第20話 クリムゾン

 後ろでまとめ上げた金髪、赤いマフラーと黒い外套を風になびかせ、悠々自適に笑みを浮かべた女海賊。辺りを見渡し一呼吸置いてから再度吼える。


「というわけで、改めて名乗らせて頂こう。全国3億人の野郎ども、待たせたなぁ! そうオレこそが……」


「いいからさっさと戦え! クリム!」


 訳のわからない行動にしびれを切らしてしまった俺はその女の名を呼んだ。そう、この女こそ、あの――


「こやつが……さっきまで儂が戦っていた、棒人間だと!?」


 驚きの声をあげる雷神に対し、クリムは項垂れて頷く。


「おい〜、どいつもこいつも、先に正体言うなよぉ。ま、いいか。驚くのも無理ないな。作画崩壊ってレベルじゃねぇもんな。ガハハハ」


 その下品な笑い方は棒人間の時と変わりない。しかし、黒塗りの顔とは打って変わってこの端正な顔つき。この風貌で同じように笑うと豪快で爽快な印象になるから不思議なものだ。


 クリムはすぐに笑いを止め、俺の方へ振り返りニカッと笑う。


「見ろよ紫苑! 数年ぶりにこの姿に戻ったが、絶! 好! 調! ちょっと目線が高くなって怖いが、やっぱりこの姿がしっくりくるぜ〜!」


 その場でくるりと回り、戦闘中にも関わらず子供のようにはしゃいでいる。そんな状況ではないはずだが、俺は寧ろこんな無邪気なクリムの様子に安堵していた。


 どうやら俺に対して敵意は無いらしい。信じてはいたが、万が一、今までの素振りが全て棒人間から元の姿に戻るための演技だったら、という懸念もあった。この様子だといつも通りのクリムだということだけは分かる。手放しで喜べはしないが、ひとまず懸念点を1つクリアできた。残る急務に専念しなければ。

 

「はいはい、良かったな。だが、喜ぶ前にやることがあるだろ」


 俺は顎で雷神の方を指し、注意を促す。が、クリムはこれを無視した。敵意は無いがやはり生意気、というか自由奔放だ。


 クリムが俺の注意を無視して視線を横に移した先は、目と口を大きく開き驚き固まった乃蒼だ。


「おぉ、乃蒼! いたのか! この姿のオレはどうだ! かっこいいだろ?」


 そう問われ、ようやく乃蒼は声を出した。


「え、あっ……はい。クリムさんが変身したのは驚きましたが――紫苑さん!」


 乃蒼は俺の腕を引っ張り、続けて聞く。


「クリムさんって女性だったんですか!?」


「(まずそれから聞くのか)あぁ。分からなかったのか?」


「分かるわけないですよ! だって棒人間だったんですもん!」


 あたふたと驚いている乃蒼を見て、クリムはまたガハハと笑った。


「すまんすまん。言わなかったオレも悪い。そうか、この言葉遣いも確かに紛らわしいよな……。安心しろ、男所帯で育ったせいで口調はこんなのだが、身も心も清純なレディだぜ!」


