2-12
店の前に着き、店の裏の階段前で立ち止まる。
「閉店は七時で、その三十分後に整体に行くから、それまでに夕飯は食べておいてくれ」
「整体って、兄さんの腰の話?」
「……ああ、そうだ」
そういえば腰を痛めてた。渇いた湿布は昼頃にとってそのままだから忘れていた。だがこれで春花に余計な理由付けをしなくて済む。後で連絡して話の辻褄を合わせてもらった方がいいな。
「その時家に一人だと困る。ついて来てくれないか?」
「わかりました。兄さんと一緒に夕飯を食べたいので、整体の後でいいです」
「いいのか?」
「ちょっと遅れてもいいです。一緒に食べたほうがおいしいですよ」
「……凄いこと言うな」
ふいに感心してしまった。いや、まさか、そんな育ちの良さの極みみたいな言葉を聞けると思ってなかった。
春花は不思議そうな目をしている。
「……変ですか?」
「そうじゃない」
一人が楽だったから動揺しているだけだ。とは言えず、他に注意を切り変える。
本当は店を十分ほど抜けて、適当に肉野菜炒めを作って戻るつもりだった。だが、春花の性格がそれを許さないだろう。
「帰った後に俺が夕飯作るか」
「いえ私が夕飯作ります。いいですか?」
「料理をしたことは?」
「ほとんど毎日手伝ってました」
「……火の扱い大丈夫か?」
「火は使わないところですよね?」
「そうなんだが……」
大丈夫か?自信満々な春花に不安になりつつも、手に持っていた買い物袋を渡す。
「味付けは任せるから、フライパンで買った肉と野菜を炒めてくれ。電熱器の使い方が分からなかったらすぐ呼ぶんだ」
「はい!」
キラキラした目で袋を受け取る。おそらく役立てて嬉しいんだろう。来て二日目でこれは後々オーバーヒートで倒れそうだ。
後ろ髪を引かれる思いだが、そろそろ行かねば春花にまた何か言われそうだ。
「小腹が減ったら食べてていいからな」
「ダイジョブです!お昼沢山食べましたから!」
「沢山?そんなに食べたのか」
「調子に乗ってかつカレー大盛食べました!」
「……ちゃんと食べきれたのか!?」
「はい!」
一気に春花がわからなくなった。頭が混乱してきたので、現実に戻るためにも店の裏口に手を伸ばす。
「それじゃあ火の扱いに気を付けてな」
「はい!兄さんも仕事頑張ってください!」
大きく礼をして、階段を駆け上がった。俺はその後姿を目で追って、姿が消えた跡も鍵が閉まる音を聞くまで待っていた。
店を開けた後、月城に春花の帰宅を連絡。『大食いなこと以外異常なし』と伝えると、『それは大食ではない』と返された。価値観の相違に少し悲しむ。
天使の情報については一切知らないみたいで、おそらくフォーラムの違いで集まる情報も違うということらしい。高校生だからおそらく鍵付きSNSの中で流行っているのかもしれないということで、そのあたりを調査してみると返ってきた。本当にありがたい。感謝の文章を送ると、春花をどうにかしろと半ギレの文章が来た。返す言葉もなく、俺は店に意識を戻した。
深々と会計の椅子に座り、無人の店内を一望。それから外を見ると、往来はスーツの人々が多くなって居た。就業時間を終え、道草や用事のためにこの路地に来ている。
座っているだけでは入り辛いだろう。円盤型の掃除機を一旦止め、中のフィルターのごみを取っ払ったり、これからの時期に備えてエアコンの取り付けの目算を打ち出したり、最新式の空調機について調べたり、こまごまとした雑用をしていた。
それを一時間ほど続けたところで視線を感じた。客だろうか、売上表から顔を上げ外に視線を向ける。
スーツ姿のショートヘアの女性が外に立っていた。夏目だ。釣り目を大きくして手招いている。何だろう。誘われるまま外に出る。
「お疲れ様です。すみません仕事中に」
「こっちから頼んだことだ。中には入らないのか?」
「店内調べました?」
「……あ」
「誰に聞かれてるかわかりませんよ」
言われて気づいた。確かに店に関しては盗聴器を調べてなかった。自室が安全ならいいと思っていたからすっかり安全だと思い込んでいて、これじゃダメだ。
「戻ったら調べる」
「そうしてください。あと、これが調査結果です」
