2-5

 春花が戻ってきたのは三分後。俺が湿布貼りに苦戦しているときだった。思ったより早い。背中を痛めないようにゆっくり引き戸を開けてリビングを見る。そこにはどこか満足げな春花が居た。トレイの上には注文品だけでなく、深い小皿が二つあった。残りはキッチンの方に置かれている。

 服装を整えてから背中をこすりつつ扉を開ける。

「ありがとう。一人で持ってきたのか」

「いえ、さっき家の前まで店長さんと一緒に」

「そうか。皿を返す時に礼を言っておく」

「私ももし会えたらお礼します!本当にいい人ですね~」

 ニコニコ机の上に皿を並べる。キッチンの食器棚から小皿と割箸を取り出して机に戻ると、見慣れぬ小皿の中には何故か頼んでない杏仁豆腐が入っていた。

「杏仁豆腐?」

「店長さんの計らいだそうです。今日の仕事の分らしいです」

「……仕事」

 机に座り、皿と箸を置いてから頭を抱えた。

 わかりやすいほどの謝礼だ。勝手な行動をして勝手に謝礼を貰う。これじゃあただの礼金の押し付けじゃないか。確かに金衛さんは心配していて、俺を何度もたしなめた。結果暴漢に襲われてしかもたしなめた本人からお礼を貰う。これじゃ強盗と変わりない。ああ恥ずかしい。

 顔が熱くなる。見知らぬ少女の前でやることじゃない。尚更みじめになって熱は引きそうになかった。

 春花は俺の前の席に座り不思議そうに首を傾げた。

「どうしました?」

「い、や、何でもない」

「……もしかして、杏仁豆腐好きなんですか?」

「……そこまでじゃない。ただこの杏仁豆腐はおいしい」

「おいしい杏仁豆腐……楽しみです!」

「ははは」

 乾いた笑いで冷静にさせた。熱は引いて苦い気分だけが残った。

 春花は注文品を各々の前にに並べている。

 料理への期待に満ちた表情に、店長への印象が分かるものの、言葉で聞きたかった。

「店長どうだった?」

「すごくいい人でした。私が来たばかりで、こっちに慣れてないってわかると狭いからすぐに覚えるって励ましてくれました。もし時間ができたら店の方に顔を出して、話に来て欲しいって」

 金衛さんらしい。こちらに来てまだ数日の春花は知人も居ないこの土地で一から生活を始める。人脈を作るまで、地盤が固めるまでの足元の覚束なさを俺は良く知っている。声をかけてくれたなら、少しは助けになったかもしれない。

 妙な事態に巻き込まれる危険性以上に、春花の情緒不安定による失踪を避けるべきと納得させる。

「金衛さんの店はちょっとした集まりにいいから、色々聞いてるんだ。女性だから、俺に話しにくいことがあれば気楽に行って」

「そうですね。でもしばらくは兄さんの側にいます」

 彼女は決意したように、どこか幸せそうに俺を見た。

「店長さんが、兄さんのことほめてましたよ。すごくまじめでいい人だって」

 思ってもみなかった言葉に動揺する。けなすこそすれほめる理由がない。

「……そんな、買い被りだ」

 喉の詰まった声だった。否定するように春花ははっきり言う。

「でも今日助けてくれました。だから私は信じます」

「……」

 机の上の杏仁豆腐へ視線を移す。クコの実の乗った杏仁豆腐は、金衛さんへ返品できるものじゃない。結局これは俺への感謝の形であり、押し付けた謝礼でもあった。

 今できることと言えば、きれいに食べて、皿を綺麗にして、春花とうまくやり、金衛さんへお礼を言って自分の身の振り方を変える。

 過去は不変であり、未来は可変。ならば、二人の期待に応えるのが最大の感謝だった。

「……わかった。応えられるよう、努力する」

「今でも十分ですよ」

「俺自身は納得していない」

「そういうところが真面目なんです」

「……麺が伸びる。食べるか」

「はい!」

 春花はふふふと笑い、皿の前で手を合わせた。俺も続いて手を合わせる。

「いただきます」

「いただきます!」

 こうして俺たちは料理を食べ始めた。

 担々麺をすすると、濃厚な味噌の風味とピリと利いた唐辛子、香ばしい山椒の風味が口の中に広がる。うん、おいしい。だが辛みや風味が結構強い。

 子供にはきついか?気になって春花の様子を伺う。少女は小皿に取ったエビチリを一匹口にして、笑顔になった。

「……おいしい……!」

 満足げな表情だった。純粋な幸福を表した笑みは、恥ずかしさや後悔、奇妙な状況のことを忘れさせた。

 こんなに食事って幸せなものだったか?

 不思議に思うほど箸が進み、会話も進み、とても楽しい夜は過ぎて行った。

                *

 電気を消した自室。本や事務用品はとりあえずリビングに移動させてあるが、ほこりっぽさはまだ残っている。

 今日は食事を終え、片づけを終え、春花の部屋に布団を敷いて終わった。

 すべきことはいくらでもあったが、体力がない。風呂に入ったところで眠気が襲い掛かり、布団を敷くときはもうふらふらだった。何とか残った気力で怪我しそうなものは全部リビングに移して布団に入った。隣の部屋の春花も、部屋を暗くしてすぐに静かになった。疲れてたのは俺だけじゃないみたいだ。

 体を仰向けにして、天井を眺める。ぼんやりしていると、白天井に今日の記憶が映り始める。

 金衛さんに依頼されて、勝手に歩き回り、春花と出会い、何なんだかわからん男たちに追われ、倒して、家に帰って、春花が居た。店にこもって勉強したり、修理に出かけてただけの昨日までとはずいぶん変わった。明日客が来るかという焦燥感と、他まどろみのような退屈さ、孤独で満ちていた日々は遠い昔になりそうだ。これからは、どうなるんだろう。食べていけるかという不安とはまた違う得体のしれない不安があった。

 救いは春花とはやっていけれそうなことだ。今のところは。

 全て演技かもしれないが、敵意が無いのはまだ生かされてると考えていい。振舞も見た目相応なものだから、此方は十代半ばの少女を相手する態度でいい。

 ……どう相手すればいいんだ?

 インターネット中毒回避のためのアプリがインストールされており、布団の上ではアプリの会社へ面倒な手続きをしなければネットはつなげない。だから今はわずかな十代の記憶を辿るべきだが、春花のような真っすぐな少女と交流してないためすぐに切り替える。数年の記憶だがろくな思い出がなく、ただ胸を痛めただけだった。というか十代同士じゃなく、年上との交流方法、しかも義妹との交流法を検索した方がいいんじゃないかと気づき、尚更無駄足で終わったことに気が滅入る。

 頭を横に向けて、春花の部屋へつながる引き戸へ視線を向ける。

「とりあえず鍵買うか……」

 十代は異性へ繊細である。本からの知識を思い出し、メモ帳を起動させて書き込む。

 とりあえず洗濯籠を増やしておこう。『兄さんとは洗濯物を別にしたい』といつ言われてもいいように。乾燥機付きの洗濯機で乾燥まで行い、殺菌するのが昨今の選択事情だ。洗濯物の置き場所も考えなくては。明日は春花を学校に送ってから、俺は店へ戻る。点検依頼が入っている。あの人のところなら閉店時間の19時までには確実に終わるだろう。明後日は定休日だから、明日できることは優先順位の高いものだけにしておこう。春花も昨日今日では忙しい。それだけじゃなく下手すれば学校の手続きに問題が起きる。その時のために点検で連絡が繋がらない時間帯を教えておいて……。

 色々考えると段々目が覚め、結局寝たのは夜の一時だった。

 



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