第35話 クリム、苦戦

 ええい、ちくしょう。なんてザマだ。


 空に吹っ飛ばされながら、自らの不甲斐なさに苛立つ。数々の魔物や神とも戦い、勝利してきたこのクリム様が、こんなあっけなく場外へ退場させられるとは。剣だけは離さずに持っているが……情けねーぜ。


 なんとかこの状況を打破しなければ。そのためにもまずは状況整理――と、いきたいところだが、真っ暗な山の空の上でクルクル回り、何も見えない。耳に入るのもオレが羽織ってる黒い外套と紅いマフラーが風を叩く音だけ。上も下も分かりゃしない。


 が、山の木々が目に映った。OK、あそこが下だな。


 空中で身を翻し、着地の体勢。剣は腰のホルダーに引っ掛ける。着地というよりはか。適当な木を目掛けて降りる。バサバサッと葉の擦れる音と、太い枝がメリメリと軋む音。よし、なんとか着木。どんなもんだい。


「ちっきしょー、どんぐらい飛ばされた? 紫苑と乃蒼は大丈夫か?」


 木のてっぺんまでよじ登り、山頂を確認。よかった、さほど遠くまで飛ばされていないようだ。山頂まで直線にして数百メートル程度。ここから本気を出して飛び上がれば、山頂までひとっ飛びだ。


 降り立った太い枝の所へ戻り、一度屈伸。とにかく全力で飛び上がってみるしかない。「さぁ、すぐに戻るからな!」 と意気込んだ時だった。


「戻らなくても、こちらから来ましたよ」


 頭上に一陣の風が吹いた。ハッと見上げると中空に人影があった。背中に雷鼓、腰に風袋を携えているが、本人はボロいTシャツとジーパンという恐ろしいほどの無個性さ。我らが怨敵、脇谷さんじゃないか。空中でフワフワと浮いている。


「おうおう、ご足労感謝するぜ! それが風袋の力かぁ、いいなー」


 脇谷はフッと鼻で笑い、近くの一番高い木のてっぺんに降り立った。


 オレが吹き飛ばされてからすぐここに来たっぽいな。紫苑や乃蒼に手を出している時間はなかったはず。ちょっと安心した。仲間の安否を心配しながら戦わなくても良いみたいだ。


「良いね! 紫苑にゃ悪いが、一対一サシの方がオレ好みの展開だ! ワクワクするぜぇ!」


 そう言うと脇谷は笑みを浮かべる。オレも笑っているが、種類が違う。あれは嘲笑というやつだ。


「……何が可笑しい? オレ、なんかまた馬鹿なこと言ったか?」


「一体いつまで主人公気取りでいるんだか」と食い気味で応えた脇谷。続けて言う。


「まぁ、確かにあなたは世界的にもヒットをした漫画の主人公です。ですが、それは何年前の話だと思っているんですか?」


 言葉の意図が読めず、頭に疑問符を浮かべる。仕方ないといった様子で脇谷は続ける。


「あなたの漫画、「ホワイト・シップ」がブレイクしていたのは我々二次元種が現れる前のこと。つまり、15年も前の話です。確かに当時は累計発行部数が三億を越え、多くの人の目に映り、「想い」も強かったでしょう。ですが、今はどうでしょうか? 三次元種の人口が半分以下に減り、有名だったあなたの漫画も多くの二次元種によって抹消されています。わかりますか? つまり貴方は昔の「人気漫画の主人公」から遠く離れた存在になっているのです! 「想い」が全ての我々二次元種にとっては致命的なほど弱体化していることでしょう! ……まぁ、雷神を倒せる程度には力が残っていたようですが」


 なるほど、と納得した。たしかに雷神戦の時に違和感があった。予定では真っ二つにするほどの勢いで斬りつけたのだが、奴には斬り傷が残る程度だった。剣のせいかなー、と思っていたのだが、オレが弱くなっていたのか。脇谷の話を聞き、ショックだ。


「んあー、そうなのか。ま、弱くなったんなら、また修行しなくちゃだな、うん。……それ以上に、俺の活躍を読んでくれてた人が死んだり、俺の物語が消されるのはショックだなぁ。なるほど、これがお前の言ってた「脇役勢」の計らいってなわけか」


 脇役は静かに頷く。


「えぇ、有名キャラの漫画やイラストを抹消し、我々の恐怖を植え付ける。主人公勢は衰え、脇役勢は強大になる。最高の手でしょう?」


「けっ、なにが最高だ。最低だぜ。――だがな、お前に負ける気がしねぇんだよなぁ。なんでだと思う?」


 オレは腕のストレッチ、屈伸をしながら問う。脇谷は眉を顰め、理解し難いといった表情だ。……いや、まぁオレも完璧に理解している訳じゃないから、上手く説明はできないんだけどな。自分自身に説明するよう答える。


