2-9
その後皿を返しに行った。金衛さんはニヤッと笑って、「仲良くしなよ、お兄ちゃん」と顔を近づけて終わった。昨日のことを引きずる様子は見られない。それは良かった。何か勘違いされているようだが、疑われたら困るから多少の心労と引き換えに放置。
それから店に戻り、開店。午前中は悲しいことに冷やかししか来なかった。仕方ないとここ最近のニュースを検索して正午になった。店を閉めて張り紙を貼ってsとに出た二階で昼食を食べ終え、工具を持って点検に向かった。
真っ青な青空の下、昼下がりの通りを歩く。食事時の過ぎた裏通りは人がまばらだった。仕事終わりのサラリーマンや授業終わりの学生が立ち寄るこの通りを歩くのはこれはこれで危険かもしれない。夜に開く店も多く、半分くらいはシャッターが下りていた。もの悲しさが漂う通りを進み、右に曲がる。小さな公園に出た。真っ赤なタコ型の遊具が目立っている。
その横を通り、しばらく行くと右手に大きな道場が見えた。今日の点検先であり、元上司の仕事場だった。木製の塀に囲まれ、最新式の鍵のついた木の扉がぽつん佇む。周りはコンクリートのビルばかりだから、多少どころか相当浮いている。ただ、漂う木の香りが落ち着かせるのか、とても居心地のいい場所だ。
門の隣に『道場 整体』と書かれた看板がかかっている。あまりにもシンプルなのが本人の性格を表している。
門横のインターホンを押す。少し待つと、『はい沢渡です』とどこかのんびりした声が返ってきた。元気そうでよかった。一人暮らしだから少し不安があったが、弱っているそぶりはない。俺はすぐに事務的な口調で返事を返した。
「こんにちは。エアコンの点検に来ました、桜庭電器屋です」
『桜庭君か。今日は来てくれてありがとう。さあ、入って入って』
パーティーの主催者のような口調に苦笑する。かちゃと鍵が開き、扉を引く。ちょっとした庭園があり、正面に硝子戸をあけて腰掛けている沢渡さんが居た。休憩中か、藍色の作務衣を着ている。隣には盆の上に茶菓子と緑茶が乗っている。枯れ木のような印象の沢渡さんはこちらを向き立ち上がった。
「今日は頼むよ」
「はい。よろしくお願いします」
頭を下げる。沢渡さんははにかみ、盆を持ち上げた。
「玄関を開けるから、その後は、知っているだろうがエアコンの方を頼むよ」
「わかりました」
硝子戸を閉めて玄関の方へ姿を消す。すぐに玄関から鍵の開く音がした。
「最近どう?」
沢渡さんから何気なしに話しかけてきた。道場の真裏、マスクをつけて青空の下フィルター掃除を行っていると、いつも沢渡さんは側に立って話しかけて来る。
この人は元特捜の上司であり、結構仲良かったらしいが、記憶に一切ない。どうも俺が記憶喪失になった爆発事件の直後にやめたらしい。理由は聞きたいが、記憶喪失の俺が聞いてもいいものか、踏み込みすぎではと足踏みしている。自分のせいだと言わないだろうが、どこか申し訳なさが残る。
そんな俺の心情に反して、一年前、開店したばかりの店に点検の依頼を貰ってから毎月呼ばれている。小さな店だから本当にありがたい。今回みたく特に故障のないときは、フィルターを掃除して雑談して帰る。老体にはきついからやってもらってるらしいが、整体と道場できるなら一人でできそうだが。おそらく俺と話しをしたいのだろう。いつも点検の時間は予約を空けているのか必ず同席する。いつも世間話して終わる。特に機嫌が悪くもなく、ただ時間が過ぎて終わりだ。こちらはいろいろ聞きたいことはあるが、業務に集中することを優先している。だが今日はそうじゃない。
俺は包み隠さず昨日のことを話した。
「昨日、事件に巻き込まれました。それと、妹らしき女の子が家に居ました」
「妹?君、兄弟は兄だけだろう?」
「そうなんですよ」
「事件と関係あるのかい?」
「おそらくはないかと……」