夏目が鞄を開き、渡されたのは分厚い封筒だった。
「ありがとう。結構あるな」
「データはハッキングされたので印刷しました。物理的な書類の方が安全です」
「……ありがとう」
本当に危機管理のなさを突かれている。気分夏目の視線が痛い。
「先輩は油断しがちですから、気を付けてくださいね」
「はい」
「それでは」
「あ、そうだ」
「どうしました?」
「天使の動画って聞いたことあるか?この島で撮影されたらしいんだ」
「全然聞いたことありません」
即答だった。警察が知らないということは、事件性が低いということだろうか。
夏目は心配そうな目でこちらを見る。
「なんか足突っ込んでます?」
「別に。ただ、最近高校生の間で流行ってるらしい」
「春花さんから聞きましたか」
「ああ」
「……随分仲良さそうですね」
怪訝な目をしていた。この辺りでまたもや危機管理能力の欠如に気づく。見知らぬ同居人に心を許している時点でなんかおかしいんだ。
「……自衛のために、仲良くしているんだ」
「仲悪くて包丁で刺されるよりはましです。でも油断はせずに」
「あんまりいい結果じゃなかったのか」
「逆です。ちゃんとしたいい子という記録があります」
「いい子なのか」
「はい。ですから尚更その結果どこかにいる兄の場所に引っ越してくるという終着地点とのつながりが分からないんですよ」
「……確かに」
普通に生きていれば生き別れの兄のところへ家族が引っ越してくると言う時点でおかしい。しかも一人、危険に晒しているにも等しい。普通に平穏に暮らしていたなら、こんな強引な手に出る必要がない。余裕がないのか、それとも。
夏目があくびをかみ殺す。暫く立ち話をしていて疲労が出始めている。捜査で忙しかったのだから、とどまらせるのも辛いだろう。
忙しいところ来させてしまったのはこちらだ。まだ聞きたいことはあるが話を切り上げることにした。
「わざわざありがとうな。そろそろ店に戻る」
「いえいえ。あと、あの薬の連中は今日の警察発表で色々出ます。ニュースを見てください。もし質問があるならその後で」
「わかった。できるだけ体調管理はしっかりな」
「最近はロボットが仕事してくれて楽ですよ~ではでは~」
軽く手を振って、ふわあとあくびをしつつ夏目は戻って行った。
店に戻り、盗聴器発見機を取り出して調べる。特に反応は無かった。安心して会計の椅子に座りこむ。
店の信用にかかわることを何故やってなかったのか。自分に不安を覚える。どうやら恐怖感が薄れているらしいと実感する。今までのような日常を過ごすだけなら支障はないが、異常事態の今は油断が過ぎる。
現状把握ができるが、背中を冷汗が伝うような感覚がない。現実感が無かった。さて、どうしたものか。悩み、とりあえず指摘されたことをメモすることにした。メモ帳アプリを開き、今日の月城、夏目の警告を書いておいた。
一応満足してアプリを閉じた。
それから机の上の封筒に目を向ける。流石に個人情報の塊を営業中に開くわけにはいかない。閉店の後、五分くらいしかないが月城と一度目を通すか。
封筒をいったん会計下の引き出しにしまい。帳簿付けに戻った。
それから閉店までの2時間、何人かの客は来たが、冷やかしだけで終わった。
こんな日もある。何もなくてよかったと明るく受け取って、店を閉めた。
三階に行くと、俺を待っていたのか扉の鍵ががガチャリと開いた。促されるままに中に入り、パソコン部屋に入る。
パソコンの前、月城はうんざりした顔で椅子に座っていた。
「すみません」
「何故謝る!?」
スパっと切り捨てられた。そしてはぁと溜息をつく。
「まあいいや。書類の方、見たか?」
「店の中じゃ危ないかと思って見てません」
「……呑気か、万全を尽くしたか。まあいいや、見よう」
「はい」
月城の前に置かれた椅子に座り、封筒を開く。真っ先にマル秘と書かれた紙が現われた。ページをめくると、紙を埋め尽くすように文字が並ぶ。『桜庭春花の調査結果について』と言う題通りに、春花についての個人情報が詳細に書かれていた。俺は急いで文字を追う。読み進めるうちに、段々夏目の言うことが分かってきた。本当に経歴が普通過ぎる。
