Orange blue stripe
真花
第1話
いつものように盛り上がり、いつものようにアンコールを歌い、ピックを投げてステージを終えた。
「お前達、本当にこれでいいのか?」
始まったばかりの打ち上げ、バンドの面々は苦笑いをしてマネージャーの篠原に助けを求めるような視線を向ける。篠原は傾けていたビアジョッキを優しく置いて、小さく深呼吸をする。
「これでいいんだよ。ブルー、一体何を求めているんだ?」
「俺達は成長している。新しい曲だって書いている。なのにステージでは昔のヒット曲ばかりを歌って、十年前と同じことをずっと繰り返すばかりじゃないか! 俺達は生きてるDVDなのか!?」
篠原が首を振る。
「客が求めているのは新曲じゃない。あの頃ヒットした曲達だ」
「俺だってプロだ。客の求めるものをするのに異論はない。でもだからと言ってステージに新しいものを何も持ち込めないなんておかしい。そもそもセットリストを篠原さんが作ると言うこと自体がおかしいんじゃないのか!?」
「マーケットのリサーチを僕に一任したからにはその結果導き出される方針には従って貰わないと困る」
俺は反射的に拳を思い切り振り下ろす。テーブルから派手な音が弾ける。
「じゃあ、リサーチなんて要らない!」
「リサーチなしでは今の興行収入を保つことは出来ないよ。君が一人でバンド全員の生活を見るのかい?」
「生活は関係ないだろ!」
俺は睨む。篠原も睨み返す。じっと様子を伺うメンバー達。遠くの席の笑い声が嫌に間延びして聞こえる。
「ブルー、ギターヴォーカルの君がやる気をなくしてしまったら『サウンドゴーレム』は立ち行かなくなってしまうよ」
「俺はやる気に溢れている。だから次のツアーでは新曲をやらせて欲しい」
「じゃあはっきり言うけど、新曲はリリースしても全然売れてないんだよ。分かってるだろ? ライヴ会場で初めましての曲なんて客は求めてない。最後にチャートに乗ったのが十三年前の『smash』、つまり! それ以降の曲を客は誰も知らないんだよ!」
「客は知らなくてもいい。会場で初めて聞いて感動すればいい」
篠原はもう一度、今度はゆっくりと首を振る。その否定の動きが削っているのは俺の弁の正しさではなくて俺の主張が通る可能性のように思えて、こなくそ、血が出そうな程に拳を握り締める。
「それがどれだけ低い確率か考えたことがあるのか? 先に知られていなければダメだ」
「じゃあ、新曲をリリースしてヒットすればいいのか?」
篠原は頷く。正面に戻った顔が不敵に光る。
「ヒットすれば当然セットリストには入る」
「じゃあ、一曲ヒットしたら他の新曲を二曲入れると言うのはどうだ」
「何でそうなるんだよ! 君の論理は利己的過ぎる。ヒットした一曲だけだ」
「ライヴで演奏してこそ音楽は進化するんだよ!」
「冒険は他でしてくれ。君達は二十年前にデビューして、七年間チャートを賑わして、世間的には忘れられたバンドなんだ。当時の栄光の影に食べさせて貰ってるだけなんだよ。固定客を失うことは絶対に避けなければならない。これは絶対だ! いいか、僕は君達の世界一のファンだ。人生を完全に懸けるくらいのね。新曲にはいい曲もあれば駄作もある。それは間違いない。一ファンとしては新しい君達に興味がある、だけど! 固定客の連中は僕ほどの愛を持ってはいない。定期的にあるお祭りで騒ぎたいだけなんだ。そこに新しい芸術は要らない。使い慣れた日用品が要求されているんだ。だからそれを提供する。その結果お金を貰う。何かおかしいか!?」
一息に怒鳴るように喋った篠原は肩で息をしている。俺は言われるままに、奥歯を噛み締めてその姿を凝視する。ドラムのピコが両手をそれぞれに向けて、まあまあ、と笑う。それで膠着した。俺は手許にあったジョッキのビールを煽る。篠原も全く同じ行動をして、それぞれが左右に座っているメンバーになだめられた。
宴席は険悪に始まってもいずれそれは時間と酒に溶けて、結局いつものグダグダした時間になる。
ああ駄目だ。俺はここに居たら新しいものなんて何も生み出せない、人間DVDに墜ちる。いや既に堕ちて十年経っているか。
立ち上がって部屋を出る。トイレと思っているのだろう、誰も何も言わない。ギターを置いていくのは忍びないが、さよならだ。
俺は店を出て、走る。どこに何があるのかなんて何も分からない。毎年ライヴをしているのに、この街のことを俺は何も知らない。きっと世界には俺の知らないことの方がずっと多いんだ。なのに同じところでぐるぐる回って小銭を稼いで口に糊することばかりを優先して、あいつらのことは好きだけど、篠原さんだってとっても大切にしてくれているのは分かっているけど、それだけで俺が終わりまで行くのはあまりにもつまらない。つまらないんだ。