 クリムは体を覆う外套を捲り、大きく膨らんだ胸部を強調する。


「あばば……しかも巨乳じゃないですか! やったぁ!」


 乃蒼はこの事実を受け入れているらしい。器が大きいのか、単に何も考えていないのか。……おそらく後者だろう。ところで、


「「やったぁ!」の意味が分からん」


 そうツッコむと、さも当然かの様子で乃蒼が言う。


「でっかいおっぱいは皆さん好きでしょう!? あ、クリムさん、後学のために後で触らせてもらってもよろしいですか!?」


「いいぜ! 久しぶりのこの姿に戻った記念だ! 大抵のことはOKよ!」


 いいのかよ……。なんだかこのノリはあまり好きではないので、スルーすることにした。


 そうこう三人で騒いでいると、すぐ隣にいる脇谷がわなわなと震えながら言葉を漏らす。


「あ、あなたは、まさか……!」


 その瞬間。脇谷の言葉を遮り、クリムの背に雷神が飛びかかった。


「貴様が人間の姿になったところで、何も変わらん! 今度こそ、我が鉄拳を喰らえぃ!」


 猛烈なスピードで繰り出させる鉄拳。クリムの頭部目がけて振り落される。――が、


「おっと」


 クリムは背を向けたまま裏拳でその一撃を防ぎ、そして、そのまま雷神を吹き飛ばした。


「ぬぅ!?」


 元の場所まで飛ばされた雷神は、空中で体勢を整えるが、あまりの勢いに膝から着地した。


 一瞬、その場にいた者は何が起こったのか分からなかった。クリムと俺を除いて。


「な、なんだ。この力は! この儂をこうも簡単に弾き飛ばすとな!? 貴様は一体……!?」


 あまりの力に雷神は初めて焦りの色を見せた。膝を地面につきながら狼狽えている。


「オレ? んー……言ってもいいけど、お前は知ってるかな?」


 クリムが気怠げにそう言うと、先程言葉を遮られた脇谷が代わりに語り始めた。


「あなたは――「週刊少年ステップ」に10年間連載し、日本のみならず海外でも翻訳本が発売され、その累計発行部数は約3億2千部の超ヒット冒険ファンタジー漫画「ホワイト・シップ」の女主人公――「クリムゾン・ボースプリット」!」


 早口ながらも正確に紹介された自分の作品と名前にクリムは少し照れた様子で応える。


「すげーな、よくそこまで知ってんね。その通り、俺の名前はクリムゾン・ボースプリット! 親しみを込めてクリムと呼んでくれよな!」


 クリムの満面の笑み。曇り一つないまるで漫画の表紙にでもなりそうな快活な笑顔は、奴が二次元種であることの証明。描かれたような完璧な笑み、否、事実描かれた笑みなのだ。


 置き去りにされた雷神は相反して描かれたような怒り顔。まさしく悪鬼を彷彿させる憤怒を体現していた。


「何が……おかしい! この儂が……! たかが10年しか歴史の無い漫画の二次元種に……! 劣るだと……!?」


 ドンっと地面を叩き、怒りを更に強くする雷神。

 

 その様子に、もはやかける言葉が見つからなかったのだろう。クリムは振り返る。


「紫苑、乃蒼が描いた剣の絵って、もう一本あるか? あったら貸してくれ」


「あ、あぁ。剣が使いたいなら、俺がさっきまで使ってたのもあるぞ」


 幾分か刃こぼれしていたがまだまだ使えるはずだ。俺が差し出すとクリムは嘲笑ってつき返した。


「馬鹿野郎、それはお前が使うんだよ。ここまで一緒に戦ったんだ。最後まで2人でヤろうぜ?」


 共闘のお誘い。身体的には回復の抽象画のおかげで全快している。今しがたの雷神との力関係から俺の手助けは不要のように感じるが……こいつの放つ英雄的立ち振舞いに気圧されたらしく、俺は気づいたら頷いていた。


「わかったよ。しょうがねーな」


 仕方なくバインダーから剣の絵を取り出し、具現化した。それをクリムに渡し、自分も剣を握り直す。その間にも、地面に膝をついていた雷神は立ち上がっていた。


「儂が! 儂が! お前らなんぞ漫画の住民に……! 負けるはずが……!」


 あまりの怒りで思考が正常ではないようだ。何かブツブツと呟いている。しかし、それでもこちらへの攻撃の姿勢は崩さない。今にも襲い掛からんと拳を構えている。


 俺はクリムの隣に立ち並び、剣を構える。

 クリムはドンと俺の背中を叩き、活を入れた。


「さあ、行くぜ兄弟! 遅れるんじゃねぇぞ!」


「遅れるに決まってるだろ。漫画の主人公のお前と違って、俺はただの一般人だぞ」


 気の抜けたような笑いをして、クリムも剣を構える。


「相変わらずノリが悪ぃな……まぁいい! 行くぞ! 猛る炎、天に昇りしその紅よ。我が剣の刃に纏い、今こそ顕現せよ。焔のフレイムブレイズ・炎獄活殺k《バーニングエンドスラッ》――」


