第27話 私は何故ここに?
私が目を覚ましたそこは明るく、暖かかった。
白いテントの天井に煌々と輝くライトを寝ぼけ眼で眺める。明るく暖かいこの場所は、私にとっては非日常的だ。だけど、コチコチと一定のリズムで鳴る時計がここが現実であり、時間が無情に過ぎ去っていくのを知らせる。布団から上半身を起こし、机の上の時計をみる。時計の針は2時半を指している。腹具合からして、午後の2時半だろう。
「2時半か……どっかの誰かさんを思い出しちゃうな」
私がポツリと呟いたこの場所は、柳さんと共に作業をしていた野営テント。テント内の半分を占めていた机を隅に寄せ、私達は床に布団を敷いて仮眠をとったのだった。久しぶりのちゃんとした布団。徹夜明けの疲労も相成って、すぐさま眠りに落ちてしまった。
たしか、寝たのが明け方の6時頃だったので、睡眠時間は8時間弱。久しぶりにぐっすりと寝れた。しかし、胸にはまだ妙な不快感が残っていた。原因はなんとなく分かっていた。
「あら、起きた? 絵垣さん。おはよう」
ぼぅっと視線を持て余しテントの壁を見続けていると、隣から柳さんの声がした。横を見ると上体だけ起こし、まだ眠たそうに眼を擦る柳さんがいた。
「お、おはようございます!」
「うん。ふふ。あなたは寝起きでもテンション高いのね」
「はい! 元気だけが! 取り柄、なの……で……」
言いながら段々と声が小さくなる。柳さんは首を傾げる。
「あらあら。言ってる傍から元気がなくなってるみたい。どうしたの? 具合でも悪い?」
「い、いえ……。なんだか、前にもこんなやりとりを――紫苑さんと話した気がして……」
益々顔に陰りが差す私の表情を見て、柳さんは「そう……」と困った顔で呟く。
「紫苑さん、今頃どうしてるでしょう? 追いかけていった人達は、帰ってきてましたよね?」
私と柳さんが作業に没頭していた明け方。紫苑さんを追っていた人達が帰ってきたのをテント越しに聞いていた。帰ってきた彼らの会話の内容から、紫苑さんを取り逃がしたことを聞き、胸を撫で下ろしたのを覚えている。そうだ、それにホッとし、集中力が切れたから仮眠をとったんだっけ。
彼らの会話を聞いていたのは柳さんも同じらしく、頷く。
「ええ、そのようね。あまり抵抗せずに大人しく捕まってくれると嬉しいんだけど……昨日のあの様子だと難しそうね」
「まったくです! あんな逃げ方して! どうしてもっと素直に生きられないんですかね!? あの人は!」
私がそう悪態つくと柳さんはフフフと笑った。
「良かった、少しは元気になったみたいで。……もしかして、乃蒼さんは彼のこと、好きなのかしら?」
……え? どうゆうこと? 意味が分からなさ過ぎて一瞬、思考が停止してしまった。
私はよっぽど不可解な表情をしていたらしく、柳さんは確かめるように再度聞いた。
「勘違いだったらごめんね。なんだか乃蒼さんは彼の話をする時はとても楽しそうに見えたから。絵を描いてる時も、彼の話になった時だけ、筆が嬉しそうに走って見えたの。だから――彼のことが好きなのかなぁって」
ニマニマとしたその笑顔は無邪気な子供のように見えた。柳さんは、顔立ちは綺麗な大人のお姉さんって感じなのに、内面的には子供っぽい所が見え隠れしている。こうなりたいものだ。
いやしかし、なるほど、そうだったのか。筆が走っていたのは自分でも全く気づいていなかった。よくよく考えると……そうかもしれない。
「なるほど、確かに紫苑さんのこと、好きかもしれませんね!」
「あっ……否定したり、赤面したりしないのね。(照れるところ見たかったのに……)」
「え、でも
私がそう答えると、柳さんは少し考え、すぐに小さく頷いた。そして「自覚してないだけ、ね。フフ」と呟いた。……どういうことだろう?
私が問い詰めようとすると、先に柳さんが小さく、悲しくため息をつく。
「はぁ……それにしても、まさか逃げ切られるとはね。想定外だったわ。乃蒼さん的には、どういう形であれ同行できた方が良かったでしょうけど……しょうがないよね。乃蒼さんの旅の目的を果たすためには仕方のない別れだったのかも……」
と、心底憐れむような目で私を見つめる。なんだか私の紫苑さんに対する思いが誤解されているようだが……それよりも気になる言葉があった。不意に口から溢れる。
「私の「旅の目的」?」
「? えぇ、乃蒼さんの旅の目的って――お父さんと一緒に暮らす、ってことでしょ? 私達旗師会もあなたのお父さんを探し続けてて、現状まだ手掛かりも掴めていないけど……世界中に広がり続けている旗師会なら、いつか必ず探し出してみせるわ」
言われ、私は「あぁ……」と頷いた。
私の旅の目的。柳さんの口から語られたそれは、まるで他人事のように感じられた。いや、実際、何かが違う気がする。
「私の旅の目的……お父さんと暮らす……うーん……」
「あれ? 違うの? お母さんが亡くなったことを伝えるのよね? その後、てっきり一緒に暮らしたいのかと思っていたんだけれど……」
それは間違いない。「お母さんが死んだことを伝えねば」と思ったのには違いない。だがしかし、その後のこととなると――。
「はい。母の死を伝えなきゃ、とは思ったんです。でも……その後は……あれ? あれれ?」
私は腕を組み、頭を捻る。
伝えた後、私はどうしたかったのだ?
なんやかんやで父に巡り逢えた私。
母の死を知って嘆く父。
その情景は想像できる。しかし、その後は?
元来、私が無鉄砲で無計画なのは承知の上。だがしかし、命懸けの冒険の先が全く検討もつかないとは。我ながら流石に不味いと思い、考える。考えるが――。
更に不味いことに、そもそもの目的すら
「の、乃蒼さん? 首の骨折れちゃうよ……?」
柳さんが忠告するまで私は首を捻り続けていた。どうりでなんか痛いなと思っていた。
私はグルンと首を正位置に直し、フッと息をはき、柳さんに問う。
「なんで私、お父さんにお母さんが死んだこと伝えなきゃいけない、って思ったんでしょうね?」
「え゛っ。う、うーん。私に聞かれても……」
柳さんの困った様子の返事。そりゃあそうだ。柳さんがその答えを持っているはずがない。それは他でもない、私自身が持たなければならないものだ。
真っ白なテントの天井を見上げ、頭を抱える。だって、ないんだもん。あると思っていた色の絵の具が、カバンの中を探しても見つからないような状況。あるのが当たり前だと思っていた。しかし、いくらカバンをひっくり返しても、その絵の具が見つからない――そんな心境。
旅立ちを決意した日。父を求め、生まれ故郷を後にしたあの日。私は何を思っていたのだろうか。たった数日前だというのに、思い出せない。そんなことってあるだろうか? 数日の色濃い旅路に塗りつぶされたのだろうか。厚塗りされた想いを拭い、始まりの日を思い返す。
浮かび上がるは「父に会う」という簡素な言葉。いやいや、本当にこれが私が求めていることなのだろうか?
真っ白な空間。まるでまっさらなキャンバスの一筆目のように、ポツンと置かれた私。そんな私に問う。私は――。
「私は、なんでここにいるんでしたっけ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます