第25話 羨望と失望
夜が明けた。時刻は午前5時。
六畳ほどのテントの中、真ん中に置かれた机に私は座っている。昨夜から絶えず照らされたライトの元、周りには白紙や作成済みの絵が山のように積まれ、目の前の机の上には今しがた完成させた抽象画がある。
私は目の下に小さなクマを作って、机に頬杖ついている。昨夜の雷神との戦闘からほんの数時間しか経っていないが、既に遥か昔のことのように思えている。そもそも本当に国宝級二次元種の雷神と闘い、勝利を収めたのか? 全て夢だったのでは? あの強烈な真実も、夢であれば――。
しかし、私はあれが現実だったことを、いやがおうでも知らしめられる。夢であれば相棒の紫苑さんが横にいるはずだ。しかし、彼はここにいない。代わりにあるのは大量の抽象画だ。
「さすがにもう、描けない、です……」
私は机に突っ伏し、紫苑さんと別れてからの出来事が走馬灯のように頭をよぎり、眠りに落ちた。
◇◆◇◆
時は遡る。紫苑さんと別れた後。
脇谷さんに連れられ、私と旗師会の人達は隠れ家の洞窟へと向かった。着くとすぐに旗師会は洞窟内に四つの野営テントを張った。どれも大型で一つあたり六畳ほどのスペースがあった。
そして若草さん、柳さんと私の3人で一つのテントの中に入った。中にはテントの半分ほどを占める大きな机と椅子があり、その周りには山のように白い紙が積み重ねられ、残りのスペースは絵の具や鉛筆など画材が置かれていた。
「では、ここで君達には作業を行ってもらう。その前に、絵垣君。君の描く抽象画について確認しておこう」
「あ、はい……」
作業ってなんだろう。ちょっと休みたいなぁ、などと思っている暇もなく、私は席に座らされた。隣に柳さんが座り、対面側に若草さんが着席。机の真ん中に山のように積まれた紙が邪魔だったけど、片付けることもなく話はすぐに始まった。
「実は旗師会の過去の実験で、抽象画の具現化を行った事があるのだ」
「え! そうなんですか! じゃあ私の力なんてそんなに珍しいものじゃあないんですね!」
「話は最後まで聞きたまえ。言っただろう? 「実験で」と。……あまりにも効果が不安定過ぎて、実戦には用いられないと判断し、以後抽象画の使用は禁止していたのだ」
そういえば紫苑さんが前に「少しでも雑念が絵に含まれればどうなるか分からない」って言ってたっけ。抽象画って、プロの絵師でも難しいんだなぁ。
「しかし、君は効果の安定した抽象画が描ける。恐らく、君は想い描いたイメージをそのまま絵にできるのだ。そこまで純粋に絵へ想いを注げられるのは素晴らしい才能だ」
「あ、ありがとうございます……」
ちょっとびっくりした。紫苑さんにも凄いとは言われるが、ここまでどストレートに褒められたことはない。うーむ、紫苑さんには若草さんの生爪を煎じて飲ませたいな。(あれ、生爪で合ってたっけ? ちょっとグロい気が。ま、いいか)
「うむ。話を戻そう。先ほど言った抽象画の過去の実験で分かったことがあった。その中には、紫苑が言っていた「事象の強制発生」というものもある。しかし、他にも特徴的な点があるのだが、何か分かるか?」
急に問われ、頭を捻るがさっぱり分からない。
「すみません……分かりません……」
「一つは「事象の永続・非永続性」についてだ。先の実験の結果、抽象画は永続的に効果が残るモノと、事象発生後に消えてしまうモノがあることが分かった。たとえば君の「凍結」の抽象画だが、これは永続的に事象が残る。事象が起きた対象は凍り続けるということだ。逆に「回復」の抽象画は肉体の損傷を回復後、消えてなくなる。どの抽象画が永続か非永続かは君のイメージによるのだろう。だから、前もって何を描くか、どういうイメージを以て描いた絵なのか我々に相談してくれ」
「は、はぁ……」
正直、嫌だなと思った。その場のフィーリングで描くから、計画的に絵を描くのは苦手なのだ。
「そしてもう一つ、抽象画で気をつけねばならないのは「再使用不可」という点だ。事象発生後に消滅する絵はもちろん、永続的に残る絵を紙に戻しても再び使うことはできない」
すると柳さんが小さく唸った。
「そうなると……大変ね……」
若草さんは頷き。柳さんは腕を組んで項垂れる。何が大変なのか分からず取り残され、両者を交互に見ることしかできない。
その様子から察してくれたのか、柳さんが説明してくれた。
「「再使用不可」ということは、毎回新しい絵を描かなければいけないの。具象画なら具現化した物を再び紙に戻せばまた使えるけれど、抽象画は毎回使い捨てになっちゃうの」
「なるほど。まぁ、紫苑さんといた時も、毎回新しい絵を描いていましたし、大丈夫ですよ!」
私がそういうと、柳さんはきまりの悪い顔で言う。
「絵垣さん。うちの班には蒐集家が15人いるの。紫苑君1人だけなら供給し続けられたかもしれないけど、戦闘中に15人分の新しい絵を描き続けられる?」
