第13話 絵への想い

 気がつけば夕方になっていた。陽の入らない洞窟の中では時間感覚が狂う。加えてこの閉鎖感、精神衛生上も良くないのは俯く子供達をみれば明らかか。外に出て気晴らしでもできれば良いのだが、それが危険であることは言わずもがな。


 自由に生きてさっさと死ぬか、閉じ込められ長く生きるか。どちらか選べと言われれば後者を選ぶものなのだろう。今、地球上で生きている大半の人間はそうしているのだ。


 流浪の身である俺達にとっては多少暗く湿ったこんな所でも、雨風凌げる安全な宿があるのは有り難い。――と思ったがすぐに頭を振る。


「忘れちまいそうだが、近くにこいつらを襲った二次元種がいるんだった。ちっとも安全じゃないから俺達はここに留められているんだった……」


 溜息まじりで俺は焚火にあたる乃蒼の元へ向かう。


 小さな焚火を囲う様に乃蒼とリュック、そして濡れた服が並んでいた。サイズが合わずダボついた服を着ている乃蒼はパチパチと燃える薪を見つめている。


「おい、どうした? ボケーっとして。もしかして、熱でも出たのか?」


 そう問いかけると乃蒼は頭を振る。


「いえ、体調は大丈夫です! ボーっとしてたのは……ちょっとここの子供達のことが気になっていて……」


 乃蒼は振り返り、小さな光に群がる無口な子供たちを悲しい目で見つめる。


「人間の集落が二次元種に襲われる話は聞いたことがありますが、実際に被害にあっているのを見るのは始めてです。なんだか……申し訳ないです」


 最後の言葉が少しひっかかった。「申し訳ない」?


「なんだよ「申し訳ない」って。 二次元種が憎いとか、子供達が可哀想とかなら分かるが。なんでお前が負い目を感じる?」


 言うと乃蒼は言葉を選びながら、ゆっくり答える。


「私は絵師です。二次元種の親みたいなものです。自分の子どもが他人を苦しめている事実を知って、申し訳なくなるのは変ですか? あと、「悲しい」っていう思いもあります。ただ、それは――」


 少し言い淀んだが、乃蒼は続ける。


「こんなこと言うのは不謹慎かもしれませんが……私は絵が好きです。つまりは、二次元種も好きなんです。それが世間じゃすっかり二次元種は、人類の敵になっています。それが、ちょっと悲しいです」


 そう言うと乃蒼は視線を焚き火に向けた。


 俺はというと、正直、困惑した。


 人類の敵を「好き」だと言うとは。今、自分達がこんな目にあっている元凶に対してそんな思いを抱くとは、狂気にも近い。


 言い淀んでいる様子から、その認識が普通でないことを自覚しているだけまだマシではあるが、人類としては唾棄すべき思考。命を預け合う身として縁を切られてもおかしくない主張だ。