走る。
走る。景色も人も流れて消えて行く。
走る。何が先にあるのか全く分からないけど走る。俺は逃げているのか。それとも、向かっているのか。
駅がある。……乗ろう。もっと遠くに行かなくてはならない。何があるのか分からなくても、遠くに行く必要だけは分かる。左右に電車が来るホーム、最初に来た電車に乗ろう。息はまだ切れている。汗がだらだら出る。すぐに左側に電車が滑り込んで来て、乗り込む。時間のせいか場所のせいか行き先のせいか分からないけど、人が殆ど乗っていない。席も空っぽだ。俺はど真ん中に座る。
夜闇を、流れる街灯が切り裂く。左から右にずっと流れ続ける光達に復路はないと思うと、自分は逃げているのではなくてどこかに向かっているのだと思える。
「俺がブルーだ」
小さな声で呟く。出した言葉が渦になって自分の前で停滞しているよう。
「サウンドゴーレムはみんなでひとつ。それはそうだ。でも俺は俺の音楽をしている。俺以外にブルーは居ない」
渦が段々大きくなる。
「この旅は俺がブルーであるために必要なものだ」
そこまで言って、渦を手放した。それは電車を飲み込んで、電車自体を渦にして、必要な目的地に連れて行ってくれるように感じる。出し切った途端に眠気が襲って来て、広く開いていることをいいことに横になって寝た。
目が醒めるとまだ電車は走っていた。ときに放送される駅名を聞いても地理的にどこかは全く想像出来ない。右も左も人が誰も居ない。俺のために電車を走らせているよう。微かに残っていた酔いも抜けて、汗も乾き、眠ったせいだろう、新しい今日が始まったように感じる。
『次は終点、終点……』
「降りるか」
開いたドアから一歩踏み込んだホームには、やはり俺しか居ない。つまりあの電車には俺しか乗っていなかったのだ。改札には駅員が居て、でも彼はまるで存在しないかのように駅に溶け込んでいて、もう電車はない旨、俺に告げた。無言の圧力はだから駅員ではなくて駅舎そのものが俺にかけていたのだろう、背中を押されるように外へ向かう。
改札の向こう側、駅舎の内側を一人歩く。
静寂。
静か過ぎて張り詰めている。
ひどく不安定だ、居心地が悪い。早くここを出たいけど、出たからと言ってこの感じが変わるとも分からない。でも、選べるのはここに居るか出るかしかない。既に分かっている不快よりは分からない未知の方がいい。ほんの少し早足で駅舎を出る。そうだ、宿にも泊まりたい、俺は急いでいるけど深夜くらいはひと所で過ごしたい。風呂にも入りたいし、腹も減った。
外に出る。虫の声。空が広い。星が瞬いている。左右は山、奥も山。開けているような、閉じ込められているような。空気も尖った湿気とともに冷たい。同じ真夏なのに、違う。
今ここに居るのは俺だけ。俺と前にあるこの暗い世界と背後の排他的な駅舎だけ。
いいじゃないか。俺の旅はここから始まる。何もない、誰もいない、この場所からだ。
カチカチッ。
そぐわない機械音に引っ張られるように左側に首を捻ると、二十歳くらいの女の子が駅の壁の前で立ったままカメラをいじっている。そこだけ明るく光っている、彼女の生命力なのだろうか、俺がただ美しいと思ったからなのだろうか。こんな深夜にこんな場所で何故カメラなんだ。全然分からない。でも、ここに居ることに他人には分からない理由があるのは俺も同じだ。きっと彼女にも彼女なりの理由がある。それでも、こんな辺鄙なところで出会ったんだ、話くらいしてみてもいいのかも知れない。不審と思われたら退散すればいい。でも、何でだろう、今日と言う日に同じ最果てに居合わせたことに、身近さを感じる。きっと彼女と俺はここで出会う必要があって、今ここに居るのだ。話しかけろ。彼女が消えてしまう前に話しかけろ。それ、俺、行け。
気持ちは逸るのに行動に移せない。メンバーと篠原さんにぶつけた威勢は内弁慶のそれだったのか。そうなのかも知れない。俺は結局本当の冒険などずっとしていなかったのだ。だからこの出会いもすれ違いになって終わるのだ。ここまで逃げて来て結局始発で帰ったら、移動距離の分だけ惨めな想いをする。そしてギターにその胸の悼みを聞いて貰うんだ。一曲くらいにはなるだろう。それが俺の反抗の関の山なんだ。いや、だからこそ俺はそれを越えなくてはならない。彼女に話しかけられるかどうかが、俺の未来を決めるのだ。
胸の中で右往左往していたら、その彼女がくるりとこっちを向いて近付いて来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます