第39話 真っ白
気が付くと白い空間の中、俺は立っていた。
見渡す限り、白、白、白。前後左右、上も下も真っ白だ。一応、地面に立っていることは分かる。ただ地面も空も同じ白さだからか、地平線が見えない。ここが狭いのか広いのかすら分からない。……周りを見すぎると頭がおかしくなりそうだ。距離感も平衡感覚も掴めず、本当にここに自分の存在があるかも怪しく思えてきた。
しかしこの空間、何処かで見た気が――そうだ、思い出した。
「紙の中……二次元の世界と一緒だ」
思わず口に出た言葉で、俺は自分がここにいることを自覚できた。視線を下に向けると、たしかに自分の体がここに、ある。
次に湧いた疑問は、何故俺がここにいるかということ。ここに至るまでの記憶を遡る。
脇谷との戦闘、一時は死にかけた。
その後、乃蒼に俺自身を「勝利」の抽象画に描き変えてもらった。
そして、再び脇谷に挑み――
「そうか。「勝利」の抽象画としての役目も終えて、消えたんだった。つーことは、ここは天国? それとも地獄か?」
辺りを見渡してもやはり何もないので、とりあえず俺はその場に腰を下ろした。
「あいかわらず2択が好きな人ですね」
後ろからの聞き覚えのある声に驚き、座ったまま振り返った。そこには男が立っていた。
「脇谷有墨……!」
つい先ほどまで死闘を繰り広げていた男――脇谷がそこにいた。「何故ここに?」と俺が考察していると、脇谷はおもむろに横に座った。そして、笑った。
その笑みは、今まで見てきた脇谷の笑顔の中で、一番爽やかなものだった。というより、なんだか毒が抜けたような、憑き物が落ちたような清々しい雰囲気だ。
「なんだか、雰囲気変わったな」
思った事がそのまま口から出てしまった。普通なら、攻撃に備えて身構えるところだが、何故だか俺はそうしなかった。そうする必要が感じられなかった。
脇谷は少しばつの悪そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「ハハ。私もそう思います。なんだが、変わった――いや、戻ったと言ったほうが正しいのかも」
昔を思い出すかのように脇谷は遠くを見つめていた。
「そういえば初めて会った時も紫苑さんは警戒していましたね。心を開く素振りもみせず、孤独を好んでいる――そんな風にさえ見えましたよ」
たしかに、出会ったあの時はそうだった。見る者全てを疑っていた。今でこそ仲間だと思っている乃蒼やクリムですら、心の奥底では疑っていたくらいだ。
「気を悪くしたなら、ごめんなさい。……でも、私と似ているな、とも思いましたよ。その警戒心の強さ。誰にも心を開かない頑固さ。孤独に慣れ過ぎたところ。共感も多い分、まるで鏡を見ているかのようだったので……正直、嫌悪感も感じました」
脇谷は申し訳なさそうにそう言うが――それは俺も同じだった。
「俺もそうだったよ。なんとなくだが、あんたのことが嫌いだった。同族嫌悪というやつだな」
しかし、隣の脇谷は小さくため息を溢して首を振る
「いえ、同族じゃないですよ。私と紫苑さんは違う。私はずっと独りを決め込んで、誰にも頼らず、誰も信頼せず、独りだった。しかし、紫苑さんは人を信頼し、仲間を作った」
「――だがその結果、行き着く先は一緒じゃねぇか。だからこうして話ができてるんだろ? ……やっぱり同類だ。ここは何も信用しない奴が行く地獄か? だから何も無いのか?」
ハハハと乾いた笑いを浮かべるが、脇谷がそれを否定した。
「いいえ、地獄じゃあないです。それにやっぱり紫苑さんと私は違う。貴方には帰る場所や想う人がいる。私にはそれがない」
寂しそうに語る脇谷に、俺は何も声を掛けることができなかった。しどろもどろしている内に、脇谷が問いかけてきた。
「乃蒼さんや、クリムゾン・ボースプリットのこと――心配ですか?」
少し考え、頭を捻ると自然と口から言葉が出た。
