2-4

『おかけになった電話番号は現在通信の繋がらない……』

 電話を切る。本のタワーを床に置き、軽く背中を逸らす。ぴきぴきといい音がした。ナノマシンは身体強化に役立っているが、疲労そのものは残る。

 運びながら夏目に電話したが繋がらない。通信を切っているか業務用のものに変えているらしい。メールの返信もないならもうできることはない。

 あちらは目前の問題で、こちらは輪郭も掴めていない。見ず知らずの少女が転がり込んでいるとか普通思いつかないのは当然で、春花が襲ってこない限り早急に呼び出すのは不可能に近い。後は天に任せるしかなかった。あまりの無力さにため息をついた。残るはいつでも警察に通報できるように番号を控えて置くくらいしかない。

 そういえば春花はどうしているだろう。物置を見渡すと、本の山と不必要な器具は殆ど移動してあり、部屋は半分空になっていた。呼ぶついでに様子見するか。

「春花、こっち来てくれないか」

 返事はない。

「どうした?」

 まさか出て行ったか?

 静かにリビングへの扉を開ける。そこにはいなかった。ただ、空いたトランクとそこから覗く……下着。

 下着。

 女ものの下着が服の上に載っていた。

「……風呂か!」

 一人合点。瞬時に見なかったことにして部屋に戻る。ぱあんと大音を立てて勢いよく扉が閉まった。

 誰もいない部屋で早くなる呼吸を整える。胸元に手を置き、真っ暗な外を見た。

「俺は掃除をしている……リビングには何もない……」

 一人呟いて残った本の棚を持ち上げる。と同時に。

「うわー!」

 リビングからどたたたと足音が響いた。これだけで感情がよく伝わってくる。俺がやったことに気づいたらしい。ガチャガチャとトランクをいじる音がした。

「ごめんなさーい!勝手に作業用の服に着替えてました!」

「そうかスカートじゃあ動きにくいもんな!でも一言欲しかった!」

「すみません。恥ずかしくて!」

「恥ずかし……」

 ませてるねぇ!扉の向こうの春花が真っ赤になっている様子が目に浮かぶ。

「そんな……兄妹だろう」

「でも……助けてくれたのが……かっこよかったんです……」

「ぶ!ああっ!?」

 吹き出した。同時に本棚の重みが背中に響く。

 物々しく音を立てて隣の部屋に放り込む。本棚は倒れたが、何とか俺の部屋に移った。だが俺の背中は駄目だった。四つん這いになり、右手で背中を抑える。

「大丈夫ですか!?」

「多分!」

 あわただしく声をかける春花を心配させまいと声を張り上げる。次に小声でエリスに語り掛ける。

「エリス、背中の様子はどうだ」

 数秒後に無機質な返答が来た。

『背筋の筋肉痛です。湿布を貼ることを推奨します。もし違和感などがあればすぐにこちらの病院に連絡をしてください』

 目の前に成人男性の後姿の絵が現われ、背中の丁度痛みを感じる部分に赤い丸が書いてある。その横に推奨される湿布の商品名が並び、緊急時の病院の電話番号が下に三行表示された。とりあえず大丈夫そうだ。

 体をくぐるように下から部屋を見渡す。後は軽いものしかない。掃除は任せてもよさそうだ。同時に電話が鳴る。左手を見ると、金衛さんからだった。もう出前が来た。早く出たかったが、痛みに立ち上がれない。

「春花……」

 蚊の鳴くような声で呼びかける。扉越しに春花は応えた。

「どう……しました?」

「すまない。出前が来たから下に行ってくれ。重かったら店員の人に手伝って持ってきてくれ」

「わかりました。証明書とか必要ですか?」

「この注文履歴を、見せてくればわかる」

 春花に電話履歴のスクリーンショットを送る。受け取って春花は頷いた。

「わかりました。行ってきます!」

 数秒前の調子を取り戻して、彼女は小走りに出て行った。それを見送って、這いずるように隣部屋へ移動。

「何もなければ……」

 あの人絶対に騒ぐぞ……!

 平穏に過ぎることを祈るが、すぐに結果はわかった。

 窓の外から「ありゃー!」と軽快な声が聞こえた。金衛さんの声だ。それから意味のまとまらない会話が下で行われていた。

「……担々麺伸びないよなあ」

 金衛さんのプロ根性を信じつつ、俺はクロゼットから救急箱を取り出した。

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