第37話 足掻き
上空を覆う黒雲は渦巻き、その下は更地と化した。そこにあった木々は全て暴風に攫われ、円形状にむき出しになった大地はまるで闘技場のようだ。
この闘技場で闘うのは、背に雷太鼓と風袋を装備した脇谷。そして、刃こぼれしきった剣を持つオレ。
剣同様、オレの姿も酷いもんだ。後ろで結っていた髪留めも千切れ、自慢の金髪も所々コゲてしまった。トレードマークの紅いマフラーはボロ布になり、海賊服も切り刻まれ、色んな所の肌が露出しちゃってる。うーん、我ながら破廉恥。そういや、
「――もしかして、お前、わざとこんな、服の破り方してるのか?」
肩で息をしながらそう言うと、脇谷は呆れたように笑う。
「まだそんな軽口を叩きますか、クリムゾン・ボースプリット。……流石は主人公。こんな土壇場でも余裕の立ち振る舞い。今までどんな窮地でも、なんとかなってきたからでしょうねぇ? その能天気さが羨ましい限りです」
オレは舌打つ。
「それだけ苦難が多かったってことだよ……。主人公も楽じゃねーんだぞ?」
オレの言葉が気にくわなかったのか、苛立った様子で脇谷は言う。
「それが人間共に作られた苦難だとしても、貴女は受け入れられるのですか? 私は……私達は、到底受け入れられないっ!」
「あぁそうかい……」と応える。そういえば、雷神もそんなこと言ってたな。
「お前さ、この世界に具現化した時、どう思った?」
ふと湧いた疑問。脇谷はすぐに返答した。
「「私たちが居た世界が幻想だなんて、ふざけるな」「悲劇を作り、私たちの世界を弄んだ人間は殺さなければならない」――ですかね。とにかく、三次元種への恨みばかりでしたよ」
「あー……やっぱりそうなのか。大抵の二次元種はそう思うのかね」
「あなたの世界でも多くの人間が不幸な目に遭ったりしたでしょう? それを作り、楽しんでいたのが三次元種だと考えると、怒らずにはいられないのでは?」
ふむ。そこんところがオレには理解できなかった。何と言えばいいんだろうな。少し考えた後に答えた。
「たしかにオレも色んな酷い目に遭って、色んな選択を迫られ、苦しんだ。けど、色んな奴と出会えて、闘って、別れて……我ながらスゲー面白い人生だったぜ。むしろ、こんな人生を歩ませた作者に感謝したいほどだ」
脇谷の瞼がヒクヒクと痙攣した。爆発しそうな怒りを押さえるように、ゆっくりと慎重に問うてきた。
「その……感謝したいという感情も作られたものなんです! 自らの人格すら、ストーリーを面白おかしくするために作られたことに、貴女は何も感じないのですか!? ……貴女の漫画は読みました。自分の妹を殺した、貴女のあの選択すら作者が考えたものなんですよ!?」
……おっと、痛いところを突かれた。まさかオレの漫画を読了済みとは。しかし、それでも、オレの気持ちは変わらない。
「あの選択をしたのは間違いなくオレ自身だ。もしかしたらそれすらも筋書き通りだったのかもしれねぇ。だが、あの時の選択を、今のオレは否定する気持ちは一切無い。それってつまり、あの時のオレは間違いなく、オレ自身だったってことさ。作者が考えた筋書きなんて、知ったこっちゃない」
言った直後、オレの全身は強くドクンと脈打った。これは――
脇谷は頭痛を抑えるかのようにこめかみに手をやる。
「……どうかしてるっ! そんなこと言える者は極少数の選べる者達だけだっ! 主人公だけが言えるセリフだ! あなたと違い、何の選択もできず不幸な目にしか遭っていない脇役もいるんですよ!」
「そうだな。だからオレは元の世界に戻って、そいつらを助ける為にまた冒険をするんだよ。――とにかく、オレは三次元種の人間に恨みは持ってない。だが、二次元種であるオレを恨む人間はこの世界にごまんといる。オレ達のせいで世界が滅茶苦茶になったんだから、しょうがないけどなぁ」
思わず寂しく笑っちまったが、すぐに大きな声で笑って続ける。
「そんな中で、あの紫苑と乃蒼はなんて言ってると思う? 「絵が好きだ」なんて言うんだぜ? そんなこと、普通の人間達に言ってみろ。ハブられるに違いないぜ! ……オレと同じだ。立場がまるっきり逆だが、オレとあいつ等は同じ仲間なんだよ」
「もういいです……」と、脇谷は呟くと背負った風袋に手を伸ばした。
「さっさとあなたを殺して、紫苑さんの相手をしなければなりません。あなたの首でも持っていけば、彼の心も折れるでしょうね! そうすれば、道具としても使い易い!」
