2-11
学校の前に着いたのは四時五分前。駅前に出ると、春花は既に学校前に立っていた。空で指を動かし、画面を操作しているようだ。
「春花」
近づき声をかける。すぐに顔を上げ、此方を向いた。
「兄さん。お疲れ様です」
頭を下げた。大げさなそぶりに周りを確認する。駅に向かう人々はも自分の帰路を見ていて、俺たちの方は気にしてない。頭を上げた春花に。
「そんな一々頭下げなくていい。兄妹なんだから」
「でも、来たばかりですよ」
「ただの家族で上下は決めたくない」
「居候なら、尚更気を付けるべきじゃないですか?」
「なら俺が言うことに従ってくれ。こういうことは初対面や、久しぶりに会った時くらいでいい」
「……わかりました」
しぶしぶ、と言った風に視線を斜め下に向ける。春花は見た目以上に生真面目な性格かもしれない。ただこちらにとっては厄介なほど丁寧と感じるだけで、育ちの悪さが反映されているのかもしれない。段々接客態度が気になってきた。どこかの企業の接客マニュアルでも落ちてないだろうか。
思考に沈みそうになるが、不満げな春花の表情を見ると飛んだ。流石にこのままでは沢渡さんの下へ連れていけない。
微妙な雰囲気を消すために話題を変える。
「ちょっと買い物して帰るか」
歩き出すとすぐに春花は付いてきた。
春花は嬉しそうに口を開いたが、すぐに不審な顔に変わる。
「今営業中では?」
「スーパーで五分ほどだ。食材を買わないと何もない」
実際冷蔵庫の中は空に近い。ちょうど切れて、夕飯の食材すらない。確かに店が開いているから、すぐ買い物を終わらせるつもりだったが、春花はどこか心配した様子でこちらを見ていた。
「……私が行きましょうか?」
「いや、いい。来たばかりで買い物に慣れてない」
「……そうですね」
大人しく引き下がった。だが、口元に手を当てて考え込んでいる様子だ。思春期特有の潔癖症だ。個人の店だから、結局責任を負うのは俺だからそこまで気にしなくてもいいと思う。
「春花ももし学校で必要なものがあったら言ってくれ」
「今日は大丈夫です」
「そうか」
はっきりと言い切られた。春花なりの気づかいだろう。こちらも気を遣いすぎるのも疲れるだろうし、そろそろ暗くなり始めているから確かに早足で帰った方がいい。
春花のことを知るためにも、この時間は会話に割くべきだ。そう決めて、春花に話しかけた。
「学校はどうだった」
「初めてオフラインで友達と会いました!」
「初対面か」
「はい。学校で一番初めにできた友だちで、津木あかねっていう子です。こっちに来るって言ったら凄い喜んで、今日は休み時間にずっと話してました。今度の土日に遊びに行く約束もしました!」
「早いな」
「ずっと会うのを待ってたので、むしろ遅いくらいです」
「そんなに話すことがあるのか」
「あかねは毎日通学しているから、私の知らない学校のことや島のこと色々教えてくれるんです」
「島のこと?」
「はい。どこが危ないかとか、最近何が流行っているか、とか、噂とか」
「流行……」
その言葉に引っかかった。島内での人気の商品や文化について全然知らないからだ。
俺は仕事以外店から殆ど出ない。試験勉強や知識の蓄積のためだ。ニュースは目を通しているから、全国的な人気の商品や流行は知っているものの、ローカルな情報についてはあまり知らない。それが仕事に関係ない高校生間の人気なら言うまでもない。
あの異音について関連する情報があるかもしれない。可能性は低いが、聞いてみることにした。
「最近はどんなものが流行ってるんだ?」
「最近は昔のもの流行ってるみたいです」
「懐古主義?まだ高校生だろう」
「懐古っていうよりも、今あるものに昔のものを組み合わせる感じですね。蓄音機に外付けでコンポを組み合わせて、ちょっと音質のいいスピーカーにしたり、カリグラフィが流行って、筆ペンが人気ですね。私は飛び出す手紙を今日交換してきました」
「面白いな。メールとかあるのに」
「サーバーが落ちたら消えちゃうじゃないですか」
「SNSの方が楽じゃないか?」
「実感が欲しいんです。数字じゃなく感覚が欲しいんです」
「感覚か」
「そうです。それに最近はSNSも凄い数字の争いみたいになってるから疲れるんです」
「見せ合わなきゃいいんじゃないか?」
「見えちゃうんです。友だちが面白いこと言って5000人の人にフォローされているのに、こっちは6人にしかフォローされてないとか。人気のアカウントは勝手に流れて来るんです」
「それは辛いな」
「しかも宣伝を依頼されてお金稼いだり、ファッションサイトのモデルに選ばれるんですよ」
「……不満か?」
「……モデルの人と比べると……」
「あー」
空を見つめる。
「そういうのは、話題づくりってところだからあまり考えない方がいい」
「ファッション誌なら、モデルさんが目立つ本にしてほしいなあって」
「それは……意見書を送るしかない」
「ですよね……」