「乃蒼については正直、心配だ。「勝利」の抽象画も、俺が無理矢理描かせたようなもんだからな。相棒を消滅させる絵を描かせるなんて、嫌な役目を押し付けちまったからな。自分を責めてなきゃいいが……。それに、新しい相棒もちゃんと見つかるか心配だ。あいつ、変わり者だからなぁ。
クリムも強いけどやっぱり心配だな。二次元種にも旗師会にも狙われて、敵だらけの世界でちゃんと生き残れるかな。俺の親父と再戦するっつー目的も達成できるんだろうか」
言いながら、段々不安になってきた。あの癖の強い2人だ。新しい蒐集家がすぐに見つかるとは思えない。いっそ2人だけで旅を続けた方が良いのか? いや、旗師会や二次元種との戦闘以前に、旅の生活で
あれやこれやと心配事が浮かび、頭を抱えていると、また脇谷が笑った。少し睨むと笑いをこらえながら謝った。
「いや……すみません。紫苑さんは本当に変わったんだなぁと思いまして。――それほど大切な仲間なんですね」
脇谷のあまりにもストレートな物言いに少し照れながらもしっかりと頷いて答える。
今更ながら、あの2人の影響の強さを感じていた。
少し前の自分なら、次元の違う2人の女の為に命を懸けるような真似は死んでもしなかっただろう。それが、命を捨ててまで助け、死んだ後でも気にかけるようになるとは。
しかし、この結果に全く後悔はしていない。
あいつらが居たからこそ自分の旅の目的が何なのか分かり、あいつらが居たからこそ旅の目的が達成できたのだ。だから、あいつらが無事であれば、俺の旅の目的は達成されるのだ。
その結果、行き着く先が天国だろうと地獄だろうと構いやしない。
――って、結局ここは何なんだ?
ようやく最初の疑問に遡った時、横に座っていた脇谷が立ち上がった。つられて俺も立ち上がる。
「さて、のんびりもしていられません。約束していた、紫苑さんの両親についてお話しましょう」
一瞬、何の話か分からなかった。しかし、思い出した。そうだ、闘う前に脇谷が俺を挑発するために言っていた。
オリジナルのDIGを盗んだのは自分だと。そして、俺と父と母をバラバラにした原因だと。果たして、父と母に何があったのか――?
しかし、正直もうどうでもいいかと思えてきた。だって、俺もう死んでるし。それに、両親を探すために旅をしてきた、と今まで言ってきたが、本当は違ったのだから。
俺は肩を竦め、苦笑いで答える。
「それについてだが、確かに「両親を探してる」ってのが旅の目的だった。けど、その……色々あってだな、本当の目的は違ったんだ。本当は、乃蒼やクリムのような仲間が欲しくて俺は旅に出たんだ。その目的も達成できた。だから、両親についてはいいんだ。第一、俺はもう死んで――」
脇谷は首を横に振ってそれを中断させる。そして、有無を言わさず語りだした。
「たとえ紫苑さんの旅の目的が「仲間作り」であったとしても、あなたは聞かなければならない。あの夫婦の息子なら、尚更。先ほど話したオリジナルのDIGを私が盗んだという話――実は嘘を吐きました。私は盗んでいません。誰が盗んだかすら私は知らないんです。……だが、あなたの両親に起きた事実は知っています」
神妙な面持ちとなった脇谷はじっと俺を見つめる。
覚悟は良いか? そう聞いているようだった。
その圧に飲まれながらも、俺は頷いた。
「オリジナルのDIGが何者かに盗まれた直後のことです。虹守典哉博士の嫁である九里亜尋音が何者かに攫われたのです」
一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。
「攫われた……!? いや、爺からは親父と母さんは俺を捨てて何処かに行ったって――」
脇谷は首を振り、続ける。
「九里亜尋音とオリジナルのDIGを奪われた典哉博士は、それを追うために世界中を駆け巡ることになったのです。そして、この2つを奪った犯人はきっと、2.5次元種である紫苑さんも狙うはず。だからこそ、彼は唯一信頼できる人間である自分の父母に、あなたを預けたのでしょう」
