第7話 抽象画

 乃蒼から受け取った絵には青いひし形が五つ無造作に配置され、各ひし形を中心に水色や白、紺色の直線や曲線が描かれている。一筆一筆が荒々しく、規則性が全くない。寒色系で統一されたその絵は、おおよそこの世に存在する物質には見えない。


 このような具体的な対象が描かれていない絵を「抽象画」と呼ぶ。


「これは……駄目だ……!」


 俺は両手に持ったその絵を力無く乃蒼に突き返す。だが、乃蒼は受け取らず、反論する。


「大丈夫です! 今度はさっきの剣みたいに変なことにはなりません! ちゃんと「想い」のこもった力作です!」


「そういうことじゃない! そもそも「抽象画」自体が駄目なんだよ! DIGで具現化するものは写実的な絵――具体的な「物」が描かれた具象画だけだ! 抽象的なモノは……」


 と、言いかけたところで言葉が詰まった。


 「抽象的なモノは具現化できない」、そう言いかけたのだが、果たして本当にそうなのだろうか? 今まで抽象画を具現化したことがないし、具現化しようと思った事すらない。


 一体どうなる? をそのまま具現化すると、一体何が起こる?


 抽象的を具現化するという矛盾の行き着く答えが見いだせない。この矛盾を解決するには、「やってみる」しか方法はない。


 だが――


「抽象画の具現化なんてやったことがない。一体何が起こるか分からん。最悪、絵から飛び出したが俺達を襲うなんてことも……」


「大丈夫です! 私が描いた力作です! 紫苑さんが上手く使いこなせるように、イメージして描きましたから!」


 折れないその意志に気圧される。


「な、なんじゃそりゃ。俺は全然イメージできねぇぞ……」


 そう言って再び乃蒼の絵に目を落とす。


 頭を抱えたまま数秒、絵を見ていると、ある事に気が付いた。紙いっぱいに塗りたぐられた紺色、水色、白色。初めに見た時には何も分からなかったが、こうして再び見るとある一つのイメージが浮かんだ。


 その抽象的なイメージを言葉にすると何になるか。


「乃蒼、この絵のタイトルは――」


「あ~! もう! ようやく取れたよ!」


 怒気の混じった声に振り向くと、そこには土に汚れた幼女が立っていた。足元にはクリムが「ぐぅ……」と唸り、踏みつぶされている。


「もう、いいや~! そのお姉ちゃんには恐怖の「想い」は期待できないみたいだね〜。ムカつくし、お兄ちゃんと一緒に殺しちゃうね~!――って、あらら〜?」


 にじり寄る幼女は俺の手にある紙を一瞥し、感心そうに頷く。


「私を無視してまで描いた絵がお兄ちゃんの手に渡っちゃったか~。おめでと~。今度はどんな素敵な絵が描けたのかな~? ま、どんな絵でも私の「燃え袖」で燃えないものはないんだけどね~~!」


 そう言って幼女は袖を振り回す。ボッと燃え上がった袖の炎は瞬く間に大きくなり、大木を燃やし尽くした時よりも大きな炎となった。両袖の炎が幼女の身の丈ほどの大きさに膨れ上がると、幼女は上へ跳躍した。森の木々を越え、上空から叫ぶように言う。


「もう小細工は無しだよ〜! ここいら一帯を一発で消し炭にしちゃお〜!」


 森の上空で幼女は燃えた両袖を合わせる。倍以上に膨れ上がった炎はまるで小さな太陽のようだ。あんなものが落下すれば、辺りは一瞬で焼け野原になるだろう。今にもその太陽が落ちてきそうな時、


「紫苑さんっ!」


「あぁ……わかったよ! どうにでもなれ!」


 俺は絵に手を潜らせた。


 紙の中。感触は無いに等しい。雲を掴むような感覚とは、こんな感じだろう。しかし、涼しい。いや、寧ろ冷たいとも思える「何か」が手に纏わりつく。あとはこれを引き出すだけだ。引きだせば何が起こるか分からない。だが、恐れている時間はない。あと数秒で空から死が迫ってくる。


