第9話 二人の探し人

 3体の二次元種との戦闘から数時間後。俺達は未だ山の中を歩いていた。たまに昔使われていた公道に出ることもあったが、万が一、二次元種に見つかることも考えられたため、なるべく山道を歩いた。


 そして、時刻は既に日が落ちる頃合い。


「あれからほとんど歩きっぱなしだったし、今日はそろそろ休むか」


「は……はい……」


 辺りを見渡し、何の気配も無いことを確認する。乃蒼は息を切らし、地面にへたり込んだ。


 無理もない。あの戦闘から今まで歩き続けていたのだ。少女には過酷な進行だったか。それを心配したのか、乃蒼のリュックからクリムが顔を出す。


「おいおいおい。乃蒼、大丈夫か?」


「は、はひ。大丈夫でふ……」


 その力無い返答はどうみても大丈夫そうではない。元気が取り柄と言っていた彼女から取り柄がすっかり失われてしまったようだ。途端にクリムが俺に向かって怒りの声をあげた。


「お前な! ちょっとは乃蒼のことも考えろよな! 長距離行軍させやがって! 見ろよ、真っ白に燃え尽きちまったぞ!」


 クリムの言葉どおり、乃蒼は真っ白に燃え尽き座り込んでいた。うっすらと笑みを浮かべている。どこぞのボクサーのようだ。


「立て、立つんだ乃蒼ー!」


 クリムの激も虚しく乃蒼は動かない。俺は頭を掻き、乃蒼に歩み寄る。


「無茶をさせたのは悪かった。だけどな、あの場から少しでも離れたかったんだ。もしかしたら、あいつらの仲間が近くにいたかもしれない。また二次元種とやり合うのと、ひたすら歩き続けるの、どっちが安全か比べるまでもないだろ?」


 言いながら、俺は乃蒼の背負う大きなリュックに目を向ける。


「つーか、そんなバカでかいもの背負ってたら疲れるに決まってんだろ。明日からは急な戦闘に備えて画材だけ自分で持って、画材以外は俺が代わりに持とうか?」


 キョトンとする乃蒼。俺の紳士的発言(今更だが)に面食らったのだろうか。


「画材?」


 心底不思議そうに答えるその様子にワンテンポ遅れて俺は戦慄した。まさか、こいつ……。


「おい、まて、そのリュックの中、まさか……」


「画材しかありませんよ?」


 至極当然といった様子で答えた。思わず俺は頭を抱える。


「まじかよ……! 水も無いのか!?」


「やだなぁ、流石に筆の洗浄用で水なら少し持ってますよ」


「〜〜っっ……」


 もはやどこからツッコめば良いか分からない。今朝旅に出たと言っていたが、こいつは食料も何も持たずに飛び出したのか? もし自分と出会わなければ、こいつは食糧問題をどう解決していたのだろうか。呆れ果てる俺に乃蒼が慌てて言う。


「いや、その、元々私がいた村はそんなに食料が多く確保できませんでしたし、山の中を歩いていれば食べられるものは見つけられるかなー、と思いまして……。第一、手ぶらと言ったら紫苑さんだってそうじゃないですか!」


 膨れっ面でそう主張する乃蒼だったが、すぐさま反論した。


「忘れたのか。俺は『蒐集家』だ。荷物ならここにある」


 そう言って取り出したのは腰に取りつけていたバインダー。そして、その中から一枚の紙を抜き出し、乃蒼に見せつけた。


 そこにはリュックサックが描かれていた。迷彩柄のリュックは乃蒼のカバンほどではないが、中身がパンパンで大きく膨れ上がっている。


 俺はDIGを取り出し、絵の中のリュックを具現化した。リュックはズシリと重い音で地面にめり込む。そして、リュックの口を開いて見せた。


「肉!? 魚の干物!? それにお米も! え、野菜に果物も! 水にお茶!」


 乃蒼の悲鳴に近い歓喜の声を聞きながら俺はリュックから更に食料を出した。


「これで当分は食糧の心配は無いと思っていたが……。お前が全く食料を持っていないなら、考えて消費しなきゃ後々苦しくなりそうだな」


 気持ちが沈んだ俺とは対照的に乃蒼は目を輝かせた。


「凄いです! 何から食べましょうか!? コンビ結成祝いにパーっとやりましょうよ!」


「俺の話聞いてたー!?」


「って、あれ?」


 真空パックに入った肉を抱きながら、乃蒼は疑問の表情を浮かべる。


「DIGで具現化したモノって、30分たったらインクに戻るでしたよね? 食べた後にお腹の中でインクにならないんですか?」


 いそいそと残りの食料をリュックに片付けながら俺は答えた。


「あぁ、30分でインクに戻るのは「元々が絵だった場合」だ。この食料は元々、三次元に実在していた物だ。それを紙の中に入れていただけだから、こうして三次元に具現化して30分経ってもインクにはならない」