 わお。まじか。何か唱え始めやがった! こいつ、必殺技を叫ぶタイプだったか。今にも飛びかかって来そうな雷神を前にして、そんな悠長なことやっている暇はない! 雷神が前傾姿勢に変わり、今にも突っ込んできそうだ。


「すまんクリム! それ言わなきゃ駄目なやつか? もう、雷神、くるぞ!」


「ん、ちょっ……邪魔しないでくれる!? これだから現実世界の人間は……。んー、もういいや、別に言わなくても技は出せるし。 よーし、いっくぞぉぉおおお!」


 別に言わなくても良いのかよ。出鼻を挫いて申し訳ないが、さっさと繰り出して欲しいものだ――と、俺がツッコむ間もなくクリムは大地を蹴り、弾丸のように駆ける。


 クリムが走り抜けた場所に炎が迸り、紅い光が尾を引いた。


 それに反応し、雷神は迎撃態勢に入るが――その目に映るのはクリムの残像だけだった。


 あっという間に距離を詰めたクリムは雷神の目の前で飛び上がり、縦回転。剣には紅い炎が宿り轟々と唸りあげ火の粉を散らす。言い方は悪いが、宙に浮くねずみ花火のようだ。そして、


「くらいぃぃやがれっっ!」


 回転しながらそのまま縦一直線に剣を振り下ろす。


「ぎっ――!」


 高速回転の高音と肉が切り裂ける鈍い音。焼け焦げた匂いが剣の風圧で俺の元まですぐに届いた。


 悲鳴をあげる雷神の体に、縦一本の直線が入る。そして、その斬撃の跡から紅い炎が噴き出した。


「ぎぃああぁぁ!」


 雷神の断末魔の直後、地面に着地したクリムは横に飛び、俺に向かって叫ぶ。


「紫苑! やれ!」


「お、おう!」


 遅れて飛び込んだ俺が雷神の懐へ飛び込み、横一閃に斬りつけた。クリムの攻撃と比べ、斬るというよりは殴りつけるに近い無様な斬撃。それでも今日一番の一撃だ。


 雷神の体はその斬撃で後方に飛ばされ、一本の木に叩きつけられた。


「――」


 無言のまま、十字に斬られた雷神は地面に倒れ伏す。それを確認すると、クリムは俺に向かって手を挙げ、ハイタッチを求める。


「へへ、やったぜ! 初めてのコンビネーション、大成功!」


「最後の俺の一撃、必要だったか?」


 文句を言いながらも、俺はクリムの手をパンッと叩いた。


◇◆◇◆


 倒れた雷神がピクリとも動かないのを遠くから確認すると、俺はバインダーから紙を取り出した。早いところ雷神を蒐集しておきたい。そのためにも一旦剣を紙に戻すことにした。


 俺はクリムから剣を返してもらおうと思ったが、既にクリムの持っていた剣は崩壊していた。柄だけ残った剣を持ち、クリムはばつの悪そうにしている。


 国宝級二次元種、雷神を斬り遂せたのだ、それに耐えうるほどの強度があの剣に無かったのは仕方のないことである。


「あーあ、折角乃蒼が描いたのに……謝んなきゃな」


 ポリポリと頭を掻きながらクリムは乃蒼の元へ歩いていく。


 その後ろ姿を見て、俺は一瞬、棒人間に戻してしまおうかと、考えた。しかし、今は止めておくことにした。ひとまずクリムが自分たちの敵ではないことは、もう十分に理解できていた。