脇谷が語る事実。俺はそんなこと思いつきもしなかった。オリジナルのDIGが盗まれたのは知っている。父と母は自分の我儘と失態のせいでめちゃくちゃになった現実から逃避するため、俺を捨てたのだと思っていた。それがまさか、現実逃避とは真逆で、真相の追求を行っていたとは。
「これが、あなたも知る世界を壊した力が盗まれた事件のエピローグです。無論、まだこの物語は続いています。あなたの父は未だに妻を捜し続けている……舵美亜門という最強の絵師を相棒にして、ね」
情報量の多さになんだか立ち眩みのようなものを感じながらも、平静を保つために瞼を閉じる。
まさか今まで恨んできた父親が自分の身を案じていたとは思っていなかった。そして彼らはまた被害者であり、今尚苦しんでいるのだ。父は母を探し、母はそんな父を待っている。無知な息子は何も知らずに育ってしまった。
「――ところで、なんでアンタはそんなことを知っている?」
「言ったでしょう? 私は貴方のお母さんの次にこの世界に具現化された二次元種の1人だと。全て影から見ていました。ただ、オリジナルのDIGを盗んだ犯人までは見ていません。起こった事実だけを傍観していました。……生粋の脇役なのでね。重要なことは、何一つ知りません」
寂しそうに笑う脇谷。
脇役だなんて……俺にとっては十分すぎるほど重要な話を知っているキーパーソンだ。といっても、もはや全てが遅すぎる。何処までも白い空を見上げながら、俺は恨みがましく言う。
「なんで、今更こんな話を! 俺はもう死んじまった! こんな事実を知ったところで、何もできないじゃないか!」
なるほど、これが脇谷なりの復讐なのか。であれば、致し方ないが――あまりにも残酷過ぎる。
空を見上げていた俺は、このあまりにも酷い仕打ちに抗議するべく、脇谷を睨みつけようとする。――が、隣にいるはずの脇谷が忽然と姿を消していた。
「なっ――? 脇谷!? どこだ!?」
驚いて辺りを見渡すと、すぐに見つけられた。障害物のない真っ白な空間だから当たり前といえば当たり前か。しかし、いつのまにか脇谷は遥か遠くに立っていた。
目を離したのは僅か数秒のこと。一体いつの間にこんなに離れてしまったのだろうか?
遥か彼方から、豆粒のような大きさに見える脇谷が言った。
「今更なんてことはないですよ。貴方の旅はまだまだこれから続くのですから。それより、これからは大変ですよ。旗師会は乃蒼さんとクリムゾン・ボースプリットの存在を知ってしまった。二次元種達にも程なく知れ渡るでしょう。2人を守りながら、貴方は新たな目的も達成させなければいけない。……ま、貴方なら大丈夫でしょう」
遠くにいるはずなのに脇谷の声ははっきりと聞こえる。
言葉の意味が全く分からない。俺は脇谷のいる方へ駆け、問う。
「どういうことだ!? ちゃんと説明しろ! 俺は、もう……!」
走っても走っても脇谷との距離は縮まらなかった。
「紫苑さん。こっちじゃあないです。あなたが行くべきは、逆の方向です」
「逆?」
「振り返ってください。あなたが必要とし、あなたを必要としている人がいるはずです」
俺は走るのを止め、その言葉の通りに振り返った。
――そこには、光があった。光の中から、誰かが手を伸ばしている。
「――親父? 母さん?」
光の中から差し伸べられた2つの手。誰かが2人、俺を呼んでいることが分かった。
そして、その光の中から呼ぶ声がした。
「紫苑さん!」
「紫苑!」
それが誰だかわからなかった。しかし、俺は無意識にその2つの手を掴み取る。2つの手は俺を離さないようにしっかりと握り返し、俺を光の中へと引き寄せる。
視界が白い光に包まれる中、遠く後ろから脇谷の声がする。
「お達者で、紫苑さん。私と似ていた貴方がどんな愉快な物語を作るのか、脇役として陰ながら見守っていますよ」
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