第36話 俺達らしく

 真っ暗な山の頂。空から雷鳴と、風の吹き荒ぶ音が鳴り響いた直後、クリムの声が聞こえた。掠れた意識の中で、その言葉に違和感を覚える。


 「こいつを倒せるほどの力を付けてから、オレの仇を取ってくれ」だと? つまりは「逃げろ」ってことか。普段のクリムからは想像できない発言だ。それほど切羽詰まっているのだろう。


 程なくして、再び鋭い風を切る音と、木々を震わす轟音が聞こえた。


 ようやく意識がはっきりし始めた。自分が何かに寄り掛かって座っていることが分かる。重たい頭を上げ、背後を確認。背中に寄りかかる木を見て思い出した。脇谷に腹を突かれ、吹き飛ばされたのだった。ため息を溢すと同時に生ぬるい物が吐き出る。血だ。


 腹を突かれた時に、いくつか内臓が駄目になったのだろう。


 さて、どうするか――と、視線を横にずらすと、すぐ傍に乃蒼がいた。地面に画板と紙を敷いて、絵を描いている。色合いから察するに「回復」の抽象画だろう。


 視線を顔に向けると、乃蒼の表情は今まで見たことがない表情をしていた。今にも泣き出しそうな悲壮感、しかしそれどころではなく何かに追われているような逼迫感。一心不乱に、鬼気迫る勢いで筆を動かしている。


 いつもとは違い、全く楽しそうではなかった。その様子に、やはり違和感を覚える。


「……ぁ」


 俺は乃蒼の名を呼ぼうと声を出したが、うまく発声できず擦れた息だけが吐き出た。乃蒼は俺の声に気づいたようだが、こちらに見向きもせず筆を走らせながら答えた。


「喋っちゃ駄目です! あと、1分――いや、30秒で「回復」の絵を描きますから! なんとか持ちこたえてください!」


「……そぅか……速ぃな……」


「えへへ。旗師会で速筆のコツを学んだので。凄いでしょう」


 言葉は笑っているようだが、顔は全く笑っていなかった。額に汗をかきながら、再び絵へ意識を集中し始める。


 そして、30秒もかからないうちに乃蒼は「できたっ!」と言い、完成した「回復」の絵を見つめる。頷き、それを俺に渡した。


 何も言わずとも俺は「回復」の絵に手を入れた。これを具現化し、破壊された腹部に当てれば怪我が治る。早く、この痛みから解放されたい。――と、絵を具現化した瞬間だった。


 キィィン、という名状しがたい高音が鳴り響いた。耳を突く怪音は、まるで獣の断末魔のような悲哀と憤怒、そして本能に訴えかける恐怖をもたらしめた。いくつもの感情のイメージが波のように押し寄せた直後――リアルな痛みが襲いかかる。


「がぁぁぁぁぁっっ!!!?」


 痛い、痛い、痛いっっ!! 視界が白くなる。何が起きたかまるでわからない。自分の悲鳴を聞きながら、ホワイトアウトした視界に色が戻り、自分の腕が目に映った。


 凄惨たるものだった。ズタズタに引き裂かれた肉の塊。血が吹き出し、真っ赤に染まったそれが、自分の右腕だと認識するのに数秒かかった。


「あぁぁぁ!! し、紫苑さんっ!?」


 遅れて乃蒼が悲鳴をあげる。「私……! こんなっ……ごめんなさいっごめんなさいっ!」と狼狽えながら頭を抱える。


 何が起こったのかようやく理解できた。絵がしたのだ。「回復」の抽象画が、失敗したのだ。


 最悪のタイミング。既に満身創痍の状態、回復を望んだはずが、さらなる傷を負うとは。以前危惧していた即死や周囲を巻き込む爆発が怒らなかったのは不幸中の幸いか。しかし、今までこんなことはなかったのに、何故?