「あー……無理ですね!」
事の大変さにやっと気づいた。15人分の絵を常に供給するなんて無理に決まっている。
「そこで、絵垣君には事前に大量の抽象画を描いてもらいたいのだ。特に、「回復」の絵は多くあるに越したことはないからな。明日、我々は残る国宝二次元種「風神」の蒐集を行う。発見次第、戦闘になるだろう。可及的速やかに準備を行ってもらう。……そうだな、「凍結」を45枚、「反射」を15枚、「回復」を……時間が許す限り描いてくれ」
その淡々とした口調で出された要求に一瞬眩暈が起こった。元々足し算は苦手だ。えーっと、最低でも60枚。しかも回復の絵に関しては際限なし、か。キッツイ!
「い、今から……明日までですか!?」
「うむ。正確には明日の朝7時までだ。できるね?」
急に威圧的な態度で迫る若草さん。
隣に座る柳さんをチラリと見やるが、彼女は苦笑いして、
「ごめんなさい。私も描かなければならない物があるし……手伝えないわ」
と言って申し訳なさそうに謝るだけだった。
そして、机に積まれた真っ白な紙の意味をようやく理解した。邪魔だなぁと思っていたが、まさか、これは――
「これ全部、私が描くための紙……。えぇーーーーー!?」
◇◆◇◆
そして現在。
私は「凍結」の抽象画を40枚、「反射」が10枚、「回復」が12枚描き上げたのだった。
たぶん、効率的に考えたら「凍結」と「反射」の絵を先に仕上げて、「回復」の絵を描くべきだ。けど、事務的に進められないのが抽象画の痛いところ。連続で同じ絵を書き続けるとどうしても飽きてしまうのだ。飽きると筆が乗らず、上手く描けない。なので、「回復」の絵を箸休めとして描いていたのだった。
「――んはっ!!」
どこからか落ちる夢をみて私は目を覚ました。
慌てて机にできた涎の水溜りを拭き取り、辺りを見回す。するとすぐ隣に柳さんが座っていた。鉛筆を持つ彼女は黙々と白い紙に絵を描き続けている。
「あら、おはよう」
私が起きたことに気づき挨拶するが、作業の手は止まらない。
よく見ると机の下に絵の山ができていた。その数はおよそ私の3倍。おそらく私が寝ている間も描き続けていたのだろう。
「す、すごい。こんなに沢山! ごめんなさい、ちょっと寝ちゃいました……。私も頑張らなきゃ!」
「ふふっ……無理しなくてもいいよ?」
絵の量産機のような人だが、私のやせ我慢を見て優しく笑った。
「い、いえ! 無理だなんて……!」
「顔に書いてあるよ? 「辛い」って」
「あ、アハハ。そんな馬鹿な。わ、私漢字苦手なので表示がバグってるんですよ。多分それ、「幸い」って表示されるはずだったんですヨー」
「その状態で冗談を返すなんて中々やるわね……」
「アハハハハ」
「ウフフフフ」
お互い妙なテンションになっていた。柳さんもやはり疲労が相当溜まっているのだろう。しかし、やはりこんな状況でも柳さんの手は止まらなず、絵を描き続けている。
柳さんは私と違い、鉛筆で絵を描く。白黒の濃淡だけで全てを表現する絵師だ。今、彼女が手掛けているのは無数のナイフの絵。紙いっぱいに広がる小さなナイフの数々が、紙の左手前から右奥にかけて飛んでいる絵だった。
「それにしても凄いです! 柳さんの絵は細かいのに、こんな速く描けるなんて!」
そう言っている間にも柳さんは鉛筆を滑らせ一枚の絵を完成させる。
「ありがとう。元々、私は筆の速さだけを買われて旗師会の絵師になれたの。多少のクオリティは捨てて、描く量を増やしたのよね。……だから、探すと結構荒が多いのよね」
謙遜しながらも鉛筆は紙を埋めて行く。そしてまた一枚の絵が完成した。
「いえ! そんなことないです! とっても素敵な絵だと思います! 色をつけても素敵になりそうですが……モノクロも格好良いです!」
「ありがとう。ちなみに、白黒でシンプルに描いてるのにはもう一つ理由があってね。旗師会の制服には紙同様、絵を入れることができるの。だからバインダーに綴じず、制服に直接入れる人もいるのよ。で、その場合、服にはこういうアイコンみたいなシンプルな絵の方が……可愛いでしょ?」
「なるほど……」と言いながら旗師会の者達の服装を思い出していた。そういえば確かに白衣の中にイラストが描かれた人がいたのを思い出した。
「す、凄いです! 戦闘だけじゃなくて、服のデザインまで考えているんですね! 流石、プロの絵師です!」
「えへへ。ありがとう。若草隊長には「そんなこと気にする暇があったらクオリティを上げろ」って叱られるんだけどね……」
小さく舌を出してはにかむ柳さん。普段の会話では大人の雰囲気を醸し出していたが、絵のこととなると急に子供っぽい無邪気な性格も見える。絵を描くことを大人になっても続ける彼女は、まるで私の理想そのものに見えた。たった数時間しか共にしていないが、私はもうこの人を好きになっていた!