ふうんと沢渡さんは口に手を当て、考えるようなそぶりをする。こちらはフィルターのブラシがけが五分の一ほど終わった。灰色のフィルターに白が戻る。
「事件って、昨日の薬の密売人の話かい」
「そうですね。相手の手の内を見透かしたら、ばれて女の子共々追われました。何とか倒せましたから良かったですが、冷汗かきました」
「冷汗で済んだならいいじゃないか。確か、大学生だった」
「良く知ってますね」
「近所の人がよく来るんだ。人だかりを見たらしいね」
「あー」
半分ほどの掃除が終わり、額の汗をぬぐう。五月になったばかりだけど、昼過ぎは暑い。
「大騒ぎしすぎましたね」
「いいんじゃない?証拠が残った方が立件しやすい」
「今回はドローンに擬態してましたから、特にそうかもしれませんね」
「猫型かぁ。規制されてるよね」
「海外から違法に輸入したか、自作か、特注か、ですね」
「可能性が高いのは輸入か」
「薬を詰めて持ってくる方が一々詰め直さなくてもいいのと、あと隠せます」
「ドローンは部品を輸入して組み立てているよ。それはどうだろう」
「……全然わかりません」
フィルターの埃がほとんどとれた。軽くはたき、全体を見渡す。白が戻ってきている。後は洗って、乾かせばいい。その間に中の方を掃除しよう。
フィルター真後ろの水道で水洗いし、日の当たる場所に置く。
振り向いて、工具箱から小さい箒を取り出す。
「埃払います。戻った方がいいんじゃないですか」
「こっちは風上だし、離れているから大丈夫」
「……そうですか」
確かに二メートルほど離れている。心配だが、中に引っ込ませるだけの言葉は思いつかなかった。
それよりも昨日の事件が気になるらしい。俺はあまり力を入れないように、広がらないように埃を払い始める。
「他に知っていることは?」
「新聞発表のもののみです。後は本当に夏目の方からの連絡と、警察からの呼び出しくらいですね」
「訴訟する?」
「全然。ただ、原因を突き止めて欲しいだけです。家の周りにも来てほしくないですね」
「特定人物登録すれば後はいいのかい」
「今のところ仕事の邪魔とかは無いので、時間の無駄ですね」
「ふうん……」
どこか引っかかることがあるのか、明後日の方を見つめる。
「何かあります?」
「たかが猫といっても沢山いるなら、港の方でも不思議に思われてないかと思ってさ」
「どうも警察の方でも協力者いるんじゃないかと疑われてます」
「困るね。あそこ、企業と政府で共同運営しているんだろう」
「はい」
ナノマシンはこの島を牛耳る企業と政府が協力して開発している。倫理や生活の全てを変えるものであり、非常に危険なものであるため基本他企業とは独立している。寡占法違反じゃないかとか言われることもあるが、競争になった方が何が出て来るかわからなくて怖い。だからナノマシンの構成物質の搬入は非常に厳重に管理されている。そんな場所で薬の密輸入が起こるのは信用問題にかかわる。そもそも鳩島を作ったのも、産業スパイを警戒して作り出したものだ。それだけじゃなく、超能力者の流刑所みたいな側面もあるが。
「夏目も、何に引っかかってるんでしょう」
「さあね。でも、何かあるってことは確かだろう」
ぼんやり明後日の方を見つめていたが、何か思い出したように体を起こした。
「そうだ。何か集会するみたいだけど知っているかい?」
「集会?規制されたはず」
この島では、夜十時以降の二十人以上の集会はどんな理由であれ認められていない。危険性と、海に落ちる可能性のためである。
「開催日時は正午、警察に申請してあれば合法だよ。ただ、どうかね」
「……やばいんですか」
「ナノマシン反対集会だって」
「……本島でやればいいのに」
「だよねえ。わざわざ敵の懐に入らなくても」
「ですね。俺みたいなやつが多いのに」
はあと深くため息をついた。