どこか納得いかないようだ。若さゆえの潔癖だろうか。春花は腕組をして考え込むそぶりをしたが、すぐに解いた。
「後で送ってみます」
「早いな」
「ここでぐちぐち言ってもイライラするだけです」
驚いた。同時に納得した。嫉妬を覗かせるところで意外だと感じたが、数秒で解消したのはさらに驚いた。俺だったら見なかったふりをして読書や仕事のための勉強に戻る。アプリの閲覧者数を上げるノルマなど大人の事情を考えてしまい、行動に移すほどじゃない。現実を変える気力がない。
おそらく春花の明るい性格は、すぐに暗い気持ちを切り替えて行動に移すからだろう。
「それがいい。すぐに行動できるのはいいな」
「いいことなんですか?」
「悩んでいるのか?」
「そっちのファンの人は喜んでいます」
「別に自分の意見を送るだけだ。通ったとしても、他にも同じような考えの人が増えたとか色々重なったと思った方がいい。伝わるかどうかわからないが、自分の不満をはっきりさせた方がいい」
「……そうですね。ファンの方には申し訳ないけど、こっちも送らないと不満があります」
「丁寧な文章でな。そんなに不満なのか」
「三か月連続で同じような中身になってます」
「……中々辛いな」
まさかそこまでとは。最早何の雑誌かわからなくなっていた。流石に不満を言っても反論できないだろう。
悩み終えて、いつもの調子に戻った春花はこちらを向いた。
「兄さんは流行にあまり興味ないんですか?」
「結構厳しい家だったからあまり見なかったんだ」
「……すみません」
「いい。もう昔のことだ」
やってしまったと、苦虫を噛んだような表情だった。地雷じゃないからそこまで気にしなくてもいいのに。
微妙な雰囲気に戻ってしまった。流石にこれは困ると、別の話題に変える。
「流行っていうと、最近の噂とか知っているか?」
「噂?」
「どこかが危険だとか、変な音が聞こえるとか」
「……そういったのは聞いてませんえね。あ、でも変な話は聞きました」
「うん」
「『天使を見た』とか」
「……ん?」
聞きなれない単語に止まる。春花も半信半疑なようで、首を傾げつつ話す。
「動画ですけど、背中から羽の生えた女の子の動画がどこかにあるらしくて。逸れの撮影地が鳩島らしいんです」
「CG映像じゃないのか?」
「多分そうだと思うんですけど、私も映像を見たことなくて」
「俺も見たことないな」
同人制作の映像技術も十数年前と比べるとはるかに上がった。心霊映像も本当にありえそうなものになっていて、それがたまに撮影近隣住民からクレームが出るほどだ。そんなに精巧な映像ならなら、ネット漬かる月城なら知っているかもしれない。後で聞いてみるか。
「あかね凄い興奮してたんですよ。本当に居るのかもって」
「危ないから路地裏には行くなよ」
「わかってます。でも、本当に居るんですかね、天使って」
「わからないな」
「私もです」
「居たらどうする」
「……服、選んであげたいです」
「確かに」
後ろの羽で着れる服は少ないだろう。観点に春花の優しさが出ていた。
これ以上聞けることはない。動画を見てから追加情報を聞いてみよう。話題を切り上げて、質問に戻る。
「他は……何かあるか?」
「言えません」
突然断言された。
「どうして」
「ここから先は、女の子の話題です」
「そう、か……」
それは無理だ。異性の俺には立ち入れない高い壁が立ちはだかった。具体的な理由もないのに聞ける内容じゃなさそうだ。
これ以上のよもやま話は諦めて、気になっていた学校の手続きなどについて尋ねた。
「学校で何かおかしなことは無かったか?」
「おかしなことですか?」
「例えば書類に不備があるとか」
「全然。手続きについてはこちらに来る前に済ませてあります。今日はもう引っ越し先の住所確認だけで、すぐに授業を受けられました」
「そうか、ならよかった」
「あ、事務手続きで思い出したんですけど」
「ああ」
「事務のお姉さんがかっこいいって言ってました」
「……うん?」
「いいお兄ちゃんだねって」
「本当に?」
「嘘ついてどうするんです」
むっとした顔に変わった。
「お兄ちゃんはもっと自分に自信持ってください。私も初めて見た時からかっこいいなあって思ってました」
「えええ」
お世辞だろうか。内心喜ぶ。が、すぐに冷静になる。
申し訳ないが、好意は受け取れない。受付の彼女はどこかの誰かと幸せにやってほしいと祈る。目の前の女子高校生には……どうすればいいんだ。
思春期の気づかいか本気かわからない言葉を処理できずそれ以降は暫く何を離したのか覚えてない。
ざわつく歩道をぼんやりと進み、大通りのコンビニで野菜炒めのパッケージと冷凍肉を買った。
その間、春花は何故か値札を注意深く見つめていた。考えていることは予想できたが、機嫌を損ねないためにも黙っていた。
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