「ええい! 行くぞ!」


 叫び、自分自身に喝を入れ、勢いよく絵から手を引き出した。


 パリッという快音。冷たく爽やかな風が手にまとわりつく。


 無意識に瞑っていた目をゆっくりと開ける。俺の目に映ったのは――


「氷の……結晶?」


 五つの青く光るひし形だった。手を中心に飛んでいる。不規則に回る青い衛星は、どうやら絵に描いてあった五つのひし形のようだ。ひとまず害はなさそうだ。しかし、如何せん使い道が分からない。


「これをどうすりゃいいんだよ!」


「それをあの炎に当ててください!」


 作者の言葉に従うしかない。しかし、


「当てるって……どうやって!? 敵はあんな高い所にいるんだぞ!」


「さっきあの子が炎を飛ばした感じで――こう、腕をブンって降ればビャーっと飛んで、パキーンってなると思うんで!」


「使い方も抽象的だな……!」


 それでもやるしかない。


 既に幼女が小さな太陽をこちらに投げつけようとしていた。その上空めがけ、俺は振りかぶった。


「っらぁっ!」


 ボールを投げつけるイメージで腕を振る。すると、腕に纏わりついていた一つの結晶が音もなく飛び出した。


 一部始終を上空から見ていた幼女はまさしく見下した態度で嘲る。


「ま〜た訳の分かんない絵ができちゃったね〜! だけど、死んだ後に評価される絵師もいるからね〜。良かったね。私のおかげでお姉ちゃんの下手くそな絵も評価されるかも〜。まぁ、絵もろとも消し炭になっちゃ意味ないけど、ねっ!!」


 幼女はその結晶に気づきながらも、袖を振り下ろし、炎を投げつけた。


 轟々と空気を燃やしながら落下する小さな太陽。

 無音で空を切る青い結晶。


 二つが中空で衝突した、瞬間。


 水色、白、紺色の閃光が走った。


 同時にキィンという耳をつんざく音が辺りに鳴り響き、刺すような冷気が辺りを駆け抜けた。


「うっ……」


「なっ……!?」


 衝撃に俯き、呻く俺の声の他に、幼女の驚きの声も聞こえた。


 数秒後、上空から幼女が地面に着地。表情はやはり笑みを浮かべているが、どこか困惑の色が見える。


「な、なんなの~? あの炎をかき消すなんて〜……」


 そう呟く幼女は信じられないといった様子で辺りを見渡す。


 ここら一帯は太陽が落ち、焼け野原になる予定だったのだろう。しかし、辺りは青々とした木々が残っている。標的である俺達も無傷。


 狼狽える幼女をよそに、俺は理解した。


「氷……。そうか、やっぱりこの絵は『氷』を表していたのか」


 今なお右手の周囲を回り続ける四つの結晶。先ほど飛ばした一つの結晶があの小さな太陽を凍らせ、消滅させたのだ。


 未だ解せない様子の幼女。明らかに隙だらけだった。


「紫苑さん! チャンスです! あの燃え袖を凍らせちゃってください!」


「わ、わかってる! わざわざ言うな!」


 乃蒼の助言が幼女の耳にも入ったのだろう。ハッと我に返り、身構えた。


「言わんこっちゃない……」


「あははっ! ご忠告ありがとうお姉ちゃん! ん~それにしても、一体何を描いたのかな~? 画力の低い氷かと思ったけど、実はもの凄〜い画力の氷だったのかな~?」


 幼女は嬉々として袖を振り、また炎を灯した。


「あの炎を消したのは凄いけど……残念! この燃え袖自体は簡単に消火できないよ~! 私の意思でこの袖は燃えるの! 例え氷を当てられたって、内側から炎で溶かしちゃうよ~! 炎を飛ばしてもかき消されちゃうなら、燃え袖で直に焼くしかないね~!」


