第3話
「でも実物が見たいな。見せてもらえる?」
「それならここに」
ズボンのポケットから取り出し、手を広げる。ころり、と金色のどんぐりが、手のひらの真ん中に鎮座する。彼はどんぐりを指でつまみ、太陽の光にかざすと、満足そうに笑って頷いた。
「いいじゃないか! 思ったよりずっといいよ! コルロルを殺せば、これを一升もらえるんだな?」
「ええ。いいわよ。一升でも二升でも」
「二升はないわ」、後ろでリーススが言う。
「ただ、殺す前に少しだけ話をしてみたいの」
「話し?」、彼は苦笑した。「バケモノが人の言葉を話すのか?」
「話すわ。話すし、笑うのよ」
あの時のコルロルの顔が、憎々しく頭に焼き付いている。やつは獰猛な虎のような金色の目と、尖った牙を持っていた。今にも食いかかってきそうな恐ろしい顔をしているけど、笑った顔はまるで人間みたいで、あのアンバランスな笑顔を思い出さない日はなかった。
「分かったよ。君がいいと言うまでは殺さない」、男は手を差し出した。「俺はライアン。よろしくな」
あたしは彼の顔を見たあとで、差し出された手を見下ろした。ドン、後ろからリーススが小突く。「握手よ。彼の手を握って、笑顔で名乗るの」
分かってる。それくらいのこと、あたしだって分かってる。ただ、うまく笑えるかなって、心配になっただけよ。この人の笑顔が眩しいから、少し萎縮してしまっただけ。
「あたしはレーニス。こっちは姉のリーススよ」
「よく似ているね」、笑顔がどうこうよりも、あたしたちの顔が似ていることに彼の意識は向いてくれたようだ。
「双子なの」
「そうなんだ」
「レーニス、ちょっといい?」
あたしの腕を引くと、リーススは「準備をするから」とライアンに告げて家へ入った。
「なに? 準備は万端よ」、剣と矢筒を背負い、弓矢を持つ自分を見せつけるように両腕を広げる。
「私はまだなの」
「リーススも行くの?」
「あなた、人の話し聞いてないの? 今日は父さんの親戚に会いに行く日でしょ?」
ぱちぱち。瞬きを二回。言われても思い出せないくらい、すっかり忘れていた。
「……そうだった」
「覚えてないんでしょ。父さんが亡くなってもう一年。こんな人里離れた場所に私たちだけで住んでるのは心配だから、一緒に住まないかって言われてるの」
「へえ?」
「それで、今日は顔合わせみたいなものなんだけど……どんぐり、持ってくるように言われてるの」
棚の上に置いてある一升瓶に、彼女の視線が動く。瓶には金色に輝くどんぐりが詰まり、窓から差し込む四角い光の中で佇んでいる。
「なんで?」
「知らないわよ。小さい頃に会ったことある人なんだけど、覚えてる? お腹がでかくて、髭の長い……私たち、7才くらいだったかな」
ちら、とこちらを見るリーススの目は、なんだかちょっと不安げで、でも観察してるような奥行があった。その人には、覚えがある。
「たしか、同い年くらいの子供がいたよね。男の子の。コルロ……やつに会うちょっと前くらいに遊びに行ったんだっけ? けっこう広い家だったような」
「覚えてるの?」、リーススは目を大きくする。
「覚えてるよ。つまらなかったよね、あの時」
「ええ、そうね」
「父さんたちばっかり喋ってて、ガルパスおじさんだっけ? すごい大声で喋るんだよね。すぐ近くにいるのにさ。あたしたちはすることもなくて、隣に座ってるだけだった」
「その通りよ。よく覚えてるじゃない」
リーススは準備途中のバッグにタオルや着替えを放っていく。
「あの人、ライアンが本当にコルロルを殺しちゃったらどうするの? どんぐりあげないといけないじゃない」
「なんでこのどんぐり人気なの? ライアンといい、おじさんといい。本物の金ってわけでもないんでしょ?」
「本物ならこんな暮らししてないわ。それと、マニュアル本は持った?」
「……覚えてるからいい」
「ダメよ。ライアンも一緒に行くなら必要だし、おじさんのところに行ってからは、もっと必要よ」
マニュアル本というのは、感情を盗まれた際に父がつくってくれたものだ。感情を盗まれて、日常生活で最も困ったのは、人への反応だった。
例えば、眉目秀麗な男性に、ダンスに誘われたとき。嬉しいとは感じないから、あたしは笑わないしダンスにも応じないと思うんだけど、それじゃあダメだってことで、起こりうるあらゆる場面に応じ、人への対応をすべてマニュアル化した本が、マニュアル本だ。
ダンスに誘われた例でマニュアルを引用してみると、『にっこりと微笑み、差し出された手に自分の手を重ねる』が正解とされている。こんな例と回答が何百何千……当然マニュアル本にはそれなりの厚みがあるが、ほぼ暗記している。
はい、とマニュアル本を押し付けられる。
「おじさんの前では、くれぐれも言動に注意してね。とくにコルロルを仕留めに行くとか、感情を盗まれたとか、あのバケモノに関する話題は避けること。それと、あなたからいくつかの感情が失われているとしても、理にかなった人間らしい対応を心がけて」、リーススは櫛と髪飾りを手にとった。「後ろ向いて。どこが準備できてるの? 髪ボサボサじゃない」
髪をとかれながら、あたしはマニュアル本を見下ろす。
「これってさ」、渋い赤色の革カバーの表紙を開き、ぱらぱらとページをめくる。「書くのにどれくらい時間かかったんだろうね?」
「あなたには感謝の気持ちもないの?」
「嬉しくなくても、感謝ってできるものなの?」
最後に、左側の髪を耳にかけ、そこに髪飾りが付けられる。リーススは呆れた顔をして、自分の髪にも髪飾りをつけた。あたしとお揃いの髪飾りだ。あたし達がお揃いにしているのは、この髪飾りだけだった。
双子だと、よく髪型や服装を同じものに揃えるらしいけど、あたし達はバラバラだ。リーススは髪を長く伸ばし、上品なスカートを身につけることを好んだが、あたしは動きやすいズボンを履いて、髪は肩につかないくらいに切りそろえている。あたし達が身に付けるもので一緒なのは、この髪飾りだけだった。
リーススは荷物を持つと、最後にどんぐりの一升瓶を手に取り、念を押すように言った。
「いい? これはライアンに渡せないわよ。おじさんへの手土産なの」
バッグに瓶をしまい、彼女は出て行く。ドアが閉まってしまう前に、あたしも外へ出た。
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