第38話 紫苑、改め――

 眩い光の門を抜け、俺は降り立つ。


 空には地平線の果まで続く真っ黒な雲。辺りの木々は暴風で今にも倒れそうだ。


 そんなことよりも驚いたのが山の荒れようだった。木々は失われ、地面も削られ更地と化していた。綺麗に円の形になっていることから誰かの意思でこんな形になっていることが分かる。そのも、すぐに分かった。俺の数メートル前方、更地の中心に立っている二次元種――脇谷有墨だ。


 脇谷の正面にはクリムが立て膝をつき、何故かガッツポーズしている。身体も服もボロボロだが、無事そうだ。良かった、なんとか間に合ったようだ。


 ――などと、安心する時間すら惜しい。俺はすぐに脇谷の元へ歩き始めた。


 金縛りに襲われたかのように立ち尽くす脇谷、そしてクリム。俺の登場に、完全に


 紅い瞳をしばたたかせていたクリムが声を上げた。


「紫苑……なんかお前、光ってね? 後光、差してね?」


 俺の服装は特に変わってはいない。いつもどおりの黒いTシャツに深緑色のカーゴパンツ。だが、確かに俺の身体は発光していた。辺りを照らす黄金の光が身体を覆っている。


 そんな異様な姿に、ボロボロながらもクリムがはしゃいで騒ぐ。


「よく漫画で見るやつじゃん! スゲー! なにこれ、どういう状態? 覚醒? 神化? 獣化? 究極進化? スーパー○○人!?」


 満身創痍の割にはよく喋る奴だ。せっかくの荘厳な雰囲気が台無しだ。


「いや、髪の色は変わってねぇだろ。……こうなったのは乃蒼に聞け。俺は知らん」


 素っ気なくそう答えると俺は脇谷の方を向いた。


 脇谷はジッと俺を見据えている。微かにだが、動揺の色が伺える。しかし、武器を構えるその姿には一切の隙はない。すぐさま攻撃に転じるか、このまま警戒を続けるか考えあぐねているようだ。それほど、俺の姿は異様に映っているのだろう。


 思考の果て、何か思い当たったらしく、脇谷は独り言のようにポツリと呟いた。


「乃蒼さんは「勝てる絵を描いた」と言っていましたが……まさか……!?」


「お。察しが良いな」


 俺はニタリと嫌な笑みで返した。その返答に脇谷は目を大きく見開いた。そして、冷や汗をかきながら、俺に問う。


「あなたは――?」


 流石は脇谷。


 問いに、俺は答えなかった。代わりに乃蒼を指さす。


「言っただろ? あいつに聞いてくれって」


 脇谷は刺すような視線を乃蒼に向けた。俺の後ろに立つ乃蒼は、たっぷりと息を吸い、そして答えた。


「タイトルは――「勝利~虹守紫苑~」です」


「……!」


 脇谷の顔色が変わった。今までの余裕の表情から、焦りに満ち、脂汗を額に浮かべる。


「乃蒼さん! まさか、あなた……! そんな……。紫苑さんをのか!? なんてことを……! それが、何を意味しているのか、わかっているのか!?」


 小さく「はい……」と返答する乃蒼。――俺はその顔を見れなかった。ただ事じゃない空気の中、クリムだけが未だに解せない様子。


「ん? どういうことだ? そこにいるのは本物の紫苑じゃないってことか!?」


 その質問に「そうじゃない!」と先に答えたのは脇谷だった。


「そうじゃあ、ないんですよ! ここにいるのは紛れもなく虹守紫苑さんだ! だが……乃蒼さんは紙の中に入った状態の紫苑さんに「加筆」しやがったんです! しかも、あろうことか……に!」


 愕然とし、震える脇谷だったが、未だにクリムは頭が追い付いていなかった。


「は? つまりは……どういうことだ?」


 仕方ない。俺のことだ、俺が説明しよう。


「「勝利~虹守紫苑~」だ、って乃蒼が言っただろう? つまり俺はもう、二・五次元種の虹守紫苑ではなく、「勝利」という抽象画の虹守紫苑になった、ってことだ」


 説明がてら、俺は屈伸と腕のストレッチをする。


「お前のお陰でもあるんだぞ、クリム。今まで、俺達で築き上げた「勝利」。3人の二次元種と雷神との戦いで得た「勝利」の経験があってこそ、乃蒼はこの抽象画が描けたんだ」


