第17話 開戦

 燃え盛る夜の森。炎でできた円の中心、低い雑草が生い茂る場所に雷神は舞い降りた。


 重量感のあるドスンという音。先程までの雨で水玉を乗せた雑草が揺れ、弾けた水玉は熱気の籠もる空気に溶けていく。熱とまとわりつくような湿気の中、雷神は周囲を見渡し、吼える。


「近くにいるのだろう小童! 女子供を置き去りに逃げ出した卑怯者め! お前も男ならば潔く戦え!」


 雷神の挑発が虚しく森に響き、消える。


 無言の返答は「NO」。雷神はそれが分かると再びバチを持った腕を振りかぶる。


「ならば! 炎に焼かれて死ねぇい!」


 雷神がバチで太鼓を叩こうとしたその時。バチより早く太鼓に当たるモノがあった。


 それは、青い結晶。


 冷気を帯びたその結晶が太鼓に当たった瞬間、太鼓の全身を青い氷が包み込んだ。


「なっ!? これは……氷!?」


 雷神はその青い結晶が飛んできた方向へ素早く振り返る。


 雷神から数メートル離れた木々の上。一本の木の上に、片手を突き出している男が立っている。先ほどまで自分が卑怯者と罵っていた男こと、俺だ。


「どうだ! これで雷は起こせないだろう!」


 俺が指差すは氷漬けにされた雷太鼓。太鼓を包むように氷が纏わりついている。できれば雷神本体に当てたかったが。雷太鼓に当たれば上々だ。


 俺は間をおかず、再び青い結晶を浮かばせた右腕を振りかぶる。


 これは先程バインダーを捲っていた中で偶々見つけた「凍結」の抽象画だ。前回の戦闘でパジャマ姿の幼女を氷漬けにしたあの絵だ。今日の夕刻に話していたとおり、影でこっそり描いていたこの絵を、俺が仮眠している間にか乃蒼がバインダーに入れたのだろう。


 せっかく手に入れた反撃のチャンス。今度は雷神本体に当てなければ。


 しかし、焦りや驚きの表情になると思われていた雷神は不敵な笑みが浮かんでいた。


「なるほど。確かに儂はこの雷太鼓を叩いて雷を操っておった。こんな氷漬けにされてはたまったものじゃないな。だが――」


 雷神は太鼓を覆う氷に触れ、その冷たさと硬さを確認すると頷き、続ける。


「太鼓は! 音が出れば、雷は出るのだ! 小童!」


「……は?」


 俺が間抜けな返答をするやいなや、雷神は大きく振りかぶり、氷漬けの太鼓を叩いた。先ほどまでとは違う、少し甲高い金属の打撃音が鳴り響き、そして――。


 鋭く細い電流が俺の目の前に降り注いだ。


「うおっ!?」


 目の前に落ちた稲妻は、直撃はしなかったが強烈な光を発し、落ちた先の地面を抉った。


 その勢いに思わず驚き、拍子に右腕をあらぬ方向に振ってしまった。音も無く結晶は明後日の方向に飛んで行く。


「しまった……」


 そう呆然としていると、雷神は豪快に笑い出す。


「ガハハハハ! なるほど、氷のせいで少々打撃音が変わるからか、狙いもズレるわい! それにしても、なかなかどうして面白い雷を起こすぞ! ふふん、これもまた一興! 寧ろ感謝するぞ! 小童!」


「クソッ、とにかく太鼓が叩けりゃ雷が出せるのかよ……。確かに「打」楽器だけどよ――相変わらず滅茶苦茶だ!」


 前回のパジャマ姿の幼女が使った「萌え袖」ならぬ「燃え袖」は「燃える」という現象を「凍結」で上書きしたから機能を失くせた。だが、この雷太鼓は「叩けば鳴り、鳴れば雷が発生する」という武器なのだ。つまり、氷漬けにしたところで太鼓は叩けるし、叩けば音が鳴り、雷が発生する――の武器なのだ。


