗り越えられる気がする」


 なんだかあたしは、言葉を失ってしまった。途方もない宇宙の果てを見ているような気分だ。やつが何を言っているのか、さっぱり理解できない。


 あたしにも原動力はある。憎しみだ。でもそれは、やつが持っている原動力とは、まったく逆の性質を持っているようで、やつの心の内に広がるのがどんなものなのか、遠すぎて想像も及ばない。


「あたしにも、原動力はある。毎日毎日、あなたを探し続けてきた。あなたを殺すために生きてきた。それと同じようなものでしょ? それなのに、なんで……」


 なんで、あなたと同じじゃないの? なぜあたしを突き動かす力は、みすぼらしく醜いの? 


 今、はっきり分かった。あたしは汚いんだ。あたしは汚くて、この怪物は綺麗だ。光と闇。天国と地獄。生と死。あたし達は両極端にかけ離れていて、間を埋める術がなにもない。光で照らされて、汚い自分が浮き彫りになるばかりだ。


 嫌だ。お腹の中が熱くなる。あたしは、目の前で揺れていた三角水晶を握った。


「返して」、悔しい。あたしは悔しかった。「あたしの感情よ。返してよ」


 楽しい、嬉しい。誰かを、想う。ぜんぶ、あたしのものだったのに。どんな景色が見えてるの? 誰かを想うと、あたしには見えない色が見えているみたい。あたしも見てみたいの。コルロルが見ているものを。


 やつの目が、寂しそうに細まる。寂しい。寂しいはきっと、哀しいの仲間だ。あたしには分からない。


「感情が戻ったら、僕が君を想うように、レーニスも、僕を想ってくれるのかな」、やつは風のように囁いた。「ナイフ、持ってるよね?」


 自分の太ももに目がいく。そこにはナイフの柄が突き出ている。


「実はね、僕は愛ってやつが分かるんだ。でもこれは、怪物としての感情だ。僕が人になるには、愛するだけじゃダメだ。誰かに愛してもらわないと。人間に、なってみたかった。人間になって、レーニスと過ごすことを夢見なかったわけじゃない。でも、いいよ。自分がどうすれば死ぬのか、よく分からないけど、さすがに、首を裂かれれば、生きてはいられないだろう」


 ここ、腫れてない? 転んだだけで騒いでいたコルロルが、頭に浮かぶ。そのコルロルが、首を裂けばいいと言っている。あたしはナイフを握ることができなかった。代わりに、縋り付くように問いかけていた。


「……分からない。なに? 愛って、なに?」


 やつは微笑んだ。「君のためなら死ねるってこと」


 銃声が轟いた。次いで、鳥たちが一斉に木から飛び出していく音。あたしはただ、コルロルを見ていた。見開かれたやつの目に、なぜだか……息の根を止められた気がした。


「当たったぞ! 今だ! もっと撃て!」

 

 見ると、二人の大男がライフルを構えて立っていた。その脇で、おじさんが飛び跳ねる。


「どんぐりと合わせて、これで私は億万長者だあ! がははは!」


 高笑いをあげるおじさんの手が、ちかっと光を反射する。なにか、持っている。髪飾りだ。あたしはその髪飾りに見覚えがあった。


 がくん、体が下がる感覚。


「コルロル!? 大丈夫か!?」、ライアンが声を荒げる。「レーニス、腹の辺りを撃たれたらしい、どこかに隠れないと……また撃ってくるぞ!」


 言うが早いか、続けて銃声が響く。コルロルはあたしをきつく抱き寄せ、おじさんたちがいる方へ背を向けた。


「なんで……やめて、庇わないで! 自分を守りなさいよ! あんな奴ら、あなたなら、やっつけることだって……」


「くっ、あいつら……コルロル、あそこまで飛べるか!?」、ライアンは崖がえぐれて出来たスペースを指す。コルロルはそこを目指し、一気に速度をあげた。


 あたしとライアンを下ろし、翼をたたむ。思ったよりもコルロルは平気そうだった。腹の辺りに出来た穴から血が流れていたが、銃弾はやつの硬い外皮一枚を貫いた程度で、深くには及んでいなかった。やつの鉤爪が、銃弾をつまんで引き抜く。


「うわっ……血だ」、コルロルは嫌そうに顔をしかめた。「どうしよう、僕、死ぬのかな。死んじゃわないかな」


「よく分からないが、死にそうではない」



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