2-16
春花はエスカレーターの一段上にのって、俺の方に振り向いた。
「今日の展覧会について調べました、宗教的と文化の組み合わさった宝石の展示会みたいです」
「宝石か」
「あれ、兄さんは知らないんですか?」
「展示会のポスターを見てふらっと入るくらいだ。あんまり調べたことはないな」
「偏見なく美術品を見る主義ですか?」
「主義っていうわけじゃないが」
初めて来たときはよくわからなかったからカフェのマスターに聞いて、簡単なマナーや展示の前調べをして緊張感をもって展示会に行ったことは覚えている。今はもう慣れて、新しいポスターを見かけたらふらりと中に入っている。流石に清潔な服装を心がけているが、肩の力を抜いて前知識もなくただ美術品を眺めるだけだ。良かった展示会は帰りに同階の本屋で関連書籍を買って、カフェでじっくり読んで余韻を楽しむのが美術館の見方だ。
「ふと思い立ったら立ち寄るって感じだから、最近はあまり調べてないな」
「都会ですね~」
「そんなか?」
「田舎は美術館行くだけで一大イベントです。ですから昨日の夜じっくり調べましたよ」
「そ、そうか」
自信満々に胸を張っていた。
二階に着き、三階のエレベーターに乗り換える。
春花は右手を、目の前にメモを取り出した。
「この展示会はモールに出店するブランドの歴史展のようなものですね。ブランドの百十周年記念で歴史展の全国行脚を行っているようです。その一つがここですね」
「随分小規模なところでやるんだな」
「ここの企業の方と懇意にしていらっしゃるようです。六本木の方の美術館で大規模な展示会をして、こっちでも同じ内容で短期間の展示会をするように取り計らったようです」
「なるほど」
いくら出店しているといっても人数は都心と比べれば数百分の一以下。わざわざ展示会をするなら特殊な理由がないと不自然だ。
春花は軽く手を振り、ページを変えた。
「ブラント名は『』。」
「凄い高級ブランドだな」
「貿易商の初代社長に収集癖がありまして、そこから自分の普段使いのものにも収集品のようなデザインを求めるようになりました。直轄の工房をつくり、街で腕の立つ職人を集めて服、アクセサリー、時計や家具などに自国の技術、文化と収集品の製造元の風俗を組み合わせた独自の商品を作り出すようになりました。それは今でも続き、様々なものを作っています」
「へぇ。ドレスやバッグばかり売ってる印象だった」
「最近はそうですね。主にパーティー用のドレス、バッグを売っていますが、本店の方に行けば特注の家具や時計を売っているようです……百数万から」
「……恐れ多くて使えないな」
「私もきっとがくがく震えます。ピジョンブラッドみたいに色々あるかもしれませんし」
「ピジョンブラッド?」
「呪われた宝石です。所有者ががみんな不幸になるという伝説があります」
「こわっ」
「ここにはありませんから大丈夫です……それで、この展示会の開催を祝って、モールの方でもエキゾチックをテーマにしたオブジェを設置したようです」
「それがこの象か」
「はい」
そういわれるとなんだか高級な存在に見えた。インドの方の宗教の世界観のモチーフだろう。あんまり詳しくないから、後で本屋をのぞいてみるか。
「ブランドの関係者ではありませんが、有名なアーティストの方が制作したようです。ただ……」
ここまで言って、春花は口を閉じた。
「どうした?」
見ると、口をもごもごさせていた。言っていいもの悩んでいるようだった。
数秒間そうしていたが、最上階に着くと春花ははあとため息をついた。
「……後で言います。もしかしたら知っているかもしれません」
「わかった。もし何かあればパンフレットに一文あるだろう」
「そうですね」
先程とは打って変わった複雑そうな表情。本人がそういうなら別に深入りする気はない。ただちょっと気になるのは確かだ。
「とりあえず入るか」
「はい!」
目の前に現れたホールに入り、二時間かけて俺たちは展示会をじっくり見まわった。
今まで見たことのないような、世界中の自然と文化を組み合わせた展示は知的好奇心を掻き立てられるものばかりだった。
今まで宝石のよさはよくわからなかったが、偏執のように研ぎ澄まされ輝くダイヤにどこまでも圧倒された。美しいと言うよりも、ただひたすら存在感に感心していた。下手な庶民がつけていたら宝石に負け、セレブや社長ならこの生気を求める。ピジョンブラッドは見たことないが、曰く付きの宝石が存在することを簡単に信じることができた。美しいものはそれだけじゃなく人の様々な感情を掻き立てる。