 めちゃくちゃだ。だが、奴らには理屈も道理も通じない。通じるのは、奴らの世界に則った「設定」だけだ。


「雷そのものを封じるか、太鼓を叩けなくするか、か」


「紫苑! 上!」


 クリムのその声にハッとすると、直上に小さな黒い雲が発生し、光が走った。


「あ――っぶねぇ!」


 バチっという音と共に視界に光が溢れる瞬間、俺は別の木に飛び移った。


 いましがた立っていた枝は光に包まれ、一瞬で枝は炭へと変わった。


「ぬぅ、惜しい。もう少しで当たったんだがのう! まだ狙いが定まらんのう!」


 言葉の割に嬉しそうに笑う雷神。


 二回目にしてもう雷のコントロールができるようになったのだろうか。


「どうするんだ、紫苑?」


「んなもん、決まってるだろ。逃げ……れないか」


 振り返り、退路を探すが辺りは炎の壁しか見えない。


「さぁ! 降りて来い! いい加減、鬼ごっこも飽きただろう! 小童!」


 前方には、雷神が腕を組んでこちらを待っている。


 さて、どうするか。腰のバインダーに手を掛け、手持ちの武器もとい絵で何ができるか考える。


 先ほどバインダーの中身を見ていた時、たまたま見つけたのが乃蒼の抽象画だったしかし、抽象画ももうなくなってしまった。さて、どうする――。


 不意に、ペチンと頬を叩くクリムの檄で俺はようやく現実と向き合う。


「少しは俺に相談しろよな。……ちょいとした策がある。耳を貸せ」


 言われるがまま耳を傾けると、クリムは思いもよらぬことを言い出した。


「……大丈夫なのか?」


「おうよ! 任せとけって!」


 楽観的な言い方に若干の不安を覚えるが、他に策も無し。ひとまずクリムの言うことに従い、俺は木から飛び降りた。


「ようやく降りてきたか」


 ギラリと目を輝かせる雷神。俺がバインダーに手を掛けると雷神はすかさず言った。


「ところで貴様は「蒐集家」なんだろう? 先ほどの術が何なのか分からんが――「DIG」だったかな? それを使って凍らせたのか?」


「あぁ、そうだ。もちろん凍らせた方法は企業秘密だけどな」


 言いながら手探りでバインダーを開き、ページを捲る。


 しかし雷神は未だ腕を解かず、うんうんと頷くだけ。


「そうか。今まで何人か蒐集家とは戦ってきたが、雷太鼓をこんな姿にした奴は初めてだ。しかもこんな小童が! ……ははん、なるほど。先程逃げ出したのも、彼奴らを逃がすためのか。身を呈して守ったわけか……中々に心地良い男だな。できることなら、お前が強くなるまで待っていたいところだが――」


