2-6

 窓から穏やかな朝日が差している。それをぼんやり見つつ、フライパンの上で卵を焼いている。目の前のボックスの料理法通りに、ベーコンの上に置いた卵二つが白く変わったところでひっくり返す。画像認識が働き、OKと出て次の過程を表示する。

 エリスは食事についても教えてくれる。冷蔵庫と提携すれば、中にあるもので適当なレシピを提案する。しかも簡単、時短、時間がある人向け、と使用者の料理技術に対応したレシピをいくつか提案する。料理をあまり凝らない俺にとってはありがたい昨日だった。もっぱら使うのは朝食と昼食くらいだけど、作ると楽だ。自分好みの味にできるのは手料理の良さだ。それはそれとして、春花は卵嫌いだろうか。IDのからして、アレルギーがないのはよく知っているが。

「おはようございます!」

 そう思っていると春花は部屋から飛び出てきた。スラックス姿だ。髪の毛も整えていない。

「おはよう。まだ寝てても良かったんだが」

「でも居候ですから……」

 困ったように立ちすくんでいる。自然体でいればいいんじゃないかと思ったが、そうはいかないか。

 春花の立場に立つと、見知らぬ兄の居城で同ふるまうべきか困っている。

 またお互いのことも知らないのだから、俺が何をしてほしいかもわからない。

 ……なら、放っておくべきでもないか。

「食器棚からみそ汁とご飯用の食器を持って行ってくれ。陶器の茶碗と木の器が二つある」

「わかりました!」

 明るい表情に変わる。やっぱり悩んでいたのだろう。内心安堵する。

 春花がこちらに歩いてくる。俺はフライパンの方へ視線を向ける。半分返して、下を確認する。焦げ茶色のちょうどいい焼き目がついていた。画像認識装置が起動し、サーモグラフィーで中まで焼けているか確認し、OKと出た。

 キッチン横の食器棚の前で食器を取り出している春花に声をかける。

「春花、今日は目玉焼きだ。卵黄は半熟がいいか?」

「それでお願いします!」

「わかった。何かける?」

「醤油にします」

「醤油か……」

「珍しいですか?」

「いや、かける塩コショウの量を考えてた」

「あまり気にしなくていいですよ」

「そうなのか?」

「そうですよ。結構繊細なんですね」

「金衛さんの中華料理の店を手伝った時、気にしてたんだ。常連客の中に血糖値を気にする人が居て、知ってたから味薄目にしたり配慮してた」

「丁寧」

「じゃなきゃチェーン店に客を取られるって言っていた」

「個人店ですよね。人数はずっと少ないのに」

「ずっと立ってるから、客を覚えるんだよ。それに顔見たらわかるから準備できる余裕はあるのと、相手の方も忙しすぎるときは来ないらしい」

 火を止めて、用意しておいた皿に移す。

「お客さんとと店の人で信頼関係ができているんですね~。いいお店です」

 春花は食器を持ってリビングに向かった。

「本当にな。ああいうところはめったにないからありがたい」

 フライパンをシンクに置いて、水につける。手を洗ってから目玉焼きを持っていく。同時にリビングで炊飯器からタイマーが鳴った。その横の加圧式調理装置はまだ湯気を出している。もう少しかかるだろう。

「春花、適当にご飯を盛っておいてくれ。味噌汁の方は湯気が止まったら入れてくれ」

「わかりました。量の方は」

「多めで」

「はい!」

 俺は冷蔵庫に向かい、ソースと醤油、しば漬けの入ったタッパー、昨日の余りの青椒肉絲を取り出す。レンジに入れ替えたものを入れて加熱する。その間に小皿を食器棚から持ち出して、調味料とともに持っていく。

 机の上には湯気の出たごはんとみそ汁が乗っていた。春花は味噌汁を持って机に運ぶところだった。こちらを見て、手元に注目する。

「終わったら座っててくれ」

「はい」

「昨日の余りを持ってくる。しば漬けも」

「しば漬け?」

「好きなんだ……漬物」

「おいしいですよね漬物。私も好きです」

「よかった」

 内心喜ぶ。健康食として再注目され始めている漬物は人気があるが、アレンジ料理として加工されまくっている。しかし、俺はそのままの漬物が好きである。十分おいしいんだけどな。まあいいか。少しだけ溜飲が下がった。

 皿を準備し、バランスの悪い料理を揃えてから座る。昨日と同じくお互いに手を合わせて挨拶する。

「いただきます」

「いただきます」

 手を離して、お互いに食事を始める。エリスによって食事時には『いただきます』を言うことをほぼ義務付けられている。破るほどの理由はないし、言った方が気分がいいということでやっている。特に反対する人もいないしな。

 昨日の残りと漬物を小皿に取ると尚更食事の色のなさを感じる。というか、新鮮な野菜がない。

 ちらと春花に視線を向ける。彼女は目玉焼きを二つに割り、ソースをかけていた。どう思っているのかわからない。

「もう少し野菜とかあった方がいいか」

「え?」

「こう……朝からこれは、地味じゃないか?」

「……うーん、私は味噌汁と御飯があればいいかなって」

「シンプルだな」

「寝起きなのであまり胃が受け付けなくて、あ、でもあれば食べます。ただ朝からとんかつとかじゃなきゃあまり気にしません」

「そうか」

 気にしすぎか。とは思ったが、無理しているのではと邪推してしまう。明日の朝食に試しにカットキャベツ置いてみよう。

 いや、その前に。

「春花は何か苦手なものはあるか?」

「苦手なもの……」

 ピーマンを持ち上げて考え込むように数秒間注視した。

「生焼けのケーキです」

「それはまたどうして」

「昔頑張ったんですけど全部失敗して……それ全部自分で消費して、あれ以来難しいお菓子はやってません」

「ああ、お菓子作るのか」

「クッキーみたいな簡単なものなのでそこまでうまくないんです。ただ、外で買うものってどうしても健康に注視しているので当たりはずれ激しいから勝手に量を調整できる手作りの方が好きです」