「「道具」ね。DIGを使わず絵を具現化できる紫苑は、二次元種にとっても強力な武器だもんな」
オレは笑みを押し殺し、戦いの顔へと変える。
「それに「さっさと」は困るね。こちとら折角「時間稼ぎ」してるのによ!」
脇谷は一瞬、不可解な顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。
「彼等が逃げるまでのどれほど時間が稼げるか、見ものですね」
その見当違いの言葉に、オレは思わず笑いが溢れた。そうだ、脇谷にも訂正しなくてはならない。
「さっきは情けないことを叫んじまって、悪いな。訂正する。アイツらは逃げねぇよ。オレがそんなこと許すもんか。アイツらは、お前を倒すための準備をしているところだ! オレはただそれまでの時間稼ぎができれば良いんだよ! ……まったく、売れっ子の主人公様を時間稼ぎに使うなんて贅沢な奴らだぜ」
オレは真面目にそう言ったつもりだが、脇谷は鼻で笑った。
「あの人達が逃げない? あれほどの絶望と恐怖を与えて、逃げない訳がないでしょう! 貴女は、あの人達のことを何も分かって――」
「分かるぜ! 言っただろ? ここ最近、オレの中に入ってきた「想い」があるって。暖かくてデカい想いがよ。……それが、まだ冷めないんだ、消えないんだ! むしろ、今もこの身を焦がすほど燃え盛ってる! こいつらが絶望や恐怖するだと? そんな訳あるか! アイツらはまだ諦めちゃいねぇ! だったら――オレも諦める訳にはいかねぇよなぁ!?」
オレは剣を構える。刃もこぼれ落ち、ボロボロだがその刀身が紅く輝く。
「来いっ! 脇谷! そういやぁ、初登場時にはどっかの誰かさんに邪魔されちまったからなぁ! 名乗られせもらうぜ!」
あぁ、この感じ、久しぶりだぜ。大きな闘いの時は、いつも叫んでたっけ。剣を振り回し、敵を見据えていざ口上。
「船長ながらも一番槍! なぜならオレはボースプリット(bowsprit)! 先陣切るのがオレの
◇◆◇◆
――大見得を切ってから数十分後。
我ながらよく戦った。雷と竜巻の波状攻撃。読んで字の如く疾風迅雷の連撃は、流石のオレでも全ては捌き切れなかった。オレが自在に操る炎の盾も雷で引き裂かれ、隙をついた炎の剣も風で無効化されてしまった。
唯一、足の早さは勝っていたが、その場で太鼓を叩き、袋を揺らすだけの脇谷と、死にものぐるいで走り回るオレとでは体力の減りが違う。オレは傷が増える度に足は鈍くなり、もはやトップスピードの半分にも満たない。遅くなった足で、致命傷こそないがジリジリとダメージを受け続けてしまった。
――そして、遂には膝をついてしまった。
「はぁ――はぁ――……」
呼吸すらも辛い。剣を地面に突き立て、杖代わりにしなければこのまま倒れてしまいそうだ。数年ぶりのシャバだもん、仕方ないだろ――というのは言い訳か。うん、やっぱり今の無し。聞かなかったことにしてくれ。
「いや、よくやりましたよ、貴女は。まさかここまで粘るとは思っていませんでした。流石は世界一の漫画の主人公。……貴女をここで消すことができて本当によかった」
満身創痍なオレとは正反対に、声色一つ変えない脇谷の満足そうな言いっぷり。くやしいねぇ、いや、まじで。
「いやぁ……あわよくば不思議な力が目覚めて勝てないかな、と思ってたけど。そう上手くはいかないもんだなぁ」
脇谷は鼻で笑い、太鼓を叩く構えに入る。
「そりゃあそうですよ、これが現実です。貴女のために作られた、貴女だけの世界とは違うんです。――さて、こんな無駄話も貴女の計画の一つかもしれませんね。さっさと終わらせましょう」
ちぇっ、もうちょいお喋りをしたかったが、駄目なようだ。オレは空を見上げる。どこまでも続く黒い曇天。死ぬ間際に見る光景にしては殺風景だな。二次元種であるオレにも想いがあるならば、これを「絶望」とでもいうのだろか。
――いや、違うか。希望が絶えた訳じゃあない。まだ、アイツ等がいる。たった数十分しか時間は作れなかったが、アイツ等ならなんとかするだろう。
オレ自身はここまでのようだが、紫苑、乃蒼――あとは任せたぜ。
脇谷の太鼓のバチを振り上げた。オレは両の目を閉じた――その時。
「ちょーーーーっと、待って下さいっ!」
少女の声が木霊した。
この声は――乃蒼っ!
