第16話 稲妻走る

「はーっはっはっはーっ!」


 余りにもわざとらしく、仰々しいその笑い声。最初は鳥の鳴き声かと思った。いや、そうであって欲しいと願った。


 振り返り、洞穴の入口を見る。しかし、誰もいない。視線を岩壁の上へ上へと移すと――笑い声の主がいた。


 隠れ家の岩壁の上、雨と月光を浴びて立ち臨む者がいた。まるでその風景が一枚の絵のように見える。否、そこに立つ者は実際に絵から飛び出してきた者だ。


 光のように真っ白な肌。上半身は裸で、衣服は藍色の袴と両肩に巡らせた深緑の帯だけ。両手両足首と頭に金色の輪を付け、手には太鼓バチを持っている。そんな外見の中で一際目立つのが、耳元まで裂けた大きな口と頭から生えた黒い二本角。そして、どういう原理か分からないが、背には小さな太鼓が輪の形で連なり、浮いている。


 こいつを見たことがある。昔、倉庫で見つけた歴史の教科書の表紙に載っていた。一説では、菅原道真の死後の姿と言われた、雷の神――


「雷神……!」


 無意識に溢したその言葉を聞くと、雷神は満足気に頷く。


「うむうむ。左様、儂が雷神だ。ようやく出てきたな、人間! いざ、尋常に勝負!」


 ガハハと笑い両手に持ったバチで小太鼓を叩く。直後、雷神の背後に大きな稲妻が走る。雷鳴は俺の肌を震わせ、稲光で周囲は一瞬光に包まれる。


 太鼓一つで雷を引き起こす――なるほど確かに奴は雷神らしい。俺は乃蒼の表情を見る隙もないが、どんな顔をしているのか想像がつく。視線を雷神から外さないまま、視界の端に映る乃蒼の背を軽く叩く。


「乃蒼、お前はそのガキを連れて逃げろ。だが、すぐに隠れ家には戻るな。まだ奴は隠れ家の場所にまでは気づいてないはずだ。俺がなんとか引きつけて逃げるから、その隙に隠れ家へ戻れ」


 ワンテンポ遅れて、ようやく乃蒼が息を呑んで答えた。


「え、で、でも、紫苑さん一人で……戦えるんですか!?」


 俺はやや自嘲気味に笑う。


「「戦う」なんて一言も言ってねぇよ。相手は国宝級二次元種だぞ。逃げるしかないだろ。幸い、旗師会が明日の朝に到着する予定。だったら明日の朝まで逃げ切って、戦いは旗師会に任せれば良いだけだ」


 ――とは言ったものの、夜明けまで6時間以上はあるはず。それまで逃げ続けるのは容易いことではない。そもそも、脇谷が言った通り旗師会が来るのかどうかも確証はないが、今はこれを信じるより他はない。


 俺は後方に広がる木々を利用できないかと考えていた。鬱蒼とした森林部に逃げ込めば、深い闇も相俟ってこの身を隠すのを手伝ってくれるだろう。

 できれば今すぐ逃げたいが、その前に確認が一つ。雷神に聞こえないよう小声で言う。


「おい、クリム。ガキがいるが……出てきていいぞ」


 言うと、乃蒼の上着のポケットからひょっこりと棒人間・クリムが顔を出した。


「もっとピンチになってから登場しようかと思ってたのに! もうお呼び出しか!?」


 棒人間の登場で乃蒼の後ろにいた少年は小さな悲鳴をあげるが、今は彼に説明をする時間はない。俺は無視してクリムに続けて言う。


「裏切るなら今のうちだぞ。どう見たって勝ち目のない敵だからな」


 俺の発言に乃蒼が驚きの声をあげた。


「えぇ! 紫苑さん、何を言ってるんです!?」


 俺は乃蒼を無視し、クリムの答えを待った。じっとクリムの真っ黒で丸い顔を見つめる。


 すると、目も口も無く、全く表情は伝わらないはずだが、確かにクリムがニヤリと笑ったのが分かった。クリムは頭をペチンと叩く。


「かぁ~~っ! お前はほんと捻くれた性格に育っちまったなぁ! 親の顔が見てみたいぜ――って、それを探してるんだっけな」


「御託はいい。裏切るならさっさとしろ」


「裏切るわけねぇだろ! 紙の中にいたとはいえ、何年もお前を見守ってきたんだぜ? ――それに、今宵の相手は雷の神さまだ! どんだけ強いのか、ワクワクするなぁ!」


 はぁ、と俺は溜息をこぼす。どこまで信用できるか分からないが、ひとまずその答えに安心した。


「お前のそのいかにも少年漫画の主人公っぽい思考は理解に苦しむが……正直、助かる。よし、お前はこっちに来い」


 クリムは「りょーかい!」と言って俺の肩へと飛び乗った。

 待ち構えていた雷神が不敵に笑った。


「作戦会議は済んだのか? そろそろ往くぞぉ?」


 雷神が組んでいた腕を解き、バチを構える。恐らく、太鼓を鳴らし、また雷を発生させるのだろう。俺は雷神の手が動くより先に行動を始めた。振り返り、闇が広がる森林部へ向かって走り始めたのだ。そして、


