2-15
外に出ると雲一つない大空が広がっていた。五月の気候は暖かく、街散策にはちょうどいい陽気だ。
昼終わりの道路にはスーツ姿の人が点在している。それも数えるほどしかおらず少し寂しさはあるが自由に見回るにはちょうどいい時間だった。
店の前で立ち止まった春花は期待に満ちた目で辺りを見回した。
「さあ兄さん行きましょう!」
びしっと指を前に差し、興奮したように早足で歩きだした。
「ああ」
俺はその横を歩く。早足と言っても俺の普段のくらいの速さだ。楽しげな春花が隣に居るのはこちらも楽しく、道中ですらすぐに過ぎていく。半歩先導する春花もそろそろ慣れてきただろう。きっと道はわかるはずだ。
安心してついていき、すぐに表通りに出た。
平日の昼間は人が少なく、いつもはあまり歩き回らないため新鮮さがあった。
珍しそうに春花は辺りを見回していた。
「こんな感じなんですね」
「基本的に学生街、企業の足元の街だからな」
「図書館もこんな風に静かなんでしょうか」
「平日昼はな。夕方になると自習室変わりで一気に席が埋まる」
「図書館あるあるじゃないですか」
「それだけじゃない。結構広いし、市民ホールやコンビニも併設されているからかなり混む」
「……夕方以降はあんまり行きたくなくなってきました」
「人混みが苦手か?」
「はい。特に箱の中で人が集まるのはとっても疲れます」
「俺も苦手だ」
「外ならまだ開けた分大丈夫ですが……これはどうにもなりませんね」
「田舎から出てきたからとか違うんだな」
「山奥に居た頃からこうでした。毎日一時間以上座ったままっていうのが苦痛で、小学校に居た頃から話し合って遠隔で授業を受ける日を決めてもらいました」
「一時間か……」
「みんなには事情を話してわかってもらいました。ただ中学校の方はもうフリースクールみたいなとこに行ってました」
「」
「学校の方針とそりが合わなくて」
「ああ……あるよなあ」
「本当に、目の前が真っ暗になって倒れるまで授業受けさせられました。見ただけじゃわかりにくいっていうのは理解が難しいです」
「……そうだな」
自分の手足を見る。最新技術によって胴体と変わらない肌の色を再現できている。見ただけでわからないのは浮かなくて安心できる一方、わからないからこそ義肢なことを信じられない人もいた。
春花ははあっとため息をついて、すぐに横のショーケースに目が行った。
「うわっ。水たばこですよ!」
張り付くように雑貨店の前に張り付いた。俺も足を止めて暗い店内を見つめる。シックな店内には電灯などエキゾチックなものが様々置かれている。春花が注目したのは店の奥にある水たばこのようだ。
「こんな大通りで水たばこなんて凄いですね!流石都会」
「インテリアっていう名目で売っているんだろう」
「葉巻も売ってます!」
「……コレクションだと思う」
このご時世煙草を吸う奴は嫌な目で見られる。裏路地では水たばこ、葉巻専門店みたいなところを作って吸うための空間を売っている。こんな大通りで売るっていうことは実用と言うよりも個人の嗜好、蒐集品だろう。
「いいですね。こういう風にわかりやすくて」
「こういうのが好きなのか」
「はい。美術品は、わかりやすくて好きです」
「わかりやすい……?」
「自己が無ければ抽象的なイメージを形にできないと思います」
「ああ」
そういうことか。
「伝えたいこと、好きなもの、好きなところ、そういうところがはっきりしているからこそ作品を作れるんだと思います」
目を細めて、いとおしむような瞳だった。いつもの春花らしくない表情に引っかかるところがあった。
「憧れている?」
ふと口に出ていた。言ってから気づいたが、これは踏み込みすぎじゃないか?