 幼女は笑いながら袖に灯した炎を大きくし、俺達に向かって走り始めた。


 俺は腕に纏わりついた四つの結晶を見やり、言う。


「袖が発火するなら、袖以外のどこかに……当たれっ!」


 幼女が言う無限に発火する袖以外に当たれば、ダメージはあるはずだ。そう思いながら腕を振り、再び結晶を二つと飛ばした。


 空を切り、無音で飛ぶ二つの結晶。しかし――


「はは~ん! そうはいかないよ~」


 願い虚しく、頭と足めがけて飛んできた結晶を、幼女は両袖で受け止めた。またあのキンッという高音が鳴り響く。


 強い衝撃はなかったようだが、幼女はその場で足を止める。


「へ~。凄い凄い~」


 幼女の肩から先の袖が、薄い青色の氷に包まれた。凍った両腕をまるで楽しむようにぶんぶん振り回す。


「あはは~、すごーい。冷た~い! これで殴り殺すのもいいけど、私のキャラ的に燃やして殺したいのよね~! あ! まだこの氷出せるのかな〜? 受け止めてあげるから、やりなよ〜!」


「そりゃどうも!」


 言われるまでもなく、俺は既に次の氷を放っていた。次こそはと、幼女の足を狙った。今度は無事に幼女の足元に着弾。青い氷が地面と幼女の足を縛りつける。未だに満面の笑みを浮かべる幼女。氷による痛みはないようだ。


「わぁお〜。おめでと〜! 命中〜! じゃ、もういいよね〜。はいはい、融かすよ〜?」


 言って、幼女は腕を振る。氷の中の袖を発火させようとしているのだ。二回、三回振り回し、袖を包む氷塊が融ける――と、俺も思っていた。


 しかし。


「……あれ? え?」


 幼女がそう漏らし、腕を更に回す。グルグル回すが、一向に氷が融ける気配がない。


「えっ、ちょっと……なんで? なんでこの「氷」の絵、溶けないの~?」


 イライラした口調で尚も腕を振り回す幼女。


 俺はその様子を呆然と見ていた。そして、乃蒼が描いたこの絵が何なのか思考を巡らす。


 先ほどの大きな炎をかき消した時は、この絵は「氷の絵」だと思っていた。しかし、現状の無限に発火できる袖を氷漬けにし続ける、という効果はの絵とは違うようだ。


 ただの氷ならば今頃すでに発火する袖に内側から融かされているはず。それならば、この絵は何だ?


 この絵は――


「抽象画。普通の絵と同じに考えちゃ駄目だ。抽象画……抽象……事物の性質……? ……そうか!」


 未だ凍り続けた腕を振り回す幼女を見ながら、俺はとある仮説を立てた。


「乃蒼。この絵のタイトル、もしかして――「凍結」とかじゃないか?」


 すると乃蒼は嬉しそうに頷いて答えた。


「えぇ、分かりましたか! 正確には「凍結~麗しの君よそのままで~」です!」


「サブタイトル恥ずっ……いや、そんなことはどうでもよくて、そういうことか! なんとなくだが、分かってきた」


「おぉい……さっきから何を言ってんだ?」


 いつの間にか俺の足元まで来ていたクリムが問いかけた。ボロボロになった棒人間は俺の足を支えになんとか立っている。先ほどの功績を讃え、解説をしてやろう。あくまでまだ仮説だが。


「抽象画の具現化についてだ。今まで具現化してきた具象画と違って、乃蒼が描いた抽象画は「事象そのものを具現化する」ってことだ。こんなデタラメなこと……普通の具象画じゃ不可能だ」