 ――いや、理由は明白だ。乃蒼のこの状態。明らかにいつもの様子ではない。絵を描く前から戸惑いの色が濃く、想いが効果に直結する抽象画を描くには、あまりにも不安定な精神状態だ。だから、「回復」の想いが一変し、逆に体を傷つけてしまう効果が発生したのだろう。


 そのことは、乃蒼も理解しているようだ。頭を抱えながらずっと「ごめんなさい」を繰り返している。


 ボロボロになった腕と腹は呼吸するたびに激しく痛む。浅く慎重に呼吸をしながら、口だけを動かす。


「乃蒼……落ち着け。すぐに死ぬほどのダメージじゃあない。もう一度、落ち着いて絵を描いてくれ」


 謝るのを止めた乃蒼はこちらをじっと見つめ、数拍の後に返答される。


「で、できません……。私……絵が、描けなくなっちゃいました……!」


「……っ!?」


 こいつの口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。食事よりも、睡眠よりも、親への恨みよりも、絵を描くことを優先してきた乃蒼が「描けない」なんて。


 震える乃蒼は立ち上がり、


「そ、そうだっ……! もしかしたら、旗師会の人達が私が描いた「回復」の絵を持ってるかもしれません! 私、探してきますっ!」


 と言って辺りを見回す。しかし、俺はすぐさま止めた。


「待てっ……!」


「待てるわけないです! 紫苑さん死んじゃいます! クリムさんも、早く助けに行かなきゃ……殺されちゃいます!」


 静止を振り切る乃蒼を再度呼び止める。乃蒼はその場に立ち尽くし、自らの頭をポカポカ叩く。すっかり青ざめ、グチャグチャの顔をしながら泣く乃蒼の顔を見て、俺はやはり違和感を覚える。


 乃蒼って、こんな悲壮感あふれる奴だったか?

 クリムって、あんな逃げ腰になる奴だったか?


 痛みで頭がおかしくなったのだろうか。どうも2人の様子がいつもと違うのが気になった。――いや、それは俺もか。


 さっきのは何だ。脇谷の背後ががら空きになったからといって、無闇に斬りかかったのは。脇谷の言うとおり、肉体強度的には三次元種と変わらないニ・五次元種が、なぜ不用意に飛びかかった? 雷神戦の時に学習済みだったはずなのに。普段の俺なら、こんな無闇に無策に動くことはないはずだ。いったい、いつからこんなことになったのか。


 ……あぁ、なんてことはない。この山頂に辿り着き、奴に逢ってからだ。奴の――脇谷の口車に乗せられた時からだ。思えば、奴が姿を現した時から俺達はなかった。


 俺達は集団だ。普通の絵師は描かない抽象画を描く絵師。棒人間かと思いきや、実は世界的に有名な漫画の主人公の二次元種。そして二次元種と三次元種のハーフの蒐集家。いつだって突拍子もない能力で、相手を驚かせながら闘ってきた俺達が、脇谷に先手を取られてしまった。


 こんなの、俺達らしくない。


「……っく。……ハハッ……」


 俺は、不意にある言葉を思い出して笑った。そんな俺を見て、乃蒼はさらなる絶望に落とされたような顔をした。たぶん、俺の気が狂ったのだ、と思ったのだろう。


「し、紫苑さん……と、とにかく私、まだ使える絵がないか探してきま――」


「いいから待てって。……ちょっと話を、聞いてくれ」


 再三止められ、地団駄を踏む乃蒼だが、どうすれば良いのか判断がつかなくなっているのだろう。俺の言うことをすんなり聞いてくれた。大きな声の出ない俺の元へ寄り添い、しゃがみ込む。まるで俺の死に際の言葉を聞き取るかのようだ。なんだかそれも可笑しく感じ、俺は再び笑ってしまった。


「ははっ、別に遺言を伝えたい訳じゃねぇよ。……お前さ、昨日俺に言ってくれたよな。「「何者なのか」なんてどーでもいい。重要なのは「何をするか」だ」って。……あれさ、やっぱり「何者なのか」っていうのも、重要なんじゃないかって思うんだ」


