第26話 俺は何故ここに?

 俺が目を覚ましたそこは暗く、寒かった。


 うつ伏せで寝ている体は重く、容易に起き上がれそうにない。そもそも、体を起こそうという気力もない。岩のように重い体、泥のように鈍い思考はまるで自分の体はここに存在しないように錯覚する。本当に俺はここにいるのか? そして、俺は――


 「俺は、なんでこんなところにいる?」


 己の存在を確かめるべく、俺はそう呟いた。蚊のようなか細い声だったが、たしかに自分自身の声が聞き取れた。どうやら一応、俺はここにいるらしい。


 何故こんな所に? 霞がかった頭で思い出す。雷神との戦闘、旗師会との邂逅、乃蒼との決別、そして――。思い出したと同時に背中に鈍痛が脈打つ。そうだ、逃走中にナイフで刺されたのだ。


「くそっ、旗師会の連中め……」


 そう呪言のように漏らすと、顔の上に覆いかぶさるように何かが近づいた。


「お、紫苑! 目ぇ覚めたか! 良かった良かった!」


 作り物のように整った女の顔が目の前に迫ってきた。すぐにクリムだと分かったが、反射的に視線を逸らしてしまった。決して美女に怯んだわけではない。


 逸した視線に映るのは、暗くひんやりと冷たい岩の壁。湿気で表面が濡れている。壁に沿ってぐるりと見回すと、この空間のおおよその広さが分かった。ここは俺一人が横たわると誰も座れないほど狭く、中腰にならなければ頭をぶつけてしまうほどの天井は低い。どうやら小さな洞穴のようだ。


「どこだ、ここ」


 そう問うと、洞穴の狭い通路に体を半分出しているクリムがこの空間を見回しながら言う。


「さぁ、オレもよく分かんね。たまたま見つけた洞穴だ。ひとまず旗師会の奴らは撒いたから、安心しろ」


 クリムは笑うが、俺は表情を作らなかった。


「そうか……。俺はどれくらい寝てた? 旗師会から逃走し始めたのが、夜中の3時くらいだったはずだ」


「んー、日の昇り具合からして、今は朝の9時ぐらいかね。6時間ほどしか寝てねぇよ」


 「そうか」と短く返す。丸一日寝ていたというほどでもなかったか。どうりでまだ背中の傷が生々しく痛むわけだ。息をするだけでも痛みが背中から全身に走る。


「それにしても、医療器具が無いのに、よく血が止まったな」  


「あぁ、旅の道具はお前が旗師会の連中に投げて渡しちまったもんな。傷についてはこのクリム様に感謝するんだな! 炎で傷口を塞いでやったぜ」


 クリムは得意げに笑い、ひらひらと振った右手の周りに、小さな炎が舞う。どうりで鈍痛に合わせてヒリつく痛みがあるわけだ。


 聞きたいことは粗方聞けた。最後に1つ、大きな疑問を投げかける。


「――で、なんでお前はここにいる?」


「なんでって……お前の傷の手当てもしなきゃいけねーし、万が一、二次元種や野生の熊にでも襲われたら大変だろ? 元々、ここは熊の冬眠用の穴っぽいしな」


「そういうことじゃない……なぜ逃げない? 折角、元の姿に戻れたんだ。絶好のチャンスだろ」


 クリムは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になったが、すぐさま怒りの形相に変わった。


「かぁ~、お前はホント……馬鹿野郎! なんで仲間から逃げなきゃいけねーんだよ!」


 それでも俺は表情一つ変えないよう努め、続ける。


「仲間じゃあない。俺は二・五次元種。お前は二次元種。俺とお前は違う」


 俺はそう言って目を瞑ると、クリムは深いため息を溢した。


「お前……手負いの状態じゃなかったら、ぶん殴ってたぜ! ――ちょっくら血になるもの獲ってくる! お前は血ぃ流し過ぎだ! 脳みそに血ぃ回ってないからそんな戯言を吐くんだな! うん!」


 そう言って、クリムは洞穴から出て行ってしまった。「あっ――」と俺は無意識に声を出したが、細い声は届かず、クリムは行ってしまった。


 我ながら、何をくだらない意地を張っているのだか。


 地面を殴りたくなったが、腕すらまともに上がらない。嗚呼、この頭に昇った血は何に対しての怒りだろうか。俺を襲った旗師会? 情けをかけるクリム? それとも――。


 再び意識が泥に足を取られたかのように鈍くなる。たしかに血が足りないのだろう。俺の意識はゆっくりと沈んで行った。薄れゆく意識の中、走馬灯――とまではいかないが、クリムと初めて出会った時のことを思い出した。あの頃はまだ、素直に直視できていたっけ。