 だが、今俺が困惑しているのは乃蒼の異端ぶりにではなく、その俺自身が心の奥底から湧いて出ているのだ。


 俺が口籠る中、乃蒼の横に置かれたリュックからクリムが這い出てきていた。ようやく外に出れたクリムは、目と思わしき場所から水玉マークの涙を流す。


「そうかそうか。乃蒼は俺達のことをそんな風に見ててくれたんだな……。俺達を害獣や家畜のように扱う、どこかの陰湿ロマンチック目つき悪男とは大違いだ」


 おいおいと感涙しているクリム。俺は漫画のような水玉マークの涙を流す棒人間の首根っこを掴んで言う。


「陰湿と目つきが悪いのは否定しないが、ロマンチックだけはやめろ」


「少女漫画を愛す、乙女の心を忘れないのは良い事じゃあないか――痛だだだ!」


 減らず口が減らないやつだな。クリムの首をめりめりと音をたてながら締め付けてやった。


「っていうか、勝手に出てくるなって言ったよな?」


「いいじゃねぇか、近くには誰もいないし! こんな暗闇の中だ。あそこの子供たちにも俺の姿は見えないだろ」


 クリムは真っ黒の体をジタバタと振る。唯一の特徴である真紅のマフラーもこの暗闇ではそれほど目立たない。さらに声量も絞って話している。


 チラリと子供達の方を見るが、誰も特に反応を示さない。俺はクリムを元居たリュックへ投げつけるように戻した。


「たしかに大丈夫そうだな……。問題は乃蒼だな」


「……はい!? 私、「陰湿ロマンチック目つき悪男」なんて言ってませんよ!?」


 さりげなく悪口が追加されている。もはやツッコむ気力もない。


「それじゃなくて、「二次元種が好きだ」って話のことだ。今後、二次元種と闘う中で、奴らを紙に戻さず殺さなきゃいけない時が来るかもしれない。その時、お前は二次元種を殺せる絵が描けるか? 絵に対する思い入れが強いことがお前の強みかもしれないが、そこが弱点でもある。だから、二次元種に対して、変に情を持つのはやめろ」


「でも――」


「俺だって絵は消したくない。だが、やつらにとってそれは関係の無い事だ。割り切って考え――」


 俺の言葉を遮り、素っ頓狂な声で乃蒼が割り込んだ。


「「絵を消したくない」って――紫苑さんも絵が好きなんですか!?」


 乃蒼の大きな目が暗闇の中でもキラリと光る。驚きと興奮を含んだ瞳をしている。


 微かに頬に熱を感じながら俺は答える。


「いや、まぁ……「蒐集家」なんだから、絵がこの世から失くなるのは困るというか……可笑しくはないだろ」


 そうは言うものの、一般的な蒐集家は二次元種を忌み嫌っているものだ。もちろん、俺自身、今の発言が一般的では無い事を承知している。


 今更ながら、何故自分は「絵は消したくない」だなんて言ったのだろう。不意に、だが自然と、当たり前かのように口から出た言葉だった。――嘘や適当な同調ではない。本心だ。乃蒼を否定しながら、その乃蒼と同じであることを言うなんて、結局自分は何が言いたいのか……。


 半ば混乱しながら俺は頭を振って言う。


「ええい、そんなことはもうどうでもいい! とにかく、二次元種に情けはかけるな! いいな! あと……焚火を消すぞ! 服も乾いただろ」


「えぇ、ちょっとまってくださ――へっくちっ!」


 俺が火のついた薪を踏み消すと、タイミングよく乃蒼がクシャミした。


「なんだよ、まだ体は暖まってなかったのか。まずいな、このままだとマジで風邪ひくぞ。アルミシートとかあれば良かったな……」


 体を包み込み体温の低下を防ぐアルミシート。家にはあったが、荷物の中には無かったはず。家を出る際、ついでに持ってくればよかった。


 俺が軽く後悔する中で、ずびっと乃蒼が鼻をすすり、言う。


「アルミシートですか。昔何かの漫画で見たことありましたね。こんな時こそ、絵で描けたらいいんですけどねぇ」


「あぁ。って、こっちのセリフなんだが? 絵師のお前が言ってて悲しくならんのか……」


「そうだ! 漫画では雪山で遭難した時には人肌で暖め合うってシーンがあったような」


「ア、アホか! そ、そんなふしだらなこと――」


「冗談ですよ。ピュアですねぇ。あ、そうか! いいこと閃きました!」


 何を閃いたのか、乃蒼は隣に置いた自分のリュックへと手を伸ばす。そこから紙と数種類の絵の具を取り出した。


「何を描くんだ? アルミシートを描くのか? ……お前に描けるのかよ」


「いえ、たぶん私には描けないので――まぁまぁ、見ててください! あーあ、昔は寒い日はお母さんと二人で毛布に包まって温めあってたのに、紫苑さんは恥ずかしがっちゃうもんなぁ〜」


