1-7
なんの変哲もなく時間が過ぎていく。昼食も終わり、皿が空になった午後一時、金衛さんが二階に現れた。ふすまから顔を出し、皿を見てから満足げな表情で中に入ってきた。手にはピッチャーを持っている。
「きれいに食べたな、めっちゃ嬉しいわ」
「おいしかったですから」
窓の外へ視線を向けつつ答える。金衛さんはコップに水を入れて、空になった皿を引く。
「そりゃあ尚更ありがたいね。進展はあった?」
「俺の方は何も。ただ、月城が情報を送ってきました。十分ほど時間はよろしいですか」
「丁度空き始めたから大丈夫、店員に一言告げてからでいいか?」
「むしろお願いします。下手すれば伸びるかもしれません」
「ありがとう」
そう言って軽く手を振って虚空に語り掛ける。仕事用の少し低い声で「室外機の故障の件で少し遅れる」と言う。何度か頷いてから。こちらを向き直った。
「話は付けた。聞かせてくれ、何があったんだ?」
正面から真っすぐに琥珀の瞳を向けられる。なんだか怒られる気分で少し委縮する。
加害者は俺じゃない。内心で言い聞かせて、俺は軽く咳をして語り始めた。
*
十分ほどかけて月城のメールの件を説明し終えると、金衛さんの表情は難しいものに変わった。
「……噂だと思ってたんだけどなぁ」
困ったように顔をそらして顎の下に手を添える。俺の方がむしろ驚いていた。
「知ってたんですか」
「ん、まあ、最近よく聞くんだよ。乗組員だったり、あの辺りを散歩する人だったり、『あの船おかしいな』って。まさか室外機壊してるとは思ってなかったけど」
「……まあ、そうですよね」
当たり前だ。警察でもなければ自分が事件に巻き込まれるなんて考えないだろう。今回の室外機の破損が薬の真偽確認に関係している可能性があるなんて普通思わない。
「実際に犯人を見てませんからまだ憶測でしかありません。ですから室外機の破損が三度あってストーカーの可能性があると警察の方に連絡してください」
「薬の証拠もないのに動いてくれるかね」
「言っておけば後で動きやすくなります。もし相手が強固な手段に出れば教えてください、つてがあります」
熱がこもって早口になる。
一応司法機関には一人関係者が居た。真面目な性格だから、器物破損の可能性があるのに窓口が追い返したら流石に行動を起こすだろう。
金枝さんは引いていた。前のめり過ぎてしまったか、一気に冷静になる。
「すみません、押し付けがましいことを言ってしまって」
「いいや、ありがとな。あんまし警察に世話になったことが無いから通報するか悩んでたんだ。でも話聞いて連絡することにしたよ」
「ならよかった」
胸を撫で下ろした。確かに普通の人なら大事になると思うから警察に行くべきか悩むのは当然だ。
「簡単に住所と壊れた時刻などを聞かれるだけだと思います。何もなければ放置されますし、それほど大事になりません」
「んー、そんな感じか」
「俺の場合はそうでした」
自分の経験を含めて説明する。
別用で何度か窓口に行ったことがあるが、あまり危険なものでなければ住所や近況などを聞いて終わっていた。今回は危険性があるため巡回の頻度が上がるかもしれない。悪いようにならないだろう。
金枝さんは安心したのか、口の端を上げて小さく笑みを作った。
「そうか。まあ、ライバル店の営業妨害とかじゃなくて良かったよ」
「他の店は壊れてないんですか?」
「今のところ聞いてないし、見てないね」
軽く言う金衛さんにふと疑問が浮かんだ。どうして金枝さんの店が狙われた?
思い当たりが無いか聞こうとする前に、金衛さんは皿を持って立ち上がった。
「ありがとう。今日はもう帰っていいよ」
「え?」
「これ以上は危なそうだしさっさと戻って。お金はちゃんと払うから」
「いや、その、でも仕事ですから……」
「ここから先は探偵じゃなくて警察の仕事。警察ができないことは相談するよ」
「女性一人は危険で」
「だからこれから連絡するって」
「ならもう少し話を聞いても……」
「嫌だ。深入りするでしょ」
ぐっと言葉が詰まる。金衛さんは息を吐いて、俺の手元のコップを取り上げた。
「昨日会った友人が明日海に浮かんでるなんて嫌だろ。じゃ、下で金を用意してるわ」
そう言って踵を返し、とりつくしまもなく出て行った。
残された俺は月城のメールを思い出す。
『さっさと帰ってこい』
軽く頭を掻いた。月城も金衛さんもみんな優しい。だからこそ無力に思ってしまう。
このままでは役立たずじゃないのか。昔のように動けないとしても、何かできないか。金衛さんが俺を心配に思うように、俺も金衛さんが心配だった。
「……」
意を決して立ち上がる。どちらにしろ、ここに居られない。ひとまず外に出なければ。その後はに申し訳ないが、少し見回りに行こう。まだ勘が鈍っていないことを祈り、俺は寂しげな宴会部屋を出た。
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