最近世間で話題の「覆面最強剣士」は、剣士学院では正体を隠して過ごしている
波瀾 紡
短編
「ねぇ聞いた? 昨日も現れたらしいよ、『覆面剣士様』」
「えっ!? どこに?」
「昨日はさ、夜道で冒険者に襲われそうになった女の子を助けたんだって。脳筋な冒険者の男は、覆面剣士様に殴られて、一発で吹っ飛んだらしいわよ!」
「ヘぇーっ、すっごぉーい!」
朝から女子どもはやかましい。
俺が今年から通い始めた剣士養成学校【ソーディア剣士学院】。
今日の午前中は、生徒同士での剣技の乱取り授業だ。
武道場で講師の先生が来るのを待ってる間に、雑談の声があちらこちらから聞こえてくる。
「
「そうそう! 強すぎるよねぇー、覆面剣士様!」
「カッコいいよねー!」
女子達は目をキラキラと輝かせて、強さとカッコ良さを絶賛し、『様』づけで呼ぶ。
覆面剣士とは、半年ほど前からこの街に突然現れた、正体不明の剣士。
めっぽう強くて、颯爽と現れ、悪いヤツや強いモンスターを軽々と倒してしまうため、町中の話題になっている。
強い冒険者が憧れの対象であるこの世界では、圧倒的な強さを持つ者が人気を得るのは至って自然なことだ。
男も女も、老いも若きも、覆面剣士のことが話題に上らない日がない。
「覆面剣士様って、すごいイケメンだって噂だよね。私、一度お会いしたーい!」
「私は覆面剣士様の顔を、くっつくくらい近くで見つめたぁーい!」
「じゃあ私は、近くどころか覆面剣士様に、吐息を顔に吹きかけてもらいたーい!」
──吐息を顔にって……
変態さんかよ。
妄想がどんどん膨らんでいってる。
それにしても、覆面をしているのに、なぜイケメンだとわかるのか?
それが謎なのだが、なぜかそういう噂が飛び交っているのだ。
「知ってる? 一度、覆面が取れたことがあって、素顔を見た人がいるんだって」
「えっ、マジ!? 私も見てみたい!」
「それがさ、ものすんごいイケメンだったんだって!!」
──あ、いや。聞き捨てならない話が出てきた。
覆面が取れて顔が見られたなんて、まったくのガセネタだ。
そんなことは、今まで一度たりとも起こっていない。
なぜ断言できるのかって?
──だってそれ、俺だもん。
その覆面剣士の正体は俺だ。
事情があって、俺はそんなことをしている。
だけど覆面が取れたなんてことは、今まで一度もない。一度たりともだ。
──誰だ、そんな嘘の噂を流すヤツは?
俺は自己評価では、別にそんなにイケメンではない。だからそんな噂は俺の心が折れそうなので、やめてほしい。
俺は彼女達の会話を、ずっと聞いていないふりをして、一人でぼーっと突っ立ってたのだが……
その話を耳にして、思わず噂話をしている女子二人の顔をガン見してしまった。
「ちょっと……ゴブリン君がこっち見てるわよ」
「うわ、ホントだ。マジ、キモい」
──あ、やべ。
俺は慌てて女子達から顔をそらした。
俺は学院では、目の下までボサボサに伸ばした髪の毛で顔を隠してるし、あえて覇気のない表情や動作をしている。
それに少し背が低いこともあって、周りの奴らからは『ゴブリン君』などという、ありがたくないあだ名で呼ばれている。
──そう、あの陰気な顔つきで、弱さに定評がある魔物だ。
俺にはハイド・クロウスという立派な名前があるのだが……まあ良しとするか。
そんなイメージも、じいちゃんが言うように、俺の実力を隠すにはちょうどいいかもしれない。
──俺のじいちゃん。
そう。早くに両親を亡くした俺の親代わりとして、俺を育ててくれたのが祖父だ。
そして幼い頃から剣術を教えてくれたのもじいちゃん。
若い頃はかなり強かったと自称していたが、スケベで大酒飲みのじいちゃんが言うことだから、俺はまったく信じちゃいない。
でもまあ剣術を教えるのは上手かったみたいで、おかげで俺もそこそこは戦う技術を身に付けられたと感謝している。
──そのじいちゃんが、ずっとこんなことを言い続けていた。
『本当に強き者は、その力を誇示しない。能ある鷹は爪を隠すものじゃ』
だから俺は、幼い頃からその実力を隠してきた。
なぜそうすべきなのか何度か尋ねたが、その度にじいちゃんは『フォッフォッフォッ』と笑って、俺を
じいちゃんの本意はわからないが、俺は大好きなじいちゃんの言うことだからと、言いつけに従うことにした。