 口の減らない乃蒼は既に絵の具を付けた筆を走らせていた。どうやら抽象画になると筆の速さは格段に上がるらしい。具象画を描く時のより筆の運びが速い。


 ものの数分で描き終わったらしく、乃蒼は筆を片付けた。


「でーきまーしたー!」


 満足そうに描き上げたのはこれまた奇妙な絵だった。


 幾つもの矢印が紙の右端から伸び、左端に当たって跳ね返っている。矢印の色は赤や黄色、橙色等、暖色系等のものばかり。跳ね返りを表したような矢印が滅茶苦茶に描かれた絵だった。


「……なんだこれ?」


「そうですね……「反射~愛はIより出でて相より逢す~」なんてどうでしょう?」


 サブタイトルの意味が分からなかったが、前回の抽象画同様、タイトルどおりならば、恐らくこの絵は――


「「反射」ってことか? なんでまたそんなものを」


「ふふふ。今に分かりますよ。紫苑さん、DIGでこの絵を乾いた私の服に当ててください!」


 得体の知れない抽象画を具現化するのはあまり気が進まない。だが、描いた本人の服に当てろというのであれば――しょうがない。


「どうなっても知らねぇぞ」


「大丈夫ですって~!」


 DIGを使い紙の中へ手を入れる。そして中から取り出したのは、一つの赤い結晶。結晶の周りに、無数の矢印が浮かんでいる。それを乾いた乃蒼の服へ結晶を当てる。

 すると――何も変化はなかった。


「おい、乃蒼。もしかして、失敗か?」


 と言いかけると、おもむろに乃蒼は服を脱ぎ始めた。座ったまま、俺から借りた黒のTシャツを脱ぎ、次いでカーゴパンツも脱いだ。


「よいしょよいしょ」


「……」


 俺は反射的に後ろを向いていた。

 まさか、この「反射」的行動が絵の効果――そんなわけないか、と一人でツッコむ。


「よし! 着替え完了! うんうん、思った通り、良い感じ!」


 着替え終わったのだろう。俺は振り返り、乃蒼を見る。

 どうやらいつもの服に着替えただけのようだ。


「何が「思った通り」なんだ?」


 すると乃蒼は自慢げに薄い胸を張って答える。


「この服に「反射」の効果を付与したんです! これによって、私の身体から出た熱を服がそのまま私に「反射」するのです! これなら自分で自分を暖められます!」


 着ている者の体温を「反射」させる――ただの服がアルミシートのような働きをする訳か。


 仮に、熱を発生させる絵を描いて、服にその効果を付与すると、おそらく全身大火傷してしまうだろう。寒さを凌ぐならば「反射」の効果で十分だ。乃蒼にしてはよく考えたものだと少し感心した。


 すると、ある考えに行きついた。


「「反射」の効果が付いたなら、敵の攻撃も反射できたりするのか? だとしたら、かなり強力な防具になるな」


 そう言うと乃蒼は口をへの字にして考え込み、ややあってから答えた。


「たぶん、そこまで万能な「反射」じゃないと思います。昔、お母さんと包まっていた毛布の中をイメージして描いたので、熱と――あとは、光とか音くらいのものしか反射できないと思います。強い衝撃は跳ね返せないかと」


「なんだ、そうなのか。」


 少し残念。もし「反射」効果で攻撃が防げれば、今後の戦闘する中で乃蒼を気にすることなく闘うことができたのだが――どうやらそんな旨い話は無いようだ。


「そうか。前に言ってたな。「体験した事しか描けない」って。――あくまで、自分がリアルにイメージできる絵しかできないのか。「全てを跳ね返す」なんてそうそうリアルにイメージできないか」