 首を傾げながらもクリムは頷いた。


「な、なるほど? よくわからんが、いつもの乃蒼のチート技ってことか! スゲーじゃん! じゃあ、今後どんな敵が出てきてもオレ達負け知らずってこと――」


「さて。それじゃあ始めようか、脇谷」


 クリムの言葉を遮り、俺は脇谷を睨みつける。脇谷は、額に汗を浮かばせつつも、フンッと鼻で笑う。


「折角、紫苑さんには悪いですが、逃げさせてもらいますよ。文字通り、勝ち目がありませんからね! 貴重な道具を手に入れられず、惜しいですが……ここで、私は退場させてもらいます! 良かったですね、貴方の勝ちですよ!」


 そう言うや否や、脇谷は背中の風袋に手を掛ける。あっという間に風が脇谷の周囲に漂い、そしてその身体を浮かせた。そして、次の瞬間には脇谷は遥か上空に飛んで行った。ロケット噴射のように地表に大きな風の塊を吐き、上空の黒雲を貫いて行ってしまった。


 その様子を最後まで黙って見つめ、脇谷の姿が米粒ほどの大きさになった頃、俺はため息を一つこぼした。「逃走」か。ま、妥当な判断だろう。――だが、そうはいくものか。


「馬鹿野郎。そう言うのを「逃げ」って言うんだよ。お前が勝ってんじゃねぇよ……「勝利」は、俺だ」


 脇谷が飛んでいった先を見つめながら、身を屈め、足を踏ん張る。更地化された地面は踏ん張りがいがある。グッと地面を蹴りつけようとした時だった。


「し、紫苑! 何をする気だ!?」


 クリムが問う。――あぁ、そうだ。今ここで奴を追いかければ、もうコイツ等と話すこともできないかもしれない。あまり時間は無いが、2人と少し話すことにしよう。


「……今から奴を追いかける」


「今からって……んな無茶な。あんなバビューンと飛んで逃げられちゃあどうしようもないだろ。流石のオレも空は飛べねぇぜ?」


 ヘトヘトになっているクリムに笑って答える。


「言っただろ? 俺は「勝利」の抽象画。俺を押し付ける地球の重力にすら。そんでもって、奴のスピードにも


 ニタッと笑みを浮かべるとクリムは少し呆れた顔をした。そして「どチート過ぎるだろ……」と言って地面に大の字になって倒れ込んだ。相当疲弊したのか、顔を手で覆う。だが、何か嬉しいらしく、両手の隙間からちょっと笑ってるのが見えた。


 「ありがとうな、クリム。よく耐えてくれた」


 俺の労いにクリムは手をヒラヒラと振って応えた。


「紫苑さん……! あの……私……!」


 おずおずと後ろから歩み寄ってきた乃蒼。喉の奥に何か詰まったような言い様。……言いたいことはなんとなく察せた。


「乃蒼。我ながら良い絵だと思う。これがホントの自画自賛つってな。……俺の我儘に付き合わせて、悪いな。俺のせいで嫌な思いをさせてしまったかもしれない。だが、これで良かったんだ。――ありがとう」


 乃蒼の頭を軽く撫でる。土埃や汗でクシャクシャになった髪を少し整えてやる。すると、乃蒼の目から一つ涙が溢れた。


 ――そろそろ行かねば。


 俺は振り返り、再び脇谷が飛んでいった方角を見つめる。もうとっくに奴の姿は見えなくなってしまったが、まだ間に合うだろう。なにせ俺は「勝利」の抽象画だ。


 地面を両足で感じながら身を屈める。――いざ、空へ。


「待って! 紫苑さんっ! ……帰ってきますよね?」


 その質問にすぐに答えられなかった。しかし、俺は振り返って笑って答えた。


「あぁ、大丈夫だ。さっさと終わらせて帰ってくる。だから――行ってくる」


 今まで色んな嘘をついてきた。その中でも最大級の嘘だ。俺は足に渾身の力を込める。「行ってらっしゃい」という乃蒼のその声が届く前に、俺は地面を蹴り上げる。そして、虚空の空に向け、飛び立った。