「あーその、うん」
咄嗟にはぐらかそうとするもうまく言葉が思い浮かばない。春花もきょとんとしてこちらを見ていた。
「どうしてそう思います?」
「ええっと」
どうする?なんというべきか、考えて。
「好きな理由が明確だから」
「明確……?ですか?」
「ああ。俺も美術館に行ったりするけど、ただ何となくいいから見に行くんだ。そこに深い理由を考えたこともない。けど春花ははっきり言えるだろう。自分と向き合って考えないと具体的に主張できない筈だ」
抽象的な『好き』を具体的な『理由』にするには一度組み立てる必要がある。好きなのに理由は必要ないが、伝えるには言葉を考えなければならない。
そして春花の理由は『はっきりした自己』というものだ。人は持ってないものに憧れる。だから多分彼女は美術品、それを作れる確固たる己を持つ芸術家に憧れているんだと勝手に考えた。
俺は特に好きなものもなく趣味もない人間だから、春花の感性には惹かれるものがあった。一方、断言されたことで春花の意識の方向が固まるのが怖くなった。本当に好きなのか?自分の勘違いを彼女は信じて、指向を変えてしまうんじゃないか怖かった。
どうなんだ、春花の様子を伺う。
顎に手を当てて、うーんと考え込んだ。
「そうですか?特に知識があるわけじゃなくて、ネットとかでもっと詳しい人や好きな人が居ますよ?」
「詳しい人はもっと好きになりたいから知識を求めているんだろう。それでも春花の好きな理由は変わらないだろう?」
「……かも、しれませんね」
曖昧な返答だった。押し付けがましかっただろうか、春花の様子に不安になったが、彼女はどこかすっきりした顔に変わった。
「……そうです!私は美術品が好きです!」
ぱあっと笑った。何故か、今まで見た中で一番晴れた笑顔みたいだった。
「えへへへ」
ガラスから離れ、モールの方へ歩き出した。
「さあ行きましょう!何があるか楽しみです!」
「あ、ああ」
促される通り、春花についていく。先程よりも足取りは軽く、何か吹っ切れたようだった。
春花はどうして嬉しそうなのか?
ネットで自分よりも好きな人を見て落ち込んでいたのか?
今はまだわからないけど、いつか聞かせてもらえればいい。急ぐ理由もない。
今は深入りして、彼女の喜びを曇らせたくなかった。
嬉しそうな春花と話しつつ、すぐにモールに着いた。
いつもと同じ距離だったのに随分早く感じた。
自動ドアの中に入ると、新しい服特有の穏やかな香りが漂ってきた。
「うわぁ……!」
春花は入った途端目を輝かせた。
まず目に入るのは吹き抜けの空間。そこの真上に太陽、月、象を模した細い板を何枚も垂らしたようなオブジェが吊るされている。エキゾチックな雰囲気を醸し出すオブジェは乳白色の床に漆喰のような黒色の柱や壁で統一された空間に、優雅さ、日常からの乖離した空間を作り出していた。その下では店舗とは別に季節代わりのブランドの店舗があり、ガラスとパイプを組み合わせたような棚にブランド物のバッグが並んでいる。
吹き抜けの周りには店舗が囲み、清店舗の独自色を打ち出した様々な店舗があった。共通するのは埃一つないような清潔感と、どれも高そうなことだ。実際に数十万する靴や鞄が並んでいて怖いが。
春花はふらふらと吹き抜けに向かい、真上をじっと見ていた。俺はその一歩後ろで周囲を確認。
どこからどう見ても田舎娘な振舞に恥ずかしさとほほえましさ湧く。だが、ここで目立つのは春花も求めているわけじゃないだろう。
周囲を見渡すと当たりの上品な老夫婦や、スーツを着た女性などがクッション素材のソファに座っていたが誰も気にしていないようだった。
安堵して、春花に話しかけた。
「春花、ちょっと落ち着け。声が大きい」
「えっ……えー、あ」
顔が真っ赤になり体ごとこちらに向けた。
「ご、ごめんなさい」
「次は気を付けてくれ」
「はい。すみません好きな芸術家さんだったから……」
「好きなのか?」
「最上階の美術展とのコラボレーションで……立ったままだと邪魔ですね。話しながら上に行きましょうか」
「ああ」
店に興味がないのに立っていても邪魔だ。それと吹き抜けの側を通るエスカレーターならより近くでオブジェを見れるだろう。
春花は笑顔で頷き、俺たちはエスカレーターに乗り上の階に向かった。
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