実際俺は見ているだけで少し怖かった。目が離せない程繊細な芸術なのに、その背後の職人の姿や宝石の妙な熱気を感じてしまう。技術に圧倒され、石の生気に呑まれていた。展示から目を離し、途中のソファーに座ると一気に疲労感が襲い掛かった。美術展はこういうところがある。美しく非現実的な世界を見せてくれるものの、作品を通して伝わる製作者の熱気。戦うので一苦労だ。
いや本当に庶民だなあ。日々を生きるので必死な俺にとって、とても楽しいが、とても疲れるのが美術鑑賞だった。
一方春花は一つ一つ集中して観察し、自分の考えをメモしているようだ。疲れる様子はあったが、何故か表情が明るくなっている気がした。
出るころには春花は活力にあふれた表情に変わっていた。
「凄かったですねー!」
春花は満足げに手元のパンフレットを見つめて言った。
美術館横のカフェに入り、春花は紅茶、俺はコーヒーを頼んで一休みすることにした。
カフェは黒を基調とした和風の内装に穏やかな色の電灯を垂らして、シックで居心地のいい空間を作り出していた。開けた空間からは隣の本屋まで見える。俺たちは壁際の二人席に座って、向かい合って座っていた。
帰りのショップで展示品の説明付きのパンフレットをずっと眺めている。昔恐竜図鑑を楽しそうに眺めていた兄を思い出す。
俺はそこまで興味持てるものがないから少し羨ましくもある。
「あの貝殻の装飾の椅子」
「座ったら痛そうだ」
「あれはインテリアみたいなものじゃないですか?」
「玉座って書いてあったから式典の時は座っていたのかもしれない」
「偉い人も大変」
「今なら確実に警告が鳴るな」
「それ以前に規格で却下されるかもしれません。歴史を感じますね~」
「本当にな」
手元のコーヒーに口を付ける。深入りの苦みと後味の甘さ。ここは久しぶりに来た。店員も見たことない人ばかりだが味の方は変わってない。帰りに豆買おうか迷う位には気に入った味だった。高いから何度も来る気はなれないが、美術館の帰りに飲むにはちょうどいい値段だ。非現実的な体験の続きが楽しめる。
ぼんやり考えていると、春花がこちらを見ていた
「どうした?」
「兄さんも楽しかったですか?」
「ああ。中々できない体験だった」
「それは良かったです。どれか気に入ったものとかあります?」
「……入り口の蛇の首飾り、内装かなあ」
「内装ですか?」
「ああ。他の展示会だと平面的な展示が多いから、今回みたいに三次元的な配置は珍しいなと」
「へえー」
感心したように。
絵画の展示や貴重品の展示会では、ケースや額に入った作品をテーマごとに分けて展示する。展示会にかけられた金額で展示方法も展示の内容も変わるが、内装は基本あまり変わらない。都心じゃないこともあって、ほとんどの場合中身が変わるだけで使われるケースなどはあまり変化はなかった。
今回は全く違った。上から銀色の布が垂れて装飾品ケースの周りを囲んでいたり、川の流れを表現して、独自に作った流線型のケースを用いて展示していた。面白いと思ったのは初めてだ。
春花はパラパラとページをめくり、最後のページで止まった。
「今回の展示は……ああ、あの象のオブジェの人がコンセプトデザインをしてもらったようです」
「そうなのか。有名な人かな」
「専属デザイナーと言うわけじゃないみたいです。でも困ったことに最近失踪したようです」
「へ?」
「なんかよくわかんないんですけど『天使がいる』と言い残して消えたようです」
「……アジア系のエキゾチックなオブジェを作った人がか?」
「関係あります?」
「……天使はよくあるモチーフか」
「あんまり楽しそうな話じゃないので黙ってましたが、そういうことのようです」
曇った表情に変わる。楽しい雰囲気に水を差してしまった。
しまった、天使が気になるが春花の機嫌を悪くさせてもいけない。何か話題を変えなければ。
「そろそろ次にどこ行くか決めるか」
「……結構時間たってしまいましたね。どうします」
「今日は近くのスーパーに行って色々見るか」
「わかりました」
「急がなくていいからな」
「はぁい」
そう言って目線をパンフレットに戻した。春花の感情が読めず、どうも戸惑う。
いいのか?これで?
逡巡するも他に手は浮かばない。とりあえずこの後はコンセプトデザインの方は話題に触れないようにしなければと決意した。
失踪した人については後で月城に聞いてみよう。俺はそう決めて、ぬるくなったコーヒーに再び口を付けた。苦い。
半翼のイクジスタンス @aoyama01
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。半翼のイクジスタンスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます