2-2

  月城のメールはこうだ。俺の家の鍵は今日の朝10時、俺が外に出た後にハッキングされて春花が入れるようになった。それ以前に春花に関する情報は一切なく、突然無から現れるように突然登場したらしい。春花がこちらに来た時刻が十時なら、それ以降にIDなど登録された人間とも考えられる。とのことだ。正直歯噛みした。

 この管理社会において人一人社会に増やすのは不可能じゃない。『桜庭春花という妹』の情報を作り出すなら個人情報を管理するサーバーにハッキングして戸籍をでっちあげればいいだけだ。セキュリティは強固で、内部侵入も一部の国家公務員に限定される。しかもその一部の人々もほぼ監視される立場で不可能に近い。だがもし突破できるならば、人一人の個人情報、経歴、行動記録を作り出すのはほぼ可能だ。プログラムを書いて乱数などを使ってある人間の記録をつくりだせばいいのだから。

 だが今回の問題は『桜庭春花』という情報だけでなく本体が存在し、架空の記憶を持つことだ。今の技術ではありえないのである。クローンならまだしも、性別も違い記憶を植え付けられた少女を作り出せるだけの技術を聞いたことがない。倫理に反する所業は大っぴらに公言できないとしても、何故妹として送り込むことに技術をつかったのか。思い当たる節は無い。ただ一番厄介なのはこれだった。

 俺は7年前の春から3年前までの記憶がない。聞いているのは特捜で働いて、その中で元上司と共に事件に巻き込まれて記憶と体のあちこちを失ったということだ。それまでの記憶に春花という言葉も妹の存在もなかった。もし関連があるとすればこの空白期間だ。起き抜けに夏目へメールを送った。忙しいのか返信はまだ来ない。もし明日来なければ今度元上司と長話しなければならない。

 俺はコップを洗いつつメールを書いた。

『春花の処遇はどうする 警察に渡すか』

 送信する。すぐに返信が来た。

『夏目からの連絡を待つべきだ もしこちらで妙な動きがあれば春花を監視する奴が干渉するかもしれない』

 正論だった。確かに家に入り込まれた時点で随分不利な立場だ。今は丸腰で山に入るような状況だ。相手の目的も、相手にとっての俺の価値も分からない。あからさまに動けば簡単に処される可能性を考えると、今は待ちをすべきだった。

 コップの泡を水で流し、電子レンジによく似た乾燥機兼滅菌装置に入れる。網の上に並べて風になびかれていた。俺はその間に返信した。

『わかった 今できる警戒方法はあるか』

 返事はすぐに来た。

『こちらで監視カメラのバージョンアップした 明日仕事の前に来てくれ 説明する それまでは問題を起こさないようにしてくれ』

 紫の光が消えた。コップを取り出す。

「春花、コップ洗ったからもし使うなら言ってくれ、持っていくから来なくていいよ」

「あ、ありがとうございます!じゃあ一つお願いします1」

 少々困惑した声が聞こえた。まだ迷っていたらしい。少し早かったか。

 両方を調理場に置いて、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを出す。コップに麦茶を入れつつ思考にふける。平穏に過ごせと言われたなら、最早頭を切り替えるしかない。リビングに来てすぐ能力を使って春花のトランクの中を覗いた。その時は電機製品は起動してなかった。春花の方も能力を使ってる様子もない。つまり、春花自体の戦闘力は今のところ普通の少女並みだ。もし能力を持ってなければ、一番警戒すべきはこの状況を作り出した犯人になる。春花が嘘をついている可能性もあるが、あの裏のなさすぎる笑みは演技だと思えなかった。いや、信じたくないのかもしれない。あのどこまでも澄み渡った空のような純粋な笑みが作り物なことに。なんとなくだが、春花には本当に幸せな子どもであって欲しいと望んでいた。憧憬と疑念の混ざった心情に口の中が苦くなる。だが、この表情を知られはいけない。自分のためにも春花との間で問題を作りだすわけにはいかなかった。

 真顔に戻し、麦茶を入れ終え、冷蔵庫に戻す。俺は空のコップと麦茶を持ってリビングに戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る