「なーるほど。ん? ということは……」


 乃蒼は何かに気づいたらしく、自分の背負うリュックへと目を向ける。リュックと言うよりは、そのリュックから出ている棒人間・クリムに向けた視線だった。


「じゃあ、クリムさんが30分以上具現化し続けられるのは、何故でしょうか?」


 そういう事には頭が回るのか、と半ば感心しながら俺は乃蒼の疑問に答える。


「そいつは元々、オリジナルのDIGで具現化された二次元種だ。オリジナルの方は具現化に制限時間は無かったから、具現化したら絵ではなく「三次元のモノ」になった。で、「三次元のモノ」になったクリムは再度DIGで具現化しても30分という制限時間は無いんだ」


「はぇー。なるほど」


 合点がいったらしく、うんうんと頷く乃蒼。俺はバインダーからもう一枚絵を取り出した。


「説明ついでにこれも教えてやろう。DIGはどんな大きさの物でも紙に封じ込めることができる。だから、こういうこともできる」


 俺はその絵を持って少し歩き、草木の無い開けた場所に置いた。そして両手を紙の中に入れ、あるモノを引きずり出す。迷彩柄の布地の端が具現化されると、勢いよく残りの部分が飛び出した。


「わぁ、それは……テントですか!」


 キャンプ用の迷彩柄のテント。軽自動車一台分ほどの大きさだ。テントを覆うカモフラージュネットのおかげで外敵からも視認しづらい仕様だ。


「あぁ。こんな具合にデカい物でも持ち運びできる」


 ほうほうとテントを眺め、感嘆のため息をこぼす乃蒼。どうやら疲れも吹っ飛んだらしい。


「凄いですね! 四次元ポケットみたい! 「シオえもん」さんですね! シオえも~ん!」


「うーふーふーって、何言わせるんだ……」


「意外とノリが良いんですね……ちょっと引きました!」


「もう二度とやらねぇ……。つーか、あんなネコ型ロボットほど万能じゃねぇし。とにかく、今日はここで野宿だ。さっさと入るぞ」


 俺はテントの中へ入ると乃蒼も「お邪魔しまーす!」と続けて中に入る。


 物珍しそうにテント内を見回す乃蒼。小さく「広ーい……」と呟いた。それもそのはず。巨大テントの中には中央の天井からぶら下がった筒状のランプしかない。俺は広々としたテントの隅に食糧を入れたリュックを置く。


「とりあえず、飯にするか。さて、何を食べ――」


「お肉にしましょう! 早く食べなきゃ腐っちゃいますし!」


 食い気味に提案する乃蒼だったが、ピシャリと否定する。


「紙の中に入れてる間は、時間が止まるから腐らねぇよ。貴重な肉はあんまり消費したくないが……。まぁいいか。お前の言うとおり、コンビ結成祝いっつーことでちょいと豪勢にするかな」


「わーい! お肉、久しぶりです! 何年ぶりだろう! ううっ」


「泣くほどのことかよ」


 乃蒼の過剰で異常な喜びように若干引きながら、真空パックに入れられた肉を取り出す。燻製された鶏肉は拳二つ分くらいの大きさで二人分としては申し分ない。蒸かし芋や豆等の野菜も取り出し並べると、旅の途中であるにも関わらず豪勢なメニューになった。


「ひぇぇ……。いただきますっ!」


 テント中央に置いた瞬間、乃蒼はがつがつと肉を食べ始めた。その喰いっぷりに呆れながら俺も芋に手をつけた。


「ほんとに……何年ぶりでしょうか!? お肉ってやっぱり美味しいです!」


 ぺろりと平らげ、満足そうにしながらも芋や他の野菜にも手をつけ始めた。


「そんなに貧しい村だったのか?」


 乃蒼はその問いかけに別段機嫌を変えることもなく答える。


「そりゃあもう! 村自体は小さいのですが、人数だけは無駄にいましたからね! 野菜は村の皆で作って、魚や獣もたまに誰かが獲ってきたのを分けて食べていましたので……肉なんて滅多に食べられませんでしたよ!」


 残りの食料を口に放り込み、リスのように頬を膨らませて咀嚼しだした。


 世界に二次元種が蔓延る中、三次元種が安全に暮らしていける場所は限られてくる。奴らに見つからない山奥だったり、海岸沿いの洞穴、中には地下施設に暮らす者達もいるらしい。とにかく、二次元種の目の届かない所で生きるしかない。