東京の山近くの市出身であり、そこの能力なしの一市民として過ごしてきた。春花の両親とも接触済みであり、確かにこちらに引っ越すつもりであるという言質得た。春花は地元の幼稚園に入園し、一つ隣駅の小学校に入学し、地元の中学校に入学した。その記録や写真も残っている。地元民の証言も得ていた。だから、『桜庭春花』は存在する。
こちらに転居する際に能力検査は行われており、無能力であることも証明済み。
つまり、彼女は本当にただの少女だと証明していた。
「……どういうことだ?」
月城は呆然とした表情で書類の束を手に取り、一からもう一度読み直す。
「おかしいだろう。こんな普通の少女が、入ってくるなんて」
「本当にただ連絡のない女の子っていう可能性はありませんか?」
「転居するために人の家クラッキングする奴が居るか?」
偶然とか、と言おうと思ったが、睨みつけるような目つきに黙らされる。
確かに、ただ転居するなら彼女の言う通りの両親ならこちらに連絡している筈だ。その前提がおかしい。どんなに本人がまともでも、入り込む過程がおかしいなら何か腹に一物を抱えてる可能性の方が高い。だが、どこも怪しいところがないとなるとこちらも入り込む隙が無い。相手の家に連絡する位しかない。
どうする。腕を組んで悩む。時計を開くとそろそろ下に戻る時間だった。
「……ん?」
突然月城が書類の一点を見つめる。
「どうしました?」
「出身地の方、ニュースで聞いたことがある気がする」
「いい方のニュースですか?」
「悪い方のニュースだ。いつだったか……」
月城は眉間に指をあてて考え込んだ。
「……思い出せない。あまりいいニュースじゃなかったのは確かだ」
「そんなに悪印象が強いニュースだったんですか」
「下手すれば報道規制が敷かれた事件かもしれなかった気がする」
「なんで知っているんですか?」
「嫌がらせメールで何度か添付されたことがある。桜庭が思うよりも暇人はいくらでもいるんだ」
「酷いことする人が要るんですね」
「今はbotで識別している。それよりも、桜庭はどうする」
「……やっぱり、現状維持くらいしかできません」
「そうするしかないよなあ」
くたびれたように月城は項垂れる。出せる手が少なくて困る。警察に調査してもらってこれなら手掛かりは殆どないと言ってもいい。つまり、反抗もできない。何か情報が入るまで、下手な動きはすべきでないと言うのが俺の意見だ。月城も賛成らしい。
月城は顔を上げてこちらを見た。顔は締まりがないが、目の光は鋭い。
「こっちは思い出せるように事件を調べてみる。その間、桜庭は春花の面倒を見ていてくれ」
「そうします。金の方もできればこちらが出すようにします」
「もし足りなくなったら言ってくれ」
「いいんですか?」
「残したところで、三途の川に持って行けない。ただ、春花が変に金使いが荒いときは止めてくれ」
「わかりました」
ひと段落着いたところで時計を見る。七時十分。そろそろ行かねば。
「じゃあこれから春花を連れて沢渡さんのところに行ってきます。もし何か分かれば連絡します」
「了解。書類はこちらで預かっていていいか?」
「春花に見られても困るのでお願いします。ああそうだ」
「何だ?」
「天使の動画について知っていますか?」
「……しじみの生放送で誰かが言ってたな」
「ならよかった」
「それがどうした?」
「仕事の方で関りがあるかもしれません」
「……危険なことに手を出すなよ」
「もしやばそうならすぐに警察に渡します」
「すぐにな。こっちもちょっと調べてみるか」
「ありがとうございます。何かお礼は」
「レモン炭酸三本」
「……わかりました」
レモン炭酸は外の自販機でだけ売っている缶ジュースだ。化学調味料の強い味で癖が強い。ただ、月城は大好きでいつも借りを作らせては買って来させている。それだけで釣り合うのか心配だが。
席から立ち上がり、礼をして玄関に急いだ。
「絶対に忘れるなよー!」
叫びを背後に玄関の扉を閉めた。鍵の閉まる音を聞いて、早足で春花の残る二階に向かった。
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