「なんというか、ここ数日で俺は強くなった気がする。これがお前らが言う「想い」の力かな。だが、お前らが糧にしている絶望とか恐怖とは違う気がするんだ。むしろ真逆の、あったけぇのが2俺の中に入ってきた感じがする。心当たりがありすぎるんだよなぁ。……うん、その2つの想いに応えるためにも、俺は負けるわけにはいかないし、負ける気もしないぜ!」


 ストレッチも終え、オレは外套を脱ぎ捨て、海賊服を顕にする。流石に本気を出さなくっちゃな。……それにしても、山で闘う海賊とは変な感じだな。まぁ、これもまた一興。オレは腰に携えていた剣を抜く。そして構え、剣に紅い炎を宿した。


 そんな準備万端のオレに対し、脇谷は失笑しやがった。


「ふふ……そうですか。そりゃあ頼もしいですね。しかし、あなたは絶望と恐怖の想いの深さを知らないようだ。これを喰らってもまだそんな口が叩けるでしょうか!?」


 失笑が止むと、急に脇谷は雷太鼓をバチで叩き鳴らした。厳かな轟音、雷鳴を模したその音が鳴り響くとたちまち暗雲が上空に立ちこめる。あっという間に広がった雲間に雷が垣間見え、そして――大きな光の柱が落ちてきた。


 しかし、雷に耐性があるオレにとって大して恐れるものではない。一瞬の衝撃と痛みに耐えれば、敵の懐に踏み込める!


 そう、思っていた。


「――っ!?」


 雷の柱が体に突き刺さると、何千本もの針に貫かれたような痛みと灼熱が皮膚を走った。あまりの衝撃で、木から滑り落ちる。


「――がっ……あっ……」


 頭から落ちたが、それは特に問題ない。それよりも、今の雷撃で服は焼き裂け、紅いマフラーも半分以上が一瞬のうちに焼き焦げてしまった。予想以上のダメージだ。すぐに起き上がらなきゃ、と上体を起こそうとするが、これが中々動かない。電流で筋肉が麻痺しているようだ。


 眩暈と耳の奥で鳴り響く雷鳴の残響感じながら、脇谷が木を降り、近づいてくるのが分かった。


「二次元種の武器は使用者によって性能も変わるんですよ。家来としていたあの雷神と私の力量差がどれほどか、今ので分かったでしょう?」


「でも……耐性……」


 「でも、オレには雷の耐性があるはず」と喋ろうとしたが、上手く呂律が回らない。しかし脇谷はオレが言いたいことを察したらしい。


「雷に耐性があると言っても、限界はあるでしょう。消防士の服でも、太陽に突っ込めば一瞬で灰になる。つまりはそれほどの差があるということですよ。あなたのたった2人分の「想い」と、私が集めた無数の絶望や恐怖の「想い」とではね」


 脇谷は既にすぐそこまで来ている。まずいな、これは。しかし、ようやく身体の感覚が戻ってきた。まだ立ち上がるのは厳しいが、口元は動かせそうだ。


 すぅっと大きく息を吸うと、山中に響き渡らせるように大きな声で叫んだ。


「紫苑! 乃蒼! 逃げろ! いつか! こいつを倒せるほどの力を付けてからオレの仇を取ってくれ!」


 夜の山にオレの決死の叫びが木霊した。しかし、それを聞いた脇谷はハハハと笑った。


「なんてこと言うんですか! あなたが彼に「仲間の大切さ」を教えてやったんでしょう? それを今更、教えたこととは真逆のことをしろなんて、酷ですねぇ!」


 ……反論できない。我ながら、らしくないセリフを吐いてしまった。紫苑の逃げ癖が感染うつっちまったのかもしれない。いや、そんな言い訳をしている場合じゃねぇな。


「だったら、やっぱり俺が何とかしなきゃなぁ! 大切な仲間に見守られながら、主人公が勝つ、って展開だ! 格好良く決めねぇと、単行本の売り上げが落ちちまう!」


 オレは歯を食いしばり、痺れた身体を奮い立たせ、立ち上がる。剣を杖代わりにして少しよろめくが、一息ついて身構えた。


 脇谷は呆れた様子でそれに応えた。


「この状況下でまだ冗談が言えるんですね。そして立ち上がるか。そういう点に関しては凄いと思いますよ。だが、生憎あなたはこの世界の主人公でもないし、この世界はそう簡単に物事は進まないんですよ。まだあなたの世界の物語は未完ですが――ここで終わりです。志半ばのまま、現実世界で消えてください!」


 脇谷は風袋を構える。


 今まで多くのピンチを乗り越えてきた。たとえそれが作り話だったとしても、オレは何でも乗り越える自信がある。


 だが――流石に今回は厳しいかも……?

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