そうこう思っているうちにも、柳さんは更に完成させた絵を机の下にできている山に積み重ねた。
「――で、絵垣さんの調子はどう? 終わりそう?」
私の作った絵の束を見ながら柳さんはそう言った。徹夜で回り難くなった頭をなんとか回転させ、答える。
「ええっと、「凍結」が四十枚、「反射」が十枚できたので、それぞれあと5枚。「回復」が十二枚出来ましたが……これは無限に描かないといけないです!」
私が絶望の表情を浮かべると柳さんは思わず吹き出した。
「隊長が言ってた「時間が許す限り描いてくれ」っていうのは半分冗談よ。(半分本気だけど……)。それにしても、よくそれだけ描けたね。正直、想定外だったわ」
半分冗談だったのか。その言葉にホッとすると、テントの入口から誰かが入って来て言った。
「いや、これくらいやってもらわねば、困るのだがね」
抑揚のない口調の来訪者は、若草さんだった。
無意識に縮こまってしまったが、若草さんはそんなことを気にする素振りも見せず、私達が描いた絵の山を見渡して言う。
「あの舵美亜門のご息女だ。これくらいのことは朝飯前だろう。ちなみに「回復」の絵はあるに越したことはない。どんどん描きたまえ」
「は、はい……」
若草さんは机に積み上げられた絵の山には触れず、その絵の量だけを目測しながら言う。
「で、先ほどの進捗報告によると、絵垣君は八割がた出来ているようだな。柳は予定通りできているようだな。うむ。少し早いが二人は休んで構わない。その後、再び作業に戻ってくれ」
「承知しました。ありがとうございます」
若草さんの命令に柳さんは素早く応答した。私も遅れて返事しようとするが、絵を持ち運ぼうとする若草さんを見て別の言葉が出た。
「あれ?」
「――何だ?」
「あ、いや、その……。絵の確認はされないんですか?」
私がそう問うと、若草さんは全く理解できないといった表情を浮かべた。
「何故見る必要がある?」
「え……。だって、ちゃんと描けているかどうか――」
「描けていないのか!?」
若草さんの張った声に、私は肩を竦めながらも答える。
「ちゃんと描きました! でも、私が描いた絵がどんなものか見ないのかなぁ、と」
すると若草さんは持ち上げた絵の山を一旦机に置き、面倒くさそうにため息を一つ溢した。
「我々蒐集家は絵を集め、使役するのが本分だ。絵の内容に関しては絵師に任せている。信頼していると言っても過言ではない。だから君が描いた絵にいちいち口出しはしない。話すとすれば――新しい抽象画の絵を描く時だけ相談してくれ」
それだけ言うと、若草さんは再び絵の山を持ち上げ、さっさと運んで行ってしまった。
隣に座る柳さんは若草さんの言葉を聞いていたのかいないのか、画材道具をいそいそと片付け始めた。
私はというと、絶句していた。
なにあれ。どういうこと? 「絵の内容に関しては任せている」って。絵を集める蒐集家がそんなこと言うなんて。あの人だったらそんなことは――。
私はその場で動けずにいた。ただただ虚空を見つめ、何か、喪失感のような物だけが胸に残っていた。
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