◇◆◇◆


 クリムと初めて出会ったのは、俺が7歳の頃。この時はまだ自分の出生も境遇も理解しておらず、「自分は父と母と離れて暮らしている」という程度の認識だった。


 そしてある日、祖父母から入っては行けないと言われていた家の裏手の倉庫に入ってしまった。忍び込んだ理由は何の意味もない、ただの好奇心。この日じゃなくても、いつかは侵入していたに違いない。


 禁止されていた侵入に心躍らせ、入った倉庫の中は幾つもの本棚に、無数の本が並べられていた。難しい科学の本や絵本や漫画、あらゆる分野の本がそこにはあった。無論そこが父親の書斎だとは知らなかった。


 本の山に目を輝かせながら、俺は自分でも読める絵本や漫画から手に取った。そして、本に挟まれていた一枚の絵を見つけた。


 黄金の髪に紅い瞳とマフラー、海賊のような服の上から黒い外套を羽織る女の絵だった。俺は無性にその絵が好きになった。格好良さと美しさ、可愛らしさを全て含んだ、まさしく理想を絵に描いたような完璧な容姿だったからだ。


 それからというもの、俺は倉庫に来る度に今日あった出来事や面白い本の話をその絵に向かって話していた。なんだか、この絵はただの紙切れではない――そんな不思議な感覚があった。


 しばらくたったある日。ふと、その絵に手を近づけた。なんだが手を伸ばせば届くような、そんな気がしたのだ。


 そして、実際に届いてしまった。


 手が紙の中に吸い込まれる異様な感覚。慌てて手を引き戻そうとした、その時。絵の中で何かが俺の手を掴んだ。


 俺は悲鳴を上げながらその手を振り解き、紙から手を引き出すと、手には微かに掴まれた感覚が残っていた。恐る恐る絵を見ると、絵の中の女は、どこか悲しそうな顔をしているように見えた。


 恐怖に駆られた俺は逃げるように倉庫を後にした。そして翌日、意を決してその絵の元に来た俺は、持ってきた黒いクレヨンで絵を上から塗り潰した。女の全身が真っ黒になるよう塗りたぐった。紅いマフラーだけが残ってしまったが、構わず放っておいた。


 臭いものには蓋をするように、恐怖対象を塗りつぶした俺は安堵した。が、同時に軽い後悔に苛まれ、無意識に、謝るようにその紙を撫でた。その時だった。触れた人差し指に黒い棒のような腕が絡みつき、中から何かが飛び出した。そして、驚きと怒りを混ぜた声でソイツは叫ぶ。


「なんてことしやがるーー!! オ、オレの体が……棒人間になっちまったじゃねぇかァァァ!!!」


「う、うわああああぁぁぁ!!?」


 これが、俺とクリムとの初会話だった。その後、なんとかクリムを紙の中に綴じこめ、本棚に封印し、なるべくコイツと接触しないようにした。旅立つ覚悟をした、あの日まで。


◇◆◇◆


 頭の中に靄が掛かったような、不快な感覚の中、俺は再び目を覚ました。どれくらい時間が経っただろう。洞穴の中では時間がわからない。


 すると、遠くから足音が聞こえ、段々と近づいてくる。敵か? と思ったが身構える気力もない。


 足音は迷う様子もなく、一直線で洞穴の入口まで入り込み、ドタバタと俺が寝ている空間まで這い進んできた。


「ははっ、やったぜ。 見ろ、紫苑! 狸が獲れたから、焼いてきたぜ!」


 泥や狸の毛を顔にひっつけた美女が満面の笑みで現れた。片手に持った草の皿の上には既に加熱済みの肉らしき物が乗っていた。


「クリム……まだいたのか」


 俺のうわ言のようなセリフを無視し、クリムは寝ている俺を押し詰め、無理矢理に座る。そして、枝で作った箸を使い、おもむろに肉を俺の口に突っ込んだ。


「さあ喰え、どんどん喰え。失くした血を全部作り直せ!」


「おふぁえなぁ、ひょっほはかふぁへろ……(お前なぁ、ちょっとは噛ませろ……)」


 もごもご言いつつ、何とか俺は狸丸々一匹を平らげた。口の中に広がる獣臭さで気持ちが悪い。そして、体が妙に熱い。恐らく体が血をフル稼働で作ろうとしているのだろう。


 その様子を観察していたクリムは「よしっ」と膝を叩いて話し始めた。


「なぁ、これからどうする? 乃蒼とも別れちまったし、頼りにしてた旗師会にも殺されかけるし……。他にアテは――」


と言いかけたところで俺が言葉を被せた。


「アテなんかねぇよ。クリム、もうお前は一人で行け。その姿だったら足も速いし、あっという間に世界中を回れるだろ? 俺に合わせてノロノロしてたら、いつまで経っても俺の親父には会えねーぞ……というか、本当に俺の親父に会うのが目的なのか?」