 いまやるべきは、雷神の後始末だ。


 バインダーから取り出した紙に剣を収納し、もう一枚白紙を取り出す。しかし、疲労のためかその紙を地面に落としてしまった。


 「いっけね」とひとりごちりながら足元の紙を拾おうとした――その時。


「紫苑さん! 前っ!」


 乃蒼の悲鳴に近い声に、俺は顔を上げた。


 油断した。てっきりもうこの戦いはおしまいかと思っていたが、まだ続きがあった。後悔と焦りが一瞬で体を駆け巡り、体が硬直した。


 雷神が立ち上がっているのだ。額から股にかけて大きな切り傷と腹の横一線に小さな切り傷をつけながらも、確かに雷神は立ち臨んでいる。赤い口を歪ませ、鬼のような邪悪な笑みを浮かべ、地獄の底からのような低い声でいう。


「腐っても国宝級二次元種! ただでは……消えぬ!」


 その形相に気を取られ、ハッとした。何か両手に持っているのだ。それは、太鼓を鳴らすための、バチだ。太鼓が使えない今、これで何を――?


「小童! 貴様だけでも、道ずれにしてくれる!」


 縦に切り裂かれた口で聞き取りづらい言葉を発しながら、雷神はバチを俺に投げつけた。


「なっ――!」


「紫苑! 避けろ!」


 手のひらサイズのバチでも、弾丸のようなスピードで当たれば人間の体なんて軽く吹き飛ばしてしまうだろう。


 そんなことは頭では分かっているが――俺は若干行動が遅れた。あまりに急な出来事。しかも既に武器の剣は紙にしまっている。


「くっ!」


 ほんのコンマ数秒の話だ。飛んでくるバチは目で追えなかったが、俺の顔が歪む表情を見て不気味に笑う雷神の顔だけははっきり見えた。


「紫苑さんっ!」


 再び乃蒼の声を聞く。このままではバチが体を貫くだろう。神に挑もうなんて、まさしくがあたったのだろうが、それすら考える余裕はない。


 反射的に――俺はにでた。

 それは、地面に落とした紙の上に乗り、そして――。


 直後。俺の体はその場から消えていた。二本のバチは空を裂いて飛び、失速し始めたところでクリムが叩き落した。


 バチが地面に叩きつけられ、虚しく転がる音だけが森に響いた。


 雷神も、乃蒼も、脇谷も、何が起こったか理解できていなかった。クリムだけが、苦い顔をしている。


 ほどなくすると俺がいた場所に落ちている紙が波打った。そして、その紙の中から、


「えっ、紫苑――さん?」


「こ、小童……貴様……」


「……」 


 理解できていなかった者達がそれぞれ反応を示すが、俺は黙っていた。そして、沈黙を貫きながら、雷神も元へ近寄り、白紙を押し当てる。


 力を使い果たした雷神は俺にされるがまま紙の中に引きずり込まれていくが、先ほどよりも一層不気味な笑みを浮かべている。


「そうか小童、貴様――ふははは、なるほど、こりゃあ面白――」


 雷神の言葉が終わる前に紙の中に封じ込まれた。俺はそっと「蒐集完了」と呟き、雷神の描かれた紙をバインダーに綴じる。


 依然として苦い顔をしたクリムに、乃蒼は問う。


「見間違いでなければ……さっき、紫苑さん、紙の中に入りましたよね? それで、雷神さんの最後の攻撃を躱したんですよね? 凄いです! DIGってそんなこともできるんですね! ビックリしたぁ!」


 心底驚いた様子の乃蒼に、クリムは「あぁ……」と生返事するだけだった。


 その様子を、脇谷は沈黙しながら見ていた。


 敵を倒したと言うのに、雨もいつの間にか止んでいるというのに、重い空気だった。


 ――と、その時、どこからともなくパチパチと手を叩く音が鳴り響いた。

 夜の暗闇に響く拍手はどこか不気味で、その場にいる者達を不安にさせた。拍手はゆっくりと近づいてくる。

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