 辺境の地で電気やガスが使えなくなった殆どの人類は、かつての狩猟時代へと逆戻りした生活を行っている。だが、ごくわずかの人類だけが、自家発電を備えた施設に暮らしているらしい。DIGを開発した者達がそれに該当する。俺が住んでいた所もそうだ。


「そうか……俺の住んでた所は山も海も近くにあったから、食い物にはそんなに困らなかったな」


 ゴクンと大きな音を立てて呑みこんだ乃蒼が聞く。


「それはいいですね! 紫苑さんがいた村はどれくらい大きかったんですか? なんだか賑やかそうです!」


 俺はギクリとしたが、口の中の物を飲み込むと淡々と答える。


「俺は村には住んでなかった。ジジイと婆ちゃんの三人で暮らしてたんだよ。食い物は俺とジジイで自給自足。近くにあった村にはたまに物々交換しに行ってたくらいだな」


「そうなんですか……」


 言いながら乃蒼は俺の分の燻製肉に目が釘付けになっていた。羨ましそうに見ているのを知りながら、俺は肉を口に放り込む。乃蒼の「あぁ……」という嘆きを聞きながら完食。


 すると、いつの間にかリュックから出てきたクリムが乃蒼の肩に乗った。


「そんなわけで、友達もいなくて寂しく引きこもってたから紫苑は根暗で意地の悪い性格になったんだよなぁ……」


「なるほど!」


 肩に乗った棒人間を一撫でし、笑う乃蒼とクリム。


「納得してんじゃねぇよ! クリム、あんまり余計なこと言うと紙に戻すからな……!」


 クリムは何も言わず乃蒼の頭をよじ登り、ベレー帽の中に潜りこんだ。少し笑いながら、乃蒼は頭上のクリムを見て言う。


「そっか、クリムさんはずっと紙の中に入れられていたんですね。寂しいならクリムさんも出して暮らしてても良かったのでは? 棒人間と過ごすなんて、楽しそう!」


 あまりの楽観的な意見に俺は呆れて肩を竦めた。


「あのな……そいつは二次元種だぞ? お前はいまいち認識がずれてるよな……。村でも「変わってる」とか言われなかったか?」


 すると乃蒼はの表情が一瞬強張った。が、すぐに苦笑しながら答えた。


「え、えーと。うーん、たまに、言われたような気が……」


「「たまに」じゃなくて「毎度」言われてたんじゃねーのか?」


 訝しむ俺から目を逸らし、乃蒼はわざとらしく「あっ、そういえば」と言って話題を逸らす。


「そういえば、お爺さんとお婆さんと三人で暮らしていたってことは、紫苑さんの「捜し人」って、もしかしてご両親ですか?」


 チラリとこちらに目を向け、返答を待っている。俺は静かに答えた。


「いや、親は……俺が生まれた頃から行方不明だ。たぶん両方とも死んでる」


「あ、ごめんなさい……。じゃあ私と半分だけ同じですね!」


「半分?」


「はい! 私も先月、母が亡くなったところなので……」


「! そうか。そいつは残念だったな」


 沈黙。外で草が靡く音までも聞こえてくるような静けさが佇んだ。暗く重くなった空気に、責任を感じたのか慌てて乃蒼が続けて言う。


「それで! 私が幼い頃に行き別れた父がどこかに生きているはずなんです! お母さんが亡くなったことをお父さんに伝えなくちゃ! って思いまして!

 って、そうそう! すっかり聞くのを忘れていました! お父さんの名前は「亜門(あもん)」って言うんですが、知りませんか?」


 捲し立てて説明された情報を整頓しながら、亜門という名を記憶から探す。しかし、思い当たるものは無い。もうひと押し、名前以外にも情報が欲しいところだ。


「見た目の特徴とかは?」


「すみません、だいぶ幼い時に父は出ていってしまったので、あまり顔とかは覚えてなくて……」


「名前以外手掛かりなしか。珍しい名前だが、悪いな、俺は知らない」


 先の通り、俺はたまにしか人との関わり合いがなかった。そのため、今まで出会った人間の数は少なく、知っている人の名前を思い出すのは簡単だったが、その中に「絵垣亜門」という名前は思い当たらなかった。見た目に関しても情報がないのであれば、もうお手上げである。


「そうですよね。残念です」と、言葉の割に落ち込んでいない様子の乃蒼。違和感を問いただそうとしたが乃蒼が続けて言う。


「まぁ、いつか見つかるでしょう! それで、紫苑さんの探し人ってどんな方でしょうか? うちの村には来訪者とかは殆どいなかったので、お力添えにはなれないと思いますが……」


