第11話


「え、おい……!」彼は水の中を泳ぐように、両腕で必死に空を掻く。「受け止めてくれるんじゃないのか!?」


「いや、無骨な男はちょっと」、ペコ、コルロルは通りいっぺんの小さな会釈で、ライアンを見送る。


「こ、こんな時に何言ってるの!?」


 これじゃあ、あたしがライアンを騙して殺したようなものじゃないの。


「僕って、これでもオスみたいだからさ」


「メスだったらびっくりよ!」


「生殖機能はないから、気持ちの話なんだけどね」


「いいから彼を助けて!」


「なに? あいつが好きなの?」


「あんたよりはね!」


 本当は〝好き〟なんて前向きな気持ち、あたしには無いんだけど、勢いで言ってしまった。コルロルはぷい、と顔を横に向ける。「じゃあ死ねばいい」


「はやくしてくれ~~~!」、ドップラー効果でライアンの声が遠ざかる。


 あたしはコルロルの首元にナイフを突き出した。


「な、なにするんだレーニス」


「はやく! 助けて! 今すぐ!」


 こんな脅しが効くか不安だったけど、コルロルは「ちぇ」と舌打ちみたいな声を出して、急降下し始めた。


「わっ」、その勢いに、思わずコルロルにしがみつく。


 あっという間にライアンとの距離は埋まっていく。暗い崖の底すれすれ……コルロルはその大きな三本指でライアンの腕を掴むと、勢い止めやらぬまま水平に進み、それから緩やかに上昇を始めた。


「ふう~~~……死ぬかと思った」、ライアンはコルロルの腕の先で、その体を振り子のように揺らしながら、長く安堵の息を吐き出した。魂が抜け落ちてしまいそうな、深い深い息だった。


「ホントにいたんだな、コルロルって。伝説上の生き物だとばかり思ってたよ。本当に助かった、恩にきる」


 こちらを見上げて笑いかける。それから言いづらそうに付け加えた。


「それと、助けてもらっといて注文が多くて悪いんだけど、この爪引っ込めてくれるとありがたいよ。食い込んでてすごく痛い」


「それは僕の爪の仕様だから、どうにもできない」


「あたしは痛くないよ」


「レーニスには食い込まない。それも仕様だから」


「あはは、レーニス、ずいぶん好かれてるじゃないか」


 苦笑するライアンにそう言われ、さっきから感じていたコルロルへの違和感の正体に気がついた。好かれてる……。そうかもしれない。父が書いてくれたマニュアルには、人への対応だけではなく、人の感情についての解説も記されている。


 マニュアル解説編、『恋慕』の項目。


「す、好きとか、なに言ってるんだよお前、ほんと、なに言ってるんだ」


 ある特定の異性を好きなのかと指摘され、図星だった場合、照れから否定してしまうことがある。この場合は言動に顕著な動揺が見られる。


 コルロルを見上げる。やつの大きな三角の耳はぴくぴくと小刻みに動いている。様相が人間とは異なっているから、判断しづらいところではあるけど、さっきから見ている限り、あの耳の動きには、感情が反映されているように思う。


 その他にもコルロルの態度をマニュアル本と照合してみたが、むき出しの好意が見えてくるようだった。


「あたしを、好きなの?」、訝しんで見上げる。


 がくっと、大きく体制が傾いた。


「おい~~~~!」、ライアンの声が急降下していく。コルロルは離してしまったライアンをすぐに追いかけ、今度は足を掴んだ。


「急に、なんてことを言うんだ……」、また上昇を始めると、コルロルは前を向いたまま目を細めた。


「そういえばさっきも言ってたわ、僕を愛してくれって」


 また体勢が揺れる。「そ、それはつい、会えたから、感激して」


「ちょ、ちょっと待て」、逆さまのライアンが叫ぶ。「何度も落とされたらかなわない、その話は危険だから、どこか落ち着いた場所で座って話そう。ほら、あそこなんかいいんじゃないか?」


 彼が指した広く平らな道で、コルロルは翼を畳んだ。


「えーっと……それで」、ライアンは腕組みし、あたし達を交互に見る。「君たちは、その、知り合いなの?」


「十年前、こいつに感情を盗まれたの」


「感情を?」、ライアンは眉を歪める。「感情なんて盗めるの?」


 あたしは岩に腰を降ろし、十年前の出来事を語った。今まで断片的にしか覚えていなかったけど、さっき走馬灯を体験してからは、蘇ったように記憶が鮮明だった。


「たしか、今の家に引っ越すときだった。朝はやくから準備をして、父さんが馬に乗って、あたしとリーススは馬が引く荷車に乗ってた」


「僕はそのときから見てた。木の上から、山に入ってくるのが見えたからね」


「道中、昼食を摂ったとき、あたしとリーススはその辺りを冒険して、あたしははぐれてしまった。それで、橋を渡ったんだけど、落ちちゃったの」


「そう、それが僕たちの出会いだった。僕が助けたんだ」


「そのあと、たしか、少し話をしたわ。どんな話だったか、詳しくは覚えてないけど、リーススたちと合流できた時にはもう夜で、あたしからはいくつかの感情が失われていた」


「あの時は楽しかったよね。たくさん遊んだんだ。遊ぶなんて、僕には初めてのことで」


「ちょ、ちょい待ち」、両手をだし、ライアンは待ったをかける。「話が入り乱れてる。あんた、おしゃべりなんだな。見かけによらず」


「人は言語でコミュニケーションをとるものだろう? ま、簡潔に言うと、喜・楽・哀だね。僕がレーニスから盗ったのはその三つだ。大まかに分類してのものだから、細かく言えばもっとたくさん盗ってる」


 あたしはじっとコルロルを見据えた。



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