第28話 一人ぼっち

 自分がニ・五次元種――二次元種と三次元種のハーフであることを知ったのは、クリムと出会ってすぐのことだ。


 棒人間になったクリムを紙の中に戻し、一安心した後に遅れてその異常性に気がついた。紙の中に手が入り、二次元種を呼び出すなんて、常軌を逸している。そんなこと、7歳の俺でも理解できた。


 こんなことができる理由を考えるのが怖かった。もしや俺自身が二次元種なのでは? もしくは、実は人類には元々そんな力が眠っており、たまたまあの金髪の女の絵に触れたときに才能が開花した――とか? 考え出すと止まらなかった。


 悶々としつつ、いつもの貧しい夕飯にありついた。あの日の献立なんて覚えていないが、どうせ芋と小さな川魚だろう。わずか数分で終わる夕飯は爺と婆ちゃん、俺の3人が揃って食べるのは習慣になっていた。俺がその日にあった出来事を話し、爺が「くだらない」や「危ないことするな」と叱るか、婆ちゃんが笑ってくれる、というのが定番だった。だけど、あの日の俺は考えに夢中でずっと黙っていた。


 そんな俺の様子を爺と婆ちゃんはどちらも不思議に思ったのだろう。どちらが聞いてきたのか覚えていないが、「何があった?」と問われた。俺は抱えた不安と恐怖に耐えきれず、爺と婆ちゃんに言ってしまった。


「爺、婆ちゃん。俺さ……ちょっと前からさ、家の裏手の倉庫に入ってたんだけど――」


 すぐさま爺の顔がいつもどおり鬼のような形相に変わっていった。いつものように怒鳴り声をあげる――その前に俺は言葉を続ける。


「そこに1枚の絵があってさ。触ってみたら、紙の中に手が入っちゃったんだよね。それで、絵の中の人間が俺の手を掴んできやがったんだ。ちょっとビビってさ、クレヨンで塗りつぶして棒人間に変えてやったんだ。そしたらソイツ、めちゃくちゃ怒っちゃってさ! その怒り方が面白くってさー、アハハ! ……なんて話、信じてくれる?」


 冗談っぽく、笑いながら言った。さぁ、爺の雷が落ちるぞ。そう思っていた。しかし、雷は落ちなかった。婆ちゃんも笑わない。まるで俺一人しかいないかのように、ゾッとするような静けさだった。


 時間が止まったのかと錯覚するほどの静寂。俺は伏し目がちに2人の顔を覗き込んだ。その時見た、爺と婆ちゃんの顔は、未だに忘れられない。


 常にふてぶてしく怒ったようなしわくちゃな爺。菩薩のような柔らかい笑みを浮かべている婆ちゃん。2人の顔が、共に絶望、恐怖、悲壮……まるでこの世の終わりを見るような顔で俺を睨んでいた。


 これに似た顔をどこかで見た記憶があった。そうだ、初めて3人で二次元種を見た時だ。まだまだ幼い俺を爺が背負い、3人で森の山菜を採っていた時。たまたま遭遇した二次元種から隠れ、草むらで身を寄せ合っていた時に見たあの時の顔と似ている。だが、今見ている顔はその時以上に深く、暗い表情に見えた。