 俺は首を横に振り、腰のバインダーを乃蒼の前に置いた。


「いや、お前も知っているはずだ。捜してるのはこいつだ。多分、見るのは初めてだろうがな」


 そう言ってバインダーの背表紙を開き、そこに張り付けていた一枚の写真を取り出し、乃蒼に渡した。


 映っているのは一人の男。パソコンを置いた机に座り、カメラの方に振り返ったところを撮られたらしい。気怠そうな表情でカメラに視線を向けている。よれよれになったシャツとパンツを履き、寝癖なのかそれとも何日も風呂に入っていないのか、ボサボサの髪をしている。薄い眼鏡の奥にある瞳は生気が無く、目の下にも隈ができている。そんな無精な容姿だが、顔にはどこか幼さも感じられた。


 写真をまじまじと見つめる乃蒼。うーん、と小さく唸る。


「知らない人ですね……。私も知ってるはず、ってどういうことでしょうか?」


 俺は軽く咳払いし、少し間をあけて言う。


「聞いて驚け。DIGの、いや、二次元を三次元に具現化する力の開発者。つまりは、この世界をぶっ壊した張本人――」


 喉まで出かかったの名前。嗚呼、名前を呼ぶのですら嫌気が差す。早々に喉から吐き出さねば身体に悪い。


虹守典哉こうもり のりやだ」


「――!」


 沈黙。当然だ。この世界を崩壊へと導いた男の名だ。某魔法ファンタジー小説で出てくる「例のあの人」的な、禁句にも近い名なのだ。


 乃蒼は目を見開き、震える口で言う。


「え……誰です? その人?」


「知らんのかい! そんな気はしてたけども!」


 俺はがくりと頭を垂れる。嫌な予感はしていた。我ながら雑なフリだった。しかし、それに追い打ちをかけるように乃蒼は続ける。


「というか、二次元種が出てきたのってその人のせいだったんですね! 知らなかったです! 」


「それすら知らなかったのか」


「えぇ。……言っておきますが、私だけじゃなく、私の村の人も知らないと思いますよ。「ある日突然、絵から化け物が出てきて暴れ始めた」程度ですよ」


 本当かよ、と疑うが暫く考え、自己解決。


「まぁ、確かに奴らがこの世界を支配するに2週間もかからなかったらしいからな。情報が伝わらずに放置された村もある、か」


 驚異的なスピードで侵略され、インターネットはもちろん電気すら使えなくなったのであれば、そういう可能性も考えられる。


 常識知らずの汚名を返上できた乃蒼は思い出したかのように話を戻した。


「で、なんで紫苑さんはこの方を探してるんですか?」


 あぁ、と俺は吐き捨てるように言う。


「なんたって人類史最大の犯罪者だからな。そいつをとっ捕まえて、二次元種を元に戻す発明でもさせれば、俺は人類を救った英雄だ。富も名声も一気に手に入る! こんなクソみたいな世界で成り上がる唯一の方法だ!」


 あからさまに渋い顔をした乃蒼は返答に窮している。

 自分でも分かっている。不遇な環境をひっくり返す大博打を夢見る姿のたるや。

 いたたまれなくなった場の空気にあてられ、俺は不意に言葉が口から溢れる。


「あと、ついでに……行方不明の親も見つけられれば、いいかな、と。死んでるかもしれんが」


 すぐに乃蒼はその言葉に反応した。


「絶対そっちの方が本音じゃないですか!」


「違う! もう数十年も会ってないし、たぶん死んでるさ。ほとんど諦めてる」


「駄目ですよ! 諦めたら見つかるものも――」


 と、乃蒼が食い下がる最中。ぐぅと大きな音が聞こえた。音の出どころは乃蒼の腹らしい。顔を紅くし、「育ち盛りなので…」とモニョモニョと口籠っている。俺は深いため息をつきながら食料の入ったリュックを取り出す。


「もう俺の話はいいだろう。それにしても、二次元種についてほとんど知識がないとは。……せっかくだから歴史の授業をしてやる。俺の相棒なら最低限の知識は持っていて欲しいからな。あと、喋りっぱなしで喉も乾くから、スープでも飲みながら話すか」


 苛立つほどパァッと明るい笑顔を浮かべ、乃蒼は頷く。


「やったぁ! ありがとうございます!」


 チェッと舌打ちし、俺はテントの中央に小さなコンロとスープの入った鍋を置き、火をくべた。


――(プロローグへ続く)

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