◇◆◇◆


 上空約四千メートル。重力に打ち勝ち、俺は空を飛ぶ。


 曇天を貫き、成層圏の少し下。見上げると満天の星空が広がる。こんなにじっくり空を見たのはいつぶりだろうか。いつも足元ばかりを見ていた気がする。


 なんて、センチメンタルになってる暇は無い。前方、同じ雲の上を飛翔する物体を発見した。風袋で飛ぶ、脇谷だ。


 視界に捉えた瞬間、俺は更に飛ぶスピードを上げ、脇谷のすぐ後ろにつき、声を掛けた。


「よぉ、初対面の時とは立場が逆になっちまったな。後からつけられる気分はどうだ? 最悪だろ?」


「……っ!?」


 脇谷は悲鳴を上げるわけでもなく、ただただ目を見開いて絶句していた。なんともわかりやすい表情だ。この世の絶望を全て象徴しているかのような様相。こんなに表情豊かな二次元種になるということは、それほど多くの人間から「想い」を蓄えたのだろう。いったい、いくつの人間が悲しみと恐怖のどん底に突き落とされたか、計り知れない。


「紫苑……さんっ……!」


 ようやく口を動かしたかと思うと、俺の名を親の敵のように叫んだ。多くの子供達にとっての親の敵はお前だろうに。


 そして、脇谷は中空で止まった。俺も合わせて急停止した。


「……こんな、デタラメなことをするなんて」


「いやいや、俺は「手段を選ばない人」ってお前も言ってただろ? だから、勝利という結果だけを得る手段を選んだんだよ」


 睨めつける脇谷の目は、これまで見たこともないほどの憎悪の色で染まっていた。――悲しいかな、元々はこんなキャラクターではなかっただろうに。


 すると、堰が切れたように脇谷は吠え始めた。


「ふざけるな! こんな……こんなことがあってたまるか! ようやく脇役という座から離れて、力を手に入れたというのに! こんなデタラメな奴らに負けるなんて! ここは、ご都合主義も、主人公補正も無い、リアルな現実世界じゃなかったのか!?」


 叫び狂う脇谷の表情も感情も、こいつがこの世界に現れてから獲得したものなのだろう。それを奪い取られる恐怖は――俺には想像すらできない。俺は生まれた時から既に奪われていたから、奪われる恐怖を知らない。


 無論、だからといって脇谷に同情する価値など無いのだ。コイツ一人の絶望と、その他大勢の絶望を天秤にかければ、赤の他人である俺は、数の多い方を優先するしかできない。それに、コイツは乃蒼やクリムに手をかけた。どんなに哀れんでも、この事実は覆せない。ここで脇谷を逃がせば、今後あいつ等に危害が及ぶかもしれないんだ。


 雑念を振り切るように、俺も吠えた。


「あぁ、ここは現実の世界だ! お前が殺した人間も、絶望の底に叩きつけた人間も、全部本物だ!」


 それに呼応するように脇谷も吠える。


「現実の人間なんか、知ったことか! ……あれだけの人間を糧にしたのに、何故私は負ける!? 強力な二次元種の武器も奪った! ……なのに、何故!? 私は何を間違えた!?」」


 何を間違えたか、だと? そんなの決まってる。


「最初っから間違えてるんだよ! どうして、悲しみや絶望の想いだけで強くなろうとした……? 他にも方法があっただろう!」


 脇谷は泣いていた。まるで今まで集めてきた絶望と悲しみを全て吐き出しているかのようだ。嗚咽混じりの悲痛な声で俺へ問いかける。


「あのクリムゾン・ボースプリットと同じようにしろと? ひたむきに三次元種を信じろと? ――無理に決まっているでしょう!? 自分と違う奴らを信じるなんて、できるわけがない! それは、貴方も同じはずだったでしょう!? 紫苑さんっ!」


 言われ、ハッとした。そうだ、そういうことだったのだ。俺が脇谷を好かない理由。それは――あいつも俺も、世界を憎み、自分呪っていた。もちろん出会った頃は素性も知らなかったが、それでも、脇谷が俺と同じ想いであることを直感的に理解したのだろう。所謂、同族嫌悪というやつだ。


 そして、改めて奴がした過ちに気がついた。同じ過ちを、俺もしていた。


「あぁ。一緒だ。だから言える。――知ってるぜ。お前がいた漫画元の世界のこと。母さんの漫画だもんな、飽きるほど読んださ。あの世界の人間はみんな優しい良い人ばっかりだった。そういう漫画だった! だから、お前も本当は優しい良い奴のはずなんだ! その優しさがあれば、想いの集め方も違っていたはず……それなのに、お前はこの世界を否定し、自分を信じないからこんなことになったんだ!」