 2人の老人に睨まれ、俺は食事を忘れ、呼吸すら忘れていた。俺の様子を見て、最初にいつもの調子に戻ったのは爺だった。


「――紫苑っ!!」


 いつもの怒鳴り声。こんなにも心落ち着く怒声は無かった。だが、その勢いは最初だけで、声色は段々と沈んで行った。


「もう、倉庫には行くな。それと――その話、今後、村の連中や旅のモン、俺や婆さんを含め、誰にも喋るな。……いいな!」


 遅れて婆ちゃんが我に返った。


「そ、そうね。他の人に話しちゃ駄目よ。……ね?」


 いつもどっしりと構えた爺、いつもおっとりした婆ちゃんが、慌てているのが目にみえて分かった。


 嗚呼、違うんだ。「たいしたことじゃない、気にするな」って爺は叱って、婆ちゃんは笑って言って欲しかったんだ。


 言葉をなくした俺は返事ができなかった。わなわなと震える手から夕飯の芋がこぼれ落ちる。


 長い長い沈黙。夕飯どころではなくなっていた。誰も物が喉に通らず、重い空気で押しつぶされそうだった。この沈黙を破ったのも、爺だった。


「紫苑……わかった。もうお前も7歳だ。自分自身のことを、知る必要があるだろう」


 観念したような口調で話す。婆ちゃんがそれを制すように口を動かすが、声となって出てはいなかった。


 心臓がはち切れそうな勢いで鼓動を打つ。何を話すのか分からないが、とてつもなく嫌なことだけは分かった。


「実はお前は――」


 そこから語られる真実。それは俺が予想していたものを遥かに超える内容だった。


 俺が二次元種と三次元種の間の子であること。俺を置いて去った父と母のこと――置いてかれた理由までは教えてくれなかったが、聞かずとも分かる。捨てたのだろう。


 二と三で分けられた世界。そんな世界の中で、二・五という曖昧な存在。唯一の父母ですら見捨てた存在。


 爺は苦々しく語り、婆ちゃんはいつの間にか泣いていた。


 俺はというと――居場所を探していた。


 俺はどこにいるべきなんだ? 人間と侵略してきた絵のキャラクター達の間の居場所。それはいったいどこだ? 俺の存在すべき場所、俺が居ていい場所とは……?


 探さなきゃ。俺の存在を認めてくれる場所。俺の存在を認めてくれる人。一人ぼっちなんて、嫌だ。


 大粒の涙が一つこぼれたのを覚えている。


◇◆◇◆


 大粒の涙が地面に落ちた。うつ伏せで寝ているので、落ちるというよりは、染み込むように涙は地面に消えていく。それでも、久しく流した涙は焼けるように熱く感じた。


「――嫌だったんだ」


 嗚咽混じりでそう呟く。独り言の声量だが、狭い洞窟の中、無理矢理隣に座るクリムの耳には届いている。夜飯用に鳥を狩り、俺に食わせた後、小休止していたクリムは落ち着いた様子で問う。


「なにが?」


「俺が……二・五次元種の俺が、この世にたった一人、誰からも認められない存在でいるのが、嫌だったんだ」


 「ふーん」と相づちを打つクリム。まだこれでは今朝の答えになっていない。俺の「旅の目的」。それは――


「俺は、一人ぼっちじゃないことを証明して欲しかったんだ。血の繋がりのある両親なら、鍛えて強くなって会いに行けば、認めてくれるんじゃないかと思ったんだ」


 すると、クリムは大きくため息をつき、顔を手で覆う。


「だろうな。俺は始めっから知ってたぜ。だのに……お前は自分からそれを拒んだじゃねぇか……!」


 呆れているような、怒っているな、そのどちらともとれる苛立った口調。俺は言葉の意味が理解できず、何も言えなかった。そのことが更に苛立ったようで、クリムは言う。


「一人ぼっちじゃないことを証明してくれる奴なら、もう居ただろ! すぐそばに! それを、お前が勝手に切り捨てたんだろう!?」


 俺が切り捨てた……? その言葉の意味を考え、ふと頭にある人物の顔がよぎった。俺の口から声が漏れる。


「乃蒼……」 


 初めてできた肉親以外の関係。唯一の相棒。


 俺がニ・五次元種だとバラされた時、あいつはどんな顔をし、どんな事を考えていただろうか。怖くて見れず、聞けなかった。だから俺は、また逃げたのだ。――そう思っていたが、違う。捨てたのだ。拒絶されることを恐れ、こちらから捨てたのだ。


 あれだけ捨てられたことにショックを受けていた俺が、逆の立場になっていたことに、今更気がついた。そして、旅の目的も忘れ、すぐ隣にあったゴールへの可能性を自ら捨ててしまったのだ。


「……すまん」


 無意識に謝っていた。その言葉は届くはずもなく、虚しく声は消えゆく。代わりにクリムが「気づくのが遅いんだよ……!」と怒ったような憐れむような声で応えてくれた。


 また大粒の涙が目からこぼれ落ちた。旅立ちを決意したあの時の俺は、悲しみとこれから強くなれねばという決意でいっぱいだった。だが、今はただの自責の念のみ。まるで、成長していない。むしろ後退してしているではないか。


 爺の辛い修行に耐え、強くなったと驕っていた。それが、幼い頃より弱くなっていてどうする。これで、いったい誰に何を認めてもらうというのか。


 後悔と自分への怒りで頭に血がのぼるのを感じた。すると、情けなくもまた貧血らしく、体から力が抜けていく。意識もぼんやりしてきた。また俺は気絶するのだろう。


 まずは、乃蒼に謝らなければ。そうしなければ、俺はあの日のスタート地点に立つことすらできない。


 それだけ思い、再び意識が沈んで行く。 

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