「へえ。今度作ってみないか」

「えっ」

「あまり機器は揃ってないけど、気が向いたらやってみて調子を見てくれ」

「ええと、いいんですか」

「お菓子作り好きじゃないのか?」

「いや……でも、電気代とか、食費とか」

「クッキー焼いたことないんだ。どれくらいかかるかも、その時に見る」

「ありがとうございます!」

 春花は笑った。機嫌が良くなり、顔色もよくなった。ふと毒盛られたらどうしようかと浮かんだが、そのあたりは識別アプリを検索して入れるしかない。まあ多分この喜びようなら、料理を任せるのはまだ危険にしても、オーブンくらいなら多分大丈夫だろう。

「兄さんは苦手なものとかあります?」

「特にないな。あく抜きの失敗したタケノコとか、料理法を間違えなければ大体いける」

「わかります。結構きつくて頭ガンガン来ます」

 後は緊張感のある場での食事。とは言えなかった。

 お互いにあれこれ話に花を咲かせつつ食べ終えた。

 俺が皿を洗って、春花が机の上を拭く。作業の間、今日の予定を再確認する。

「今日は学校に行くんだよな」

「はい。本校に行って、書類を渡したりや説明を受けた後、四時まで授業を受けてきます」

「オンライン授業を学校で受けるのか?」

「オンラインの配信元が本校です。だから今日は実際の授業を受ける形ですね」

「成程。昼食はどうする?」

「ええと、本校に学食があって、一回無料券があるので試しに食べてきます」

「そんなのがあるのか」

「授業を受けたり、テストでいい点を取ると貰えます。緩い奨学金みたいなものですね。ものすごくいい成績を残すと、ポイントで学費全額返還というシステムもあるんです」

「それはいいな。結果が数字で残るのはやる気が出るだろう」

「その分サボった分も結果が出て辛いですね」

 はははと乾いた笑い。確かに自分の才能の限界や怠惰を見せつけられるのは中々辛い。オンラインというサボる奴はサボるシステムの有用性を考えた結果か。俺はあまりいい生徒じゃなかった。もしこの学校に通っていたらへし折れてそうだ。

 洗い終わった皿を機械に放り込み、スイッチを入れる。

「これからは本校に通うことになるのか?」

「いえ。週二、三くらいになります」

「?いいのか?」

「私、教室みたいに沢山の人が一つのところに敷き詰められる場所にずっといると息苦しくなるんです。だから無理に通学すると、次の日熱が出るんです」

「そうだったのか」

 密室恐怖症だろうか。まあそういう人もいるだろう。

「わかった、もし気になることがあれば言ってくれ」

「はい。後でどういった場所が苦手か、診断書を見ますか?」

「もしよければ頼む。どこが苦手か知りたい」

「はい!」

 春花は元気に答えた。

 なんだか掘り下げずに過ごしてしまった。ただ、もし掘り下げて地雷が現われたら困る。催眠アプリを違法ダウンロードさせて、特定ワードで暴走させる事件もある。今のところは必要な情報だけでいい。突然距離を詰めるのは問題を増やす可能性がある。特に、思春期の少女という爆弾に対しては。

「今日二時に点検の仕事が入ってる。だから一時半から最低三時までは急ぎの用じゃなきゃ連絡が繋がらないと思っていてほしい」

「わかりました」

「四時までに終われば点検の帰りに迎えに行ける。もし行けそうになければ連絡入れるから、まあ正直待たなくていい」

「迎えに来なくても大丈夫ですよ」

「心配なんだ」

「……あー」

 春花は顔を逸らした。やはり高校生を送るのはやりすぎだろうか。思春期の扱い方が分からない。ただ昨日の事件で一人歩きさせるのは心配だった。春花が拒否しようが俺は迎えに行くことは決めていた。

「帰り際に簡単な買い物はできるが、店は七時までだから今日はあまり出歩けない。もし用があるなら明日は定休日だから、その時に街を案内して、日用品も買いたい。それでいいか?」

「明日は半日なので、正午以降なら大丈夫です」

「ならよかった。ベッドってこっちに持ってくることになってるか?」

「いえ。ベッド代も含めた引っ越し代を貰ってます」

「ベッド代もか」

「私のベッドのバネが壊れちゃったんです。十数年使ったから仕方ないんですが、区切りがいいですね。あ、あと二人がくるまでのしばらくの生活費ももらってます」

「それはありがたいな。後で礼を言っておこう」

 心の中で、と付け足す。日常では基本電子マネーで物品を買う。子供には使いすぎないように貨幣やチャージ式の電子マネーを使う場合が多いが、後者なら銀行に口座を登録する必要がある。勿論個人情報は必要だ。どれだけの金額を貯蓄しているのか、いつ振り込まれたのか、当然記録は残る。何か手掛かりになるかもしれない、後で口座を見せてもらうか。

 春花は机を拭き終えて、台拭きを持ってシンクに向かう。布巾を洗っていると、思いついたように「あ」と言った。

「なら明日は家で授業受けますね。外に出ると家に戻って二度手間です」

「クラスメイトや先生と話したりしなくていいのか?」

「オンラインアバターで会えるので大丈夫です。昨日もここに来る途中で連絡とってたんですよ!」

 ニコニコと笑う。本当に楽しそうだ。

「学校、楽しみか?」

「はい!」

 快活に笑う。そこに俺は胸の痛みを感じた。

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