 突然、昨日の話を蒸し返され、乃蒼は少しキョトンとした顔をしていた。ようやく何の話をしているのか理解したようだが、やはり釈然としない様子。


「えっと……こんな時になんでそんな話を?」


「だからさ、「何者なのか」ってのも重要なんだよ。ただ、それは俺が今まで気にしてた、二次元種とか三次元種とか二・五次元種とかって話じゃあない。……痛っ」


 大きく息を吸ってしまい、右腕と腹が痛んだ。こんな痛みはどうでもいい、話を続ける。


「例えば、お前が絵を描いて、それがもの凄く高い評価をされたとしよう。ただし、描いた時のお前が絶不調だったり、普段と違うメンタルだった時――お前は素直に喜べるか?」


 乃蒼は少し考えた後、首を横に振る。


「だよな。その絵を描いたのは、いつもの自分じゃないからな。本来の自分が評価された訳じゃないもんな。……つまりは、何をするにしても、大前提として「自分が自分であること」も重要なんだよ」


 乃蒼は少し小難しそうな顔をして、言葉を選びながら言う。


「……つまりは、何をするにしても、が大事、ってことですか?」


 よかった。上手く頭が回らないが伝えたいことは伝わったらしい。俺は頷き、また笑う。


「それが今はどうだ? クリムは撤退を提案して、お前は絵が描けないと言う。俺も考え無しに突っ込んでこのザマだ。こんなの、いつもの俺達じゃあない」


 はぁ、と大きなため息が溢れる。


「まんまとしてやられた。あの脇谷に。……乃蒼、どう思う? このままクリムの言うとおり、俺達だけで逃げるか?」


 そう問いかけると、乃蒼は首を横に振った。そして、震える両の手をじっと見つめる。顔を覆って泣き崩れるかと思ったが、乃蒼はその両手を自分の顔に叩きつけた。音だけでその威力がわかる。悶絶しつつ、上げた顔には大きな涙があったが、先程までの青ざめた顔はすっかり紅潮に変わっていた。


「そんなの、嫌です! クリムさんを犠牲にするなんて! ……紫苑さんの言うとおり、私、いつもの私じゃなかった! 目の前で柳さんが傷つけられて、馬鹿にされて、頭に血が登っちゃいました! 紫苑さんもクリムさんもやられちゃって、もう駄目だと思っちゃいました! でも……紫苑さん、何とかしてください! どうにかして一発逆転の絵を描きたいのに……何を描けばいいかわからないんですっ!」


 傷だらけの俺に構わず、感情をそのままぶつけてくる乃蒼に、内心ホッとした。「何とかしろ」なんて、メチャクチャなことを言うが……そうだ、こいつはこういうキャラなのだ。ようやく、なってきた。


「良かった。描く意欲はまだあるんだな。お前はそれでいいんだ。何を描くかは、俺が考える……!」


 考えろ。体の痛みは忘れてしまえ。気絶ならここ数日で飽きるほどしてきただろう。今は頭をフル回転させ考えるんだ。奴に勝つ材料はあるばずなんだ。


 俺の二・五次元種としての能力。

 乃蒼の描く抽象画が持つ能力。

 クリムの有名漫画の主人公というポテンシャル。


 三者三様、デタラメな力を持つ自分達にできる事――自分達にしかできない事。


 3人で勝ち続けた今までの戦いから、何かヒントはあるか?

 勝つには――


「……あ」


 不意に声が口の端から零れた。そうか、ようは。俺は笑いが腹の底から湧き出てきた。なんでこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。


「し、紫苑さん、どうしました……?」


 ようやく笑いが収まり、再び少し血を吐いてしまったが、悪い気分ではない。口の中に残る血を吐き捨て、言う。


「そうだよ。勝てばいいんだよ。あいつも俺は「勝つためなら手段を選ばない」奴だと言ってたな。だったらご期待通り、手段を選ばず勝たせてもらうか」


 俺はいつもどおり、ニヤリと笑った。

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