 「じゃあ……私は一生脇役でいろと……?」と泣きながら呟いた脇谷の言葉。さらに何かブツブツと呟くと、急に叫んだ。


「うるさぁぁぁぁぁい! 自分を信じろだと!? 貴方だって、私と同じだったくせに!」


 脇谷は怒りに震えながら、風袋に触れ、雷太鼓をバチで叩いた。俺を取り囲むように黒い雲が立ち上る。黒雲から雷鳴が轟き、嵐が吹き荒れる。


 もはや話はここまでのようだ。だが、これだけは言いたい。


「あぁ、そうだ。俺は運が良かっただけだ。――クリムを家で見つけたのは偶然だった」


 俺は右拳を強く握り締めた。拳に紅い光が集まり、マグマのような灼熱と滾る熱波を解き放つ。


「そして、乃蒼と出会えたのも偶然だ」


 俺は左拳を握りしめた。拳には蒼い光が集まり、氷塊のような冷気と凍てつく風を纏わせた。


「そして、あいつ等と一緒にいたから気づけたんだ。周りからどう思われようが、どう扱われようが関係ない。自分を信じ、やりたいことを貫き通す。周りの顔色を伺ってるだけの人生なんてつまらないんだ、ってな。――まぁ、だからといって、それを理由に他人を傷つけるのはナシだがな。……脇谷、お前は人を傷つけてまで強くなりたいと、心の底から思ったのか?」


 泣く脇谷から返答は無い。そういうことなのだろう。


「やっぱり……同類の俺だからこそ、テメーの気持ちが分かる俺だからこそ、やらなきゃいけない!」


「嫌だ……私は、こんなところで終わりたくないんだぁぁぁあ!!」


 脇谷の断末魔とも聞こえる叫び。喚きながら2つの神器の全力解放した。脇谷の掛け声と共に右からは雷が、左からは嵐が俺を襲った。


 俺は燃え盛る紅い右手で雷を打ち消し、凍てつくよう蒼い左手で嵐をかき消した。

 

「あ、あぁ……うわぁぁぁ!!」


 絶望に顔を歪ませた脇谷が後ずさり、後方の空へ全速力で逃げ出す。


 逃さない。俺は懐から一枚の紙を取り出し、飛び去る脇谷に向けて投げつける。


「元の世界に戻れ! 脇谷ぁぁぁぁぁぁああああああっ!!」

 

 矢のように飛ぶ一枚の紙。

 それを追うように俺は空を駆ける。

 一瞬にして紙が脇谷に追いつき、同時に俺は光のような速さで脇谷の正面に躍り出る。


 「あっ」という脇谷の声が届く前に、俺は脇谷の右頬を殴りつけた。

 そして次には左頬を殴る。

 続けて右腹、左腹、右太腿、左太腿、また右頬――。


 紅い拳と蒼い拳が交差する。

 2つの拳の輝きはやがて混ざり合い、溶け合い――夜空の星も霞む、眩い紫の光となる。


「あああああああぁぁぁ!!!」


 怒涛の勢いの連打。


 何十、何百、何千、何万の拳の雨を浴びせ、脇谷の身体が力を無くした。さきほど投げつけた紙がここぞとばかりに脇谷のすぐ横をヒラリと舞う。


「じゃあな、脇谷――」


 俺は脇谷の顔を宙に舞う紙に叩きつけた。脇谷の身体はピクリとも動かず、紙の中へ吸い込まれていく。全身入り込んだことを確認すると、俺はポツリと呟く。


「――蒐集完了。俺達の……「勝ち」だ!」


 紙の中には2つの神器と1人の青年が描かれている。宙を舞うその紙を見ながら、俺は自分の体から力が抜けていくのを感じた。


 「勝利」の事象が完結したのだ。脇谷に勝利したことで、俺の役目は終わった。つまり――


 体から光は失われ、輝く夜空の星々が俺を照らす。重力に負けた俺の身体は暗い地へと堕ちていく。


 厚い雲を突き抜け、遥か下には山々が続いている。薄れゆく意識の中、遠くの山から朝日が登り始めるのが見えた。


 あぁ、これで俺も終わりか。しかし、後悔はない。孤独を恐れ、家から飛び出した俺の旅の目的も、果たすことができたのだ。一人ぼっちだった俺が、命を掛けて仲間を救うことができた。それだけで満足だ。


 だが――


「できれば……あいつらと……もう少し、旅を――」


 橙色の朝日を浴びながら、俺は目を瞑った。 

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