 と、何故か満足気に喋るのを無視し、俺は雷神の元へ駆け出した。楽しく会話する余裕なんて無い。まさしく鬼気迫る勢いで地面を蹴った。


 柔らかい地面を爆ぜるようにまき散らし飛び出した初歩。二歩目三歩目も更に強く踏み込み、飛ぶように雷神の前に躍り出る。


 懐から刀を抜きだすかの如く、紙から剣を具現化。居合斬りよろしく剣を振り抜いた。


 ガッと鈍い音が鳴り、振り抜いた手には重い衝撃が走る。


 振り抜いた剣が衝突したのは、雷神の持つバチだった。雷神はこの奇襲まがいの斬撃を見事防いだのだ。


「神の言う言葉は最後まで聞けぃ……。お前が強くなるまで待っていたいところだが、蒐集家は漏れなく殺す決まりになっているんでな! 去ね! 小童!」


 雷神は刃を受けたバチとは反対のバチで太鼓を一叩きした。ガラスを叩くような高音が鳴ったと同時に、俺の上空に黒雲が立ちこめる。


 直後、黒雲が光ると、雷鳴が轟く。


 そして、今まさに雷が走る瞬間だった。


「やぁやぁやぁ! 全国三億二千万人の皆様、おまたせぃ!! オレ、登場ぉ!」


「なっ!?」


 突如俺の服から飛び出し、俺の頭を踏み台にして、真上に飛んだクリム。それに雷神が驚くとほぼ同時に、雷が落ちた。


 「あばばばばばびばばば!!!」


 バリッと引き裂くような音とクリムの叫び声が響く。


 俺はというと――無傷だった。代わりに、白い煙を立ちこめてクリムが俺の頭に落ちた。


「な、なんじゃ、こいつは――」


 驚き、硬直した雷神。


 だが、俺の方は既に次の手に移っていた。


「っだらぁ!」


 剣を引き戻し、再び横に一閃。雷神の横腹を斬りつけた。


 「ぐぅっ!」と雷神は呻いて身を屈めるが、俺は問答無用に更に横に斬りつけた。


 まだまだ斬りつける予定だったが、剣を振るのを止め、代わりに右足で雷神の腹を思い切り蹴りつけた。さすがの巨体も後ろに吹き飛び、雑草の上に尻もちをついた。


 俺は更に距離をとるべく、後方に飛ぶ。雷神との距離をおよそ5メートルほど確保できたのを確認すると、自らが持つ剣を確認。どこにも刃こぼれは無いようだ。


「頑丈さだけは申し分ないな。剣も……あいつも……!」


 吹き飛んだ先の雷神をキッと睨む。剣を持つ手に残る感触はまるで大岩を棒で叩いたような、そんな虚しい実感。「斬った」とは言い難い感触。 


「ふ、ふふ、ふ……」


 虚無感を更に追い打ちをかけるよう、雷神は笑いながら立ち上がる。


「面白いぞ、小童! なんだその面妖な者は! まさか、我らと同じ、二次元種――?」


 雷神は俺が斬りつけたところを擦りながらそう言った。出血はしていないらしい。


「流石は国宝級……」


 絶望し思わずそう声を溢すと、頭上で気を失っていたクリムが目を覚ました。


「あー、痺れた痺れた……えっ、何? 失敗した?」


 俺の頭上でクリムが身体を起こす。煙を発している棒人間は眼前の敵と目が合ったらしい。


 クリムを見つめる雷神は大きな目を更に大きく開き、ニタリと笑う。


「なるほど! 棒人間! 「棒」……つまりは、避雷針の代わりになったのか!」


 嬉しいそうに笑う雷神と対照的に、クリムはつまらなさそうに溜息を零す。


「まぁ、そんなところだな。電気にはそこそこ耐性があるんでね。って、おい、紫苑。相手さん、滅茶苦茶元気そうだけど!? ちゃんと斬ったぁ?」


 そう言いながら俺の頭をペシペシと叩く。


 斬りつけはしたが……やはり分が悪過ぎる。


「全力で斬ったが刃が立たねぇ。国宝級二次元種がこんなに硬いとはな……」


 「まじか……やべぇな」と脱力するクリム。


 ここまで頑丈とは思わず、俺だってショックを受けている。幸い、剣に刃こぼれはないが、剣より先に俺の心が折れてしまいそうだ。


 だが、剣を構える姿勢は崩さない。確かに岩を叩くような感触だったが、俺が斬りつけた雷神の腹は出血こそないが赤く腫れ上がっていた。岩でも叩き続ければいつかは壊れる。その「いつか」が来るまでにこちらが壊れなければ良いだけのこと。完全に勝機がないわけではない。


「全く、どういう了見か知らんが、二次元種が三次元種の味方をするなど……考えられんわい! 二次元種としての誇りは無いのか!?」


 呆れたような物言いだったが、クリムは毅然と答える。


「へっ! こっちにも色々事情があるんだよ! それに、二次元種の誇りだと? 元の世界を捨てて、この世界で暴れまわるお前らが何を言うんだ! お前らこそ二次元種の誇りを失ったんじゃねーのか!?」


 すると、雷神はまさしく鬼のような形相を浮かべ、吼える。


「紙に閉じ込められ、見世物にされて何が「誇り」か! ふんっ、その小童の盾となるのが貴様の誇りならば、よかろう! 儂が貴様を消し炭に……否、「ほこり」に変えてくれるわ!」


 雷神は両手のバチを振り回し、雷太鼓を激しく打ち込む。その音に合わせ、小さな黒雲が立ちこみ、一つ一つが合わさり大きくなっていく。稲妻が雲間から見え、今にも落下してきそうだ。


 構える俺にクリムが激を飛ばす。


「紫苑! 作戦続行だ! 俺が雷を受けるから、お前は雷神を叩き斬れ! 雷のことは気にせず、思いっきり行け!」


「おう!」


「あ、いや……やっぱり、なるべく早めに片付けろよ! 俺が埃カスになる前に……」


「……お、おう」


 力無い返事の後、俺は再度雷神に向かって斬り込む。

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