人間の自立精神を取り戻せと言う主張を持つ連中は最近増えている。安全で平和な日々が続くかららしい。正直思うのはいいんだが、過激派の明日から廃止すべきという主張には反対だった。俺の義肢がここまで高性能なのは、ナノマシンと連動しているからであり、そもそも爆発による全身やけどから生き残れたのはナノマシンの効用である。それだけでなく、鳩島では超能力を使って仕事している人も本島よりも割合が高い。だから企業があるとはいえ、ここで集会を行うのは全く効果がない。それどころか悪印象もあるだろう。
沢渡さんも、人の気の流れが見えるという能力を持ち、それを生かして武道や整体に生かしている。今更能力を失って生きて行けと言われても困る側だろう。
「血気盛んなのはいいけど、あまりいい案じゃないね」
沢渡さんは皮肉気に笑っていた。
「どこでやります?」
「行くのかい?」
「逆です。絶対に避けたいです」
「僕もだよ。どうも、今週の土曜日企業前に集まるらしい」
「ありがとうございます。どこで知りました?」
「スパムメール」
「うわ、そこまでして人を集めたいんですか」
「そこなんだよ不思議なのは」
沢渡さんは肘を立て、人差し指を伸ばす。
「誰が集会を企てたのかわからないんだ」
「……メールにも書いてなかったんですか」
「ああ。全く。おそらく文体も、どこかの文章生成ボットを使って特徴を消している」
「ただ集まれってことですか」
「それか、何かしらの暗号だね」
「暗号……」
「呼び出したのは市民じゃなく、特定の誰かを呼んでいるのかも」
「……それは、警察の方からの情報ですか?」
「いいや。僕の勘」
「勘ですか……」
沢渡さんは長年警察関係に携わってきたからか、特に事件に関して勘が鋭い。たかが勘、されど勘。土曜日は警戒しておいた方がいいだろう。
「土曜日は大人しくしておきます。それと、自称妹がきてまして」
「それか。うーん、僕が思うには保険金をしかけられてないか確認してくれ」
「そっちですか」
「一番警戒すべきはそっちだろう。ハッカーの方は君がどうこうできるわけじゃない、まず身近な場所を警戒すべきだ。確か昔、子供のような見た目の成人が養子になって遺産を狙う事件があったろう。その可能性も否めない」
「どう見ても十代でした」
「メイクや整形である程度は騙せる。それと、記憶の改ざんの可能性もあるよ」
「記憶の改ざんなんてできるんですか」
「むしろ洗脳の方が近いか。頭に電気を流して、映像を視させることで疑似的に人格と経験を作り上げるという技術はあるらしい」
「妹が洗脳されたということですか」
「さあね。わからないけど、とりあえずこの後暇なら顔を見せに来てくれない?何かわかるかもしれない」
「午後四時に迎えに行きますから、その時でいいですか?」
「ちょっと遅れてもいいかい?」
「なら、閉店が七時なので七時半くらいに行くのはどうですか」
「それでいいや。適当にいい整体師が居るから、疲れを取りに行こうとか言って誘ってくれ」
「……なんだか危険な言い方ですね」
「……うーん、言葉って難しいな」
首をひねっている。どんなに勘が鋭くても、思春期の少女との会話には苦労するようだ。どこか老いを感じざるをえなかった。
そのまま会話をしつつ掃除は終わり、礼をして店にもどる。
結局少女のことは一度見て見ないとわからないということらしい。クラッキングは専門外だから仕方ないとはいえ、遅々として進まない事態に少し苛立ちを覚え始めた。
だが勝手に動いたところで悪化するだけなので、店に戻ると同時に会計の前に座り、メールの整理をする。客が来るまでと決めて、メールを確認。だが沢渡さんの言うメールは無かった。月城が消したのか?後で春花が帰ってきたときに聞いてみよう。
メールのウィンドウを閉じるとほぼ同時、来店者の姿があった。
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