第2話
撮影旅行でじっくり北上している。大学生になって長期休みの度に撮影目的の実質貧乏旅行を繰り返して、私もずいぶん旅慣れたと思う。全く知らないところでアクシデントのように被写体と出会うのは、狙い澄まして撮るのと対極にありながら同じくらいの面白さがある。
朝靄の出方、夕陽の色、街の空気、人々の顔。場所が違えばここまで違うのかと思う。そして、東京にずっと居るのではなかなか出会わない人種とも出会う。彼らの写真もたくさん撮った。彼らとは、旅人だ。純粋な旅人と言うものがこの世界には存在する。話していて感じるのは、彼らにとっては目的地など常に中継点でしかなく、旅の最中にあり続けることこそが彼らの目的なのだ。撮影と言う明確な目的を持って旅をしている私とは明らかに違う明るさと、人懐っこさと、そして拭えない無常さを彼らは共有している。そうなりたいとは決して思わないけれども、旅の隣人としては面白い。そして、何度も、主に情報をくれると言う形で、彼らに助けられた。訊けば、「お互い様だよ。俺も何度も助けられた」と笑う。根無草の旅人同士だからこそ、善意の循環が成り立っているのかも知れない。だから、私も本物の旅人ではないけれども、そう言う善意を発揮したい。
夕暮れが山の合間に溜まって、カクテルのようになっている。
撮る。沈み切るまではこの太陽と山のケミストリーを追っかけよう。
「私がいつ写真家になったかと言うなら、それはカメラを持つよりずっと前、あの写真に感動した日だ」
私は被写体たる太陽に語りかけている。君の全てを写す代わりに私の大事なところを持っていけ。
「何年も経って高校生になってやっと私は自分でシャッターを切り始めた。そして今は大学生。撮影旅行が出来る自由は何にも代え難い。……君と出会えた」
集中と集中の間にある雑談のようで、自分の想いの確認のようで、被写体への感謝のようで。
何回シャッターを切ったか分からない。気が付けばとっぷり暮れた太陽を嘲笑うような白い月。星も見える。最寄りの駅に向かって歩を進める。道中写したいものが見付かれば撮影して、そうでなければ前へ。電車はもうないだろうけど、タクシーを呼ぶにしても駅の方が都合はいい。距離があると思っていたが何も撮るものもなく歩いてみたらものの十分で到着した、山と山の間のターミナル。ぽつねんと光っている場所。
駅舎の前で、むらむらと写真の確認がやりたくなって立ったまま始める。旅の目的が決まっているとこう言うときに迷わない。写真とその他なら常に写真を優先する。貧乏旅行をやっているけどお金がない訳ではない。経済のために選択肢を狭めることは撮影旅行には不向きだ。それに私は女の子だし、本当の貧乏旅行をする勇気はない。
暫くして電車がやって来る音がした。いずれにせよもう間に合わないだろう。気にせず写真を見ていたら、駅から人の気配。男性が一人。こんな場所に今「降りる」ってどう言うつもりなんだろう。悪人のようには見えない。旅人かも知れない。妙に軽装だけど。
こっちに気付いた。明らかに私の様子を伺っている。私に話しかけようとして躊躇しているように見える。あれはきっと困ってる。「お互い様」だ。
私はカメラの電源を切る。たった、と男性の近くに行く。
「あの、旅人の方ですか?」
男は思案顔になって私の顔とカメラを交互に見る。
「そうかも知れない。目的のない、旅の途中に居るように思う」
やはり。善意の循環を回せそうだ。
「もし、宿が決まっていなかったら私が泊まる予定のところに訊いてみますけど、どうですか?」
男は再び考える。駅を見て、景色を見て、私を見る。
「ありがとう。お言葉に甘えさせて貰っていいかな? 俺はブルー」
「ブルーさんですね。偶然ですね、私の名前も色です。
「俺のは芸名だけど……。君は本名なの?」
「それは秘密です。じゃあ、タクシー呼びますけど、割り勘でいいですよね?」
ブルーは面食らった表情で私を見る。
「俺が出すよ。俺の方が明らかに年長じゃないか」
「今はそう言うのなしです。もちろん宿代も自分の分を自分で出して下さい」
「それは旅人のルールなのかい?」
私だってそれがルールなのかは分からない。でも旅先で会った旅人はみんなそうしていた。だから、それが普通だと思うようになった。マナーではないし、ルールかは怪しいし、習慣と言うには構成している人が多過ぎるし物理的に拡散し過ぎているように思う。外国の旅人がどうなのかは分からないし、言われてみれば分からないだらけだ。
「私がそうするのがよいと思うからです」
「分かった。従う。その代わり、敬語をやめてくれ。いいだろ?」
フェアを求めるなら彼の気にするフェアさも満たせ、そう言うことだ。
「分かった。敬語やめる。宿に電話するからちょっと待っててね」
部屋は空いているとのことで一部屋追加した。その後タクシーの配車の手配をした。
「部屋は取れたよ。タクシー来るまでまだ暫くありそう。座らない?」
「そうだね」
間に人一人半くらいの距離を置いて駅舎の入り口の階段に座る。もう今日は何もすることのない筈の駅がまだ光を漏らしているのを背中に受ける。
「橙は何の旅をしてるんだ?」
「私は撮影旅行をしてる」
「それは趣味かい?」
「……今のところは、そう言うしかない」
自分で口が尖っているのが分かる。相手のことを何も知らないから素顔になる場所もある。
「プロを目指してるんだね」
「私は本気よ。でも私がやりたい写真と食べられる写真が一致するかは不明」
「分かるよ」
「何が?」
「俺も趣味でやっていたもので、プロになったからさ」
そうなのか。写真家なのか? でもそうならそうと言う筈。
「ブルーは何をしている人なの?」
「バンドマンだよ。『サウンドゴーレム』って知ってる?」
知らない。知らないと正直に言うのがいいのか、聞いた事はあるとか言って曖昧にした方がいいのか。そんなの最初から答えは出てる。今よりも裸になれないのに、何を迷っているんだろう。
「知らない」
「まぁ、そうだよな。二十年くらい前にチャートに乗ってたんだ。でもヒットが出なくなって久しい。それでも食べていけるって意味ではプロのままだよ」
「そっか」
沈黙が流れる。その色さえも風景を取り込んでいるみたいで、プロになってそれで生きていけるけどヒットのないバンドマンと言うのはどんな気持ちなんだろう。もし私が過去の作品ばかり評価されて、今の私は搾りカスのようだと自認したら、どうするだろう。あ、それは簡単だ――。
「橙、煙草平気?」
「問題なし」
ブルーは胸のポッケからメビウスを出す。ライターで火を点けて、煙を吐き出す。煙草を吸うのって単純に吸いたいときと、何かを紛らわせたくて吸いたくなるときがあると聞いた。今のブルーはきっと後者だ。現状の自分を想って、私にもっと踏み込んで話すか迷って、誤魔化すことにしたんだ。私をじゃなくて、彼の気持ちを。
遠くから光の塊が近付いて来て、階段の前に横付けになる。ブルーはまだ半分残っている煙草を揉み消して、私達はタクシーに乗った。
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