 そう言うとクリムは合点がいかないように首を傾げる。


「よく分かんないけどよ。この子が描いた「凍結」の抽象画と普通の「氷」の絵とは、何が違うんだよ?」


 俺はまだ上手くまとめ切れていない仮説を組み立てながら、言う。


「「氷」を描いた時は氷そのものが具現化する。キンキンに冷えた氷の塊がな。だが、これは「氷」という物体じゃなくて「凍らせる」という事象を発生させるんだ」


「……うん? いまいち分からんな。「凍らせる」事象を起こすってことは、例えば、「氷の魔法が使える杖」とかと同じってことか?」


 「いや、違う」と俺は頭を横に振って答える。


「その場合「氷の魔法が使える杖」の画力によって対象を凍らせられるかの可否が変わる。例えば、とんでもない火力の炎があった場合、それをかき消すならば、その炎以上の画力の「氷の魔法が使える杖」が必要になる。ほかにも、あの幼女の袖みたいに無尽蔵に発火できる物の場合、後から融かされちまう」


「んん??」と理解が及ばない様子のクリムに俺は続けて言う。


「だが、「凍結」の抽象画は違う。凍結という事象を画力の優劣を無視し、問答無用に「凍結」という事象を――結果だけを上書きするんだ。更にはその物体の持つイメージまでも上書きされる……!」


 


 抽象を具現化させるとはそういうことになるらしい。未だ右手の周りを飛ぶ結晶は、言わば「種」。事象を発生させる起因を可視化したモノだと俺は考えた。


「だから「燃える袖」が「凍結」という概念で上書きされ、「凍結した袖」になったんだ」


 俺の解説を咀嚼し、ようやく消化した所でクリムは頭を傾げる。


「概念で上書きって、ことはよ。仮に「死」についての抽象画を描いたら……」


「対象となったものは、どんな者でも「死ぬ」だろうな」


「そ、そんなのチートじゃねぇか!」


「流石に「死」の絵は描けませんよ! 私、死んだことがないので! 体験した事しか、描けないんですよ!」


 ここでようやく絵を描いた乃蒼が説明した。俺はすかさずツッコんだ。


「じゃあ、凍結したことはあるのかよ」


「え? 真冬の湖でうっかり水の中に落ちちゃって氷漬けになっちゃうこと、よくありませんでしたか?」


「あぁ、あるある……いや、ねーよ」


 そんな状況自分ならまずありえないが、この女ならそうなるまでの様子が容易に思い描けた。しかし、その体験があったからこそ「凍結」が描けたのだろう。


 一人納得していると、喚いていた幼女が怒りの声をあげた。


「いい加減にしてよ~! 次から次と、わけ分かんないことして!」


 両袖を氷漬けにされたままの幼女はやはり笑顔のままだが、全身から怒りが滲み出し、萌えキャラとしての風貌ではなくなっていた。


「悪いな。俺も正直、訳が分からん。だが、もうこれでネタ切れだ。これ以上この戦いを膨らませる話は無い。……そういうわけで、そろそろ終わりにしようか」


 俺は右手を掲げ、幼女へと歩み寄る。右腕に残る「凍結」事象の種は、残り一つ。


 うすら笑いを浮かべ迫り来る俺に、幼女はやはり笑顔のままだが、何処か恐怖の色も見せ始めていた。震えた声で幼女は笑いながら言う。


「こ、こんないたいけな女の子を氷漬けにするなんて少年漫画やラノベだったら、完全に敵役のやる事じゃない!」


「生憎、俺は主人公って柄じゃないんでな。敵役だろうが脇役だろうが構いやしねぇ」


 怒りと恐怖で小さく震える幼女は消え入りそうな声で言う。


「所詮三次元種なんてなんの役割も持たないモブキャラの集まりよ。私たち二次元種――勇者や魔王、ヒーローやヴィランにとって、とるに足らない存在よ! なんの役も無いお兄ちゃんなんかいずれは彼らにかき消される日が来るわ!」


 ケタケタと笑い声をあげる幼女。喋り方がさっきまでと変わってるじゃねぇか。俺は腕を振り上げる。


「萌えキャラのくせに悪役みたいな台詞吐きやがって。萌え(燃え)袖が凍ってアイデンティティを失ったか。つーか、その萌え袖と燃え袖の親父ギャク――」


 幼女めがけて、腕を振り落す。


「――寒いんだよ!」


 青い結晶が飛び、幼女は凍結した。

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