「あぁ! 旅立つ時に言っただろ! もう一度お前の親父に会って、再戦を申し込む! 一度負けたら、勝つまで挑み続けるのが性分なんでな!」


 クリムの清々しいその顔。旅立つ時にもそんな顔をしていたのだろうか。あの時はまだ棒人間だったので表情は分からなかった。


「いまだに信じられん。親父がお前を蒐集して書斎に閉じ込めていた、なんてな」


「正直、俺もよく覚えてねぇけどな。この世界に来たと思ったらいきなり不意打ちで蒐集されて……って、言い訳してもしょうがねぇ! とにかくもう一度ヤりてぇんだよ!」


 両拳をかち合わせ、悔しそうだが嬉しそうに笑うクリム。戦う事を想像し、ワクワクしているのだ。


「たしかにお前は少年漫画の主人公だよ……」


「そりゃどーも! ところで、さっきの「なぜ逃げない」って質問の答えだけどよ、お前と居ればいつかはアイツに会えるはずだろ? それが理由だぜ!」


 俺が旅立ちを決意した日、クリムに何か父と母の手がかりがないか尋ねた時と同じセリフだ。あの時は、いつか逃げるための口実だろうと思っていた。


「まさか、本気だったのか……。主人公って面倒臭い設定なんだな」


「設定言うな! 性分なんだよ! お前らにとって俺達は作られた存在だろうが、俺達にとっては、二次元の世界が現実で、ちゃんと生きてるつもりだぜ? もっとも、そう思ってる二次元種は少ないみたいだけどな……」


 クリムはチッと舌打ちし、何かを思っているようだ。しかし、すぐにニヤリと笑った。


「そんでもって、傷ついた仲間を放っておける性分でもない! なんだったらお前を紙の中にぶち込んで、俺がお前を運んでやるよ! ガハハ、今までと立場が逆転しちまったなぁ!」


「やらせねーよ。馬鹿野郎」


 互いに鼻で笑うと、少し沈黙ができた。


 段々と眠たくなってきた。もう寝ようと思っていると、クリムが呟くように言った。


「お前はどうなんだよ」


「は?」と聞き返すと、眉を顰め、何故か困ったような顔でクリムが問う。


「お前の、旅の目的はなんだ? って聞いてるんだよ」


「旅立つ時に言っただろ。親父と母さんに会うんだよ」


「会ってどうするんだ?」


間髪入れず問われ、俺は今更ながらのその質問に、何故か窮してしまった。


「会ってとりあえず、親父はぶん殴る。色々な事の原因だし」


「本当にそれだけか? オレとたいして変わらねぇな。それに、その理由だと、母親と会う理由が無いってことじゃねぇか」


「!? そんなことない! 母さんにも会って、それから――」


 ついカッとなって反論するが、そのあとの言葉が出てこない。そんな俺を見つめ、クリムは呆れたような、寂しいようなため息をつく。


「ちょうど良い機会だ。立ち止まって――いや、寝て止まって考える時間はいくらでもあらぁ。旅立つって決めた時の事、よく考えてみるんだな」


 最後にクリムは「また飯になるモノ採ってくるぜ」と言い残し、クリムは再び洞穴を出ていった。それに返事を返すこともできず、俺は呆然としていた。


 クリムの問いがぐるぐると頭ん中で繰り返される。

 会ってどうするんだ。会ってどうするんだ?


 俺は、何故父と母に会う? 何故、父と母を求める? 昨晩、若草にも問われた時、「子供が親に会っちゃいけないのか」と答えたが、これは理由ではない。


 俺は何がしたいのだ。両親との再会の先にあるもの。自分が旅立ちを決意したあの日、求めていたモノ。すべてが、分からなくなってきた。どうして、こんな傷を負ってまで旅に出たのか。そして、俺は――


「俺は、なんでこんなところにいる?」

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