「そういう事です! 凄いですね! 理解が早いです! 流石相棒って感じですね!」


「そりゃどーも。ところで先生。も描いてたりするんだろ?」


 乃蒼はビクッと肩を竦め、もじもじと手をこまねいている。ここまであからさまに動揺されては怒る気にもなれない。


「さてはお前、俺に隠れて抽象画を描いてることに気づかれてないと思ってたのか?」 


 「うっ」と悲鳴のような声を漏らすと、乃蒼は大げさに土下座した。


「すみませんでした!」


 人に土下座されるなんて初めてだ。少し驚いたが、俺はなるべく内心を表に出さないよう努めた。


「なんで謝る?」


 落ち着いた声色を出したかったのだが、逆にドスの利いた声になってしまった。余計に縮こまった乃蒼は声を絞り出す。


「だ、だって、抽象画を描いてたので……」


 頭を掻きながら俺は言葉を選びながら言う。どうやらこいつは何か勘違いしているらしい。


「「具象画を描く練習をしろ」とは言ったが、「抽象画を描くな」とは言ってないぞ。まぁ、新しい武器は欲しいから、具象画を描いて欲しいとは思うが。かといって、お前の絵描きとしてのスタンスをないがしろにもしたくない……。うーん、言い方が悪かったか」


 俺が歯切れ悪そうにしていると、クリムがひょっこりと前に出てきた。


「なんでぇ、俺もてっきり紫苑は抽象画を嫌ってるのかと思ってたぜ」


「私もそう思ってました!」


 「ねー」と顔を見合わせる乃蒼とクリム。いつの間にかこんなに仲良くなっていたんだか。


「嫌ってはいない。ただ、戦闘には向いてないと思う。それだけだ」


 するとクリムがすかさず反論する。


「おいおい、この前大活躍したのに、戦闘に向いてないとはどういうことだ?」


「抽象画は描く者のを描いてるようなもんだ。もしも描いている最中、心に迷い生じた場合、具現化した抽象画で何が起こるかわかったもんじゃない。お前は二次元種を憎むべき敵とは思っていなんだろ? もし、今描こうと思ってる絵が二次元種を殺すかもしれないと知っても、お前は一切心を乱さずに描けるのか?」


「……」


 乃蒼は俯き、何も言わない。その沈黙こそが回答だろう。


「ま、そういう訳で、抽象画は戦闘向きじゃないんだよ」


 バッサリと言い渡したが、乃蒼達を見て少し考え、言う。


「まぁ、あくまで戦闘には、な。戦闘に使う予定のない趣味っつーか個人の作品として抽象画を描くのは構わん。第一、抽象画は使うとせっかく描いた絵が消えちまって――


 そう言うと、俯いていた乃蒼が顔を上げた。


「紫苑さんは本当に色々考えてくれてるんですね! 私の事とか、私の絵についても!」


 言いながらキラキラ輝いていく目に気圧され、俺は目を逸らす。


「あー……まぁな。だから気苦労が絶えねぇよ。さっさと具象画も上達して、俺を楽にしてくれ。……なんだか疲れた、ちょっと寝る! 脇谷が帰ってきたら起こせ!」


 会話から逃げるように俺はその場で横になった。


「あ、はい。おやすみなさい! ちなみに私が趣味で描いた抽象画って紫苑さんに預けてもいいですよね?」


「うん? あぁ、別に俺が預かっても構わん。何かの拍子で具現化してしまうのがちょっと怖いが……。できた絵はバインダーに挟んでおいてくれ」


 俺は腰のバインダーを乃蒼に渡し、再びその場で仰向けになる。なんとなく気まずくなり、逃げるために横になったが、旅の疲れからか急に瞼が重く感じた。


 我ながら、何故「絵は消したくない」だの「絵が勿体ない」なんて言ってしまったのだろう。絵なんて、存在しなければこんな世界にはならなかったはず。俺が、俺達がこんな目に遭うこともなかったはずだ。それなのに……。


 深いため息をつくと、俺の意識は段々と遠のいていく。無意識に現実逃避したかったのだろうか。考えるのも疲れ、俺はこの微睡みに身を委ねることにした。

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