「こ、こんな奴の相手してられるか! 俺は逃げる!」


 という捨て台詞を吐いた。


 傍から見れば、少女と少年を見捨てて逃げ出す男の図だ。

 情けなくも綺麗なフォームで駆ける男に、雷神は一瞬呆気にとられる。

 しかし、次の瞬間、耳まで裂けた口をゆがめて叫ぶ。


「この腑抜けが! 恥を知れぃ!」


 雷神の矛先は、完全に俺に向けられた。なんとなくあの口調から、クリムと同じ仁義を重んじるタイプの戦闘狂であることは分かった。ならば、女子供を放って逃げ出す卑怯者は許せない性質だろう、という予想が当たったようだ。


 振り返ると、すでに岩壁を飛び越え、こちらに一直線で飛ぶ雷神が見えた。そしてやや遅れて近くの茂みに走る乃蒼と少年も確認できた。恐怖と安堵が共存する名状し難い感覚だ。


 視線を前方へ戻す。背中から殺気をヒシヒシと感じながら俺は走った。

 

 ひたすらに続く闇の中、木々の合間を縫って走る。

 雷神はそれを追い立てるが、思うように距離が縮まらない様子。


「ええい! 小癪な! 逃げるのが上手いな! 小童!」


 やはりこの木々に囲まれた所では素早く動けないのだろう。生まれてこのかた山で育った俺ならではのアドバンテージ。3人の二次元種を撒いた(結果的に見つかったが)山中の走りは雷神にも通用するようだ。もう少し走り続け、このまま闇に乗じて身を隠すこともできるかも。


 そう思いながら振り返る。雷神との距離はどれ程か。距離を測ろうとしたが、既に後ろには雷神の姿が無かった。


「? 撒けたか? そういや、雨が……」


 走りながらすぐさま後方、上空へと視線を移す。

 いつの間にか雨は降り止んでいた。雨のおかげで視界を幾分か遮ることができていたのだが、タイミングが悪い。いや、おそらくあの雨雲は雷神が作ったものだ。俺を追うのに邪魔だから消したのだろう。


 雨はなくなったが、生い茂った木々の葉が俺を隠してくれている。地上からは月灯りや星々の煌めきも見ることはできない。つまりは、上空からもこちらは見えないということだ。


 少しホッとしたのも束の間。


「さぁて、焙り出してくれるわ、小童!」


 遠く上空から聞こえる雷神の声がした。


「野郎、まさか――」


 そう言い切る前に、ドンっいう太鼓の音が鳴り響く。それも一度や二度ではない。数十回の打音が鳴り響くと辺りに一瞬光が走る。

 瞬間、雷鳴の腹の底まで響く重低音が鳴り響き、大気が揺れ、木々も震えた。

 神による雷が、天より降り注いだのだ。

 俺のいる位置を囲うように、およそ半径二十メートルに円上に降り注いだ雷は木々を薙ぎ倒し、森に火を放った。


「熱っ!」


 眼前にできた炎の壁は熱風を発し、生物の進行を阻む。肺が焼かれるような熱風を感じ、本能的に俺の足にはブレーキが掛かり、その場で急停止した。

 一瞬にして辺りを炎に取り囲まれてしまった。辺りをぐるりと見渡したが、抜け道はないらしい。


「紫苑! そろそろ腹ぁ括ったほうがいいんじゃねぇか!?」


 俺の懐から頭を出したクリムの進言。チッと舌を鳴らして俺は腰のバインダーに手をかける。


「簡単に言ってくれるぜ、クソッ」


 震える手でバインダーを開く。

 何か、ないか。

 急いでページを捲り進める。テントやリュック、乃蒼が描いた剣が2本。そして――


「……!」


 とあるページで手が止まった。そのページを取り出し、振り返る。


「戦う覚悟はできてねぇが……少しは抗わせてもらうぞ!」

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