声のする後方を振り返る。脇谷も手を止め、視線を向けた。
更地と化した山の中腹と木々との境目。乃蒼がバインダーを両手に抱え、肩で息をしながら立ち臨んでいた。
紫苑の姿は――今のところ確認できない。
すると脇谷が蔑んだ笑い声を上げる。
「まさか本当に逃げないとは。まぁ、私としては追いかける手間が省けて嬉しいですがね。――まったく、何を考えてるか知りませんが、どうせそのバインダーの中に紫苑さんが隠れ潜んでいるんでしょう? もしくはそう思わせて別の所から現れるか……とにかく、油断させて奇襲し、この神器を破壊する気なんでしょうねぇ?」
乃蒼は首を横に振り、整然とした口調で答えた。
「そんな回りくどい真似はしません。……脇谷さん、シンプルに、あなたに勝てる絵を描きました」
乃蒼がそう言うと、脇谷は一瞬驚いた様子を見せるが、次の瞬間大きく笑い出した。
「ハ、ハハハ! 私に勝てる絵ですか!? そうですか、なんでしょうね? 「どんな電気も通さないゴム」とかですか? それとも「どんな風でもエネルギーに変えられる風車」ですか? いや、あなたは具象画を描くのが苦手でしたね。そんな器用なものは描けない。……となると、抽象画ですか。うーん、分からないな。なんでしょう? 早く教えてくださいよ!」
高らかに笑い、明らかに余裕を見せる脇谷。それでも乃蒼の表情は硬く揺るがない。
脇谷は笑い終わると、辺りを見渡す。そして誰も居ないことを確認すると、叱りつけるように言った。
「絵を描いたと言いましたが……それを使う紫苑さんはどこに行ったんですか!?」
その問いに乃蒼は答えなかった。代わりに答える者がいたからだ。声は何処からともなく聞こえた。
「「どこに行った」だと? さっきお前が言い当ててくれたじゃねぇか」
声の出所は、乃蒼が持っているバインダーからだった。
ゆっくりと、乃蒼がバインダーを開く。その時、乃蒼の表情に陰りがあるように感じたが――気にしている場合ではないな。
ゆっくりと開かれたバインダー。
開かれたページは音もなく光輝き始めた。上空の黒雲をかき消すような閃光で、オレや脇谷の目を眩ませる。
閃光が収まり、目を開けるとそこに立っていたのは――二・五次元種。虹守紫苑。心なしか、奴の体全体がまだ光って見えた。
「俺はここにいるぞ、脇谷!」
バインダーから出てきた紫苑。脇谷と正面から立ち臨む。その堂々たる姿は、いつも逃げることを考える紫苑とは別人みたいだ。だが、ヤケになっている様子でもない。あの顔は……策がある時の、勝利を確信した時の顔だ!
オレは思わず小さくガッツポーズした。待ってましたぜ御大将。もしもオレに想いがあるならば――間違いない、これを「希望」というのだろう。
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