【本編ネタバレ】祝祭――Side. ラティ

 大地を焦がすような太陽が沈み、夜空に濃紺の帳が降りる。ベルベッドの緞帳のような夜空を彩るのは、無数の星々と神秘的な三日月。

 その夜の真下に広がる都市では、赤々と灯る松明の光を浴びながらたくさんの人々が踊り狂っていた。色鮮やかな衣装を翻し、男も女も化粧を施した顔が互いに触れ合うほど近くで、好き好きに体を動かしている。

 ラティはその路地に面した建物の庇に登り、熱狂の踊りを眼下に見ていた。

 この国、ウェルト・ノッテが西側の大国ルジェ・マーヤ王国と同盟関係を築いてから数年、その節目を祝うため、ルジェ・マーヤの女王がウェルト・ノッテの地を訪れた。その歓待の宴が、今宵開かれている。

 ウェルト・ノッテ政府は、毎年この日を祝祭の日として制定し、庶民にも大いに盛り上がるよう、馬鹿騒ぎを奨励している。今年は同盟国の女王が視察に訪れていることもあって、国の力の入れようも特に大きかった。ウェルト・ノッテの国力、文化を西側の国々に示したい思惑があるのだろう。

 ラティは片手に持った瑞々しいザクロの断面に齧り付きながら、眼下に広がる混沌の坩堝を眺めている。

 別に用事もなくこんな場所で油を売っているわけではない。ラティは政府から与えられた仕事をしているのだ。

 といっても、政府から直接請け負っているわけではなく、政府の直下である寺社組織の偉いお坊さんからの依頼である。

 祝祭の日には、都市を区分けしている検問から兵が引き揚げる。つまり、普段は自由にできない区域ごとの往来が自由になる。そのため、貧民街から、今ラティがいる庶民街へやって来る者たちが大量にいるのだ。

 貧民街の人間は手癖の悪い者も多い。この機に乗じて無人になる商店に忍び込んだり、詰めかける衆人の懐から金品を盗もうとする輩も後を絶たない。そうした人物を取り締まるため、ラティは目を光らせている。

 貧民街出身で、そこに住む者たちの暮らしを支える仕事に就いているラティは、貧民街に住む者の顔は大体全部頭に入っている。こんな人混みでも、一目見ればすぐに分かる。

 祝祭の日には、国の計らいで庶民や貧民に豪華な料理も振る舞われる。これも結局は貧困層による犯罪を抑止するための策であり、衆人のなかで怪しい動きをする者は、香辛料の匂いが魅惑的な「食卓エリア」へ連れて行く算段だ。

 ラティは印象的な緑色の瞳で踊り狂う人々へ目を走らせながら、ザクロをもう一口頬張る。赤い果実の酸味が口内に広がる。

 ふと、そのとき誰かと目が合った。

「ん?」

 一度通り過ぎた視線をそこへ再び戻す。

「んんーーー!!!」

 ザクロを口に含んだまま、ラティは悲鳴を上げた。

 松明の炎が照らす長く艶やかな黒髪に、猫のように切れ長の瞳にどこか人を食ったような笑みを浮かべている。なにより、特徴的な肌の色。

「そなたは踊らぬのかえ?」

 その声は、ラティのすぐ横から聞こえた。ラティは口内で果実を詰まらせてゲホゲホと咳き込みながら、気が付くと自分のすぐ傍にしゃがみ込んでにやにやと笑っている女神を涙目で睨み付けた。

「カーリー!」

 久しぶりに見る、けれど忘れようもないその姿。ラティは、かつて一緒に旅をしていたときに幾度となくそうしたように、非難がましくその名を呼んだ。

 相変わらず魅惑的な肢体を見せびらかすような最低限の布地の衣装で、体中に金色の装飾を身につけている。先ほどまで衆人に紛れて踊り狂っていたのか、血の気の薄い肌に、心なしか朱が差しているようだ。

 さらにラティは、カーリーの頭上を仰いで「ひっ」と引きつった声を上げた。

 まさしく見上げるほどの大男が、厳めしい顔でラティを見下ろしている。こちらにも見覚えはあった。それも、悪夢のような思い出付きで。

「ななな、なんであんたたちがここにいるのっ!?」

 破壊の女神カーリーと再生の神シヴァのウェルト・ノッテ創世神夫婦が、ラティの目の前に揃っていた。

 数年前、世界を揺るがす危機に際して目覚めた二柱の神。そして、ラティたちが力を合わせてその危機を乗り切り、彼女らは封印の眠りに就いたはずだった。二人して目覚めるとき、世界は一度滅ぼされて再び創られるというのが、この国の創世神話だ。

 またもやあの頃の危機なのかとラティが身構えると、カーリーは「違う違う」ときゃらきゃら笑いながら言った。

「以前、共に空を飛んだことがあっただろう。あんな風に、我々は肉体は封印されておっても意識だけこうして顕現させることができる。こんなに血湧き肉躍る祝祭、我々が静観しておろうものか」

 血湧き肉躍る、とは破壊神の口から聞くにはなかなか物騒な言葉だ。しかし、カーリーは本気でこの祝祭を楽しむために、顕現してきたということなのだろう。夫同伴で。

「……シヴァも踊るの?」

 シヴァは彫像のように佇んだまま微動だにしない。こちらも腰巻き以外の衣服は一切身につけておらず、その肉体美を遺憾なく見せつけている。上背もあって、こんな人物がその辺で踊っていたら、いくら皆で踊り狂っていても相当目立ちそうなものだが。

「うむ……」

 シヴァがこくりと頷いた。やっぱりおまえも踊るのか。

「で、ラティよ。おぬしはこんなところでなにをしておる?」

「あたしは仕事中。貧民街の仲間が悪さしないように監視してるの。もともと、あんな人混みで楽しむのも苦手だし、交代が来たら、ご馳走食べてさっさと帰るつもり」

 「つまらぬのう」とカーリーはしけた顔で呟いた。

「あの異国の娘には会わぬのか?」

 ラティは目を見開いたが、すぐに首を横に振った。

「相手は女王様だよ。あたしは貧民の女。住む世界が違う」

 はっ、とカーリーが鼻で笑い飛ばす。

「おぬしはこの国の主宰神の知己ぞ。わらわに比べれば、そのへんの人間の国の王など足元にも及ばぬわ。行くぞ」

 カーリーが猫のように目を細めてにんまりと笑った。

 次の瞬間――、

「うわぁぁぁぁっ!!!」

 ラティは空を飛んでいた。いつぞやと同じように、眼下にこの国の首都の街並みを眺めながら。

 都市全体を夜に浮かび上がらせるように、松明がそこかしこで灯され、夜の闇を払拭している。もっと目を凝らせば、路地という路地に着飾った衆人が溢れかえり、あらゆる場所が熱狂に包まれていた。

 ラティと、そしてカーリーとシヴァは空を一直線に目的地へ向かっていた。

「ちょっと、勝手なことはやめてよ! 王宮に無断で入ったりなんかしたら……あまつさえ、アンジェリカに会ったりなんかしたら、あたし、即刻首を刎ねられちゃう!」

「何度も言わせるでない。神の知己であるそなたを、そんな目に合わせはせぬ。おぬしはこの世を救ったのじゃから、すべての民がおぬしにこうべを垂れこそすれ、その首を刎ねるなどあり得ぬわ」

「そんなこと……」

「無駄口を叩くと、舌を噛むぞ」

 どこか愉快そうにカーリーが言った直後、吹き抜けていく風の強さが増して、景色の流れる速度が上がる。ラティは大人しく口を閉じることにした。

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