俺が剣士学院に通うように勧めたのもじいちゃんだ。
「実力さえあったら、学校なんて行かなくても……」
そう言う俺に、じいちゃんは真顔でこう返した。
『いいかハイド。これからの時代は、学歴ってものも大事なんじゃ』
しかしそんなじいちゃんも、半年前に病気で亡くなった。
じいちゃんは、このエリート揃いの【ソーディア剣士学院】に俺の入学を決めて──けれども俺がその学校に入学するのを見届けることなく、逝ってしまったんだ。
だが俺は、じいちゃんの言いつけをきちんと守って、学院でも日常生活でも、実力を隠して生活をしている。
そのせいで、俺は入学一ヶ月目にして、既にクラスのみんなからは『陰気な無能者』と言われ、最近は『ゴブリン君』というあだ名が定着しつつあるのだが……
──うん、ゴブリン君ってのは、うまく特徴を捉えてるよな。
誰が言い出したか知らないが、なかなかネーミングセンスがある。
俺は元々細かいことは気にしないタチなので、あっけらかんと、そんなふうに思っている。
◆◇◆◇◆
「じゃあ二人ひと組で、ペアを組んでくれ! 剣技の乱取りの相手だ!」
講師がそう言うと、みんながペアの相手を探し始めた。
乱取りとは、二人ペアで、自由に技を出し合う稽古方法だ。
だけど普段から他人とのコミュニケーションを放棄している俺だ。
ペアの相手を探すのは、なかなかに厄介なミッションと言える。
ましてや俺をゴブリン君なんて呼んでいるクラスメイト達は、誰も好き好んで俺とペアになろうとなんてしない。
周りでどんどんペアが成立する中で、俺はあっという間に孤立してしまった。
──うーん……どうしたものか。
周りを見回すと、ただ一人だけ、ペアの相手が決まってない奴がいた。
そいつの名前はアイリーン・ブリザック。
銀髪の美少女だ。
学院でもダントツで美人。
彼女は入学試験を余裕のトップで合格し、学院始まって以来の最強剣士になるだろうと言われている。
実際に授業で素振りをしただけで、そのレベルの高さの片鱗を見せた。
それを見たクラスメイト達からは絶賛の嵐。
そしてその美しくてキリリとした顔つきと、凛々しい全身の所作。
銀髪の彼女はクラスメイトから『銀の剣姫』と呼ばれるようになった。
俺以外で、唯一相手が決まっていないのが、その『銀の剣姫』だった。
相手が決まっていない理由は、もちろん俺とは正反対だ。
彼女はその強さと美しさでクラス中の人気者だ。しかもそれだけではない。
アイリーンは、この町の市長を代々務める一族の一人娘なのだ。
従って、あまりにも高嶺の花感が強すぎる。
誰もが畏れて、ペアになって欲しいと言い出せなかったのが、相手がいない理由なのだ。
──あ、そう言えば、さっき男子が一人だけアイリーンに声をかけて、断られていたな。
入学試験でアイリーンに次ぐ2位の成績だった、ゴーダという男。
彼はプライドの塊のような男だから、アイリーンにペアを断られて憮然としていたが……
アイリーンの方もそれを断るから、結局一人になっている。断らなければいいのに。
『銀の剣姫』アイリーン・ブリザックは、俺が一人でいるのを見ると、「フッ……」と鼻から息を吐いた。
スタスタと俺の方に歩み寄ってくる。
そしてその艶やかな唇の端を少し上げて、にやりと笑みを浮かべた……ように見えた。
──まずい。
俺が、一番組みたくなかった相手がコイツだ。
だけどもうコイツしか残っていないとは……
◆◇◆◇◆
「では乱取り始めーっ!!」
教師の声が、武道場中に響き渡る。
剣を構えたそれぞれのペアが、あちらこちらで打ち合いを始めた。
俺は剣を両手で中段に構えて、『銀の剣姫』と向かい合っている。
しかしふと視線を横から感じてそちら見ると、アイリーンにペアを断られたゴーダが鬼のような形相で俺を睨んでいる。
「チッ! こんなヤツがアイリーンちゃんの相手だなんて!」
そう言えばゴーダは、普段から何かとアイリーンに近づくことが多い。
そしてその時は、いつも楽しそうにニコニコとしている。
そうか。ゴーダのヤツ、アイリーンに気があるのか。
だからペアを組んだ俺に、嫉妬の炎で焼き切れそうな視線を送ってくるんだ。
別に俺から望んで、アイリーンとペアを組んだわけじゃないのに。
いや、それどころか、俺は『銀の剣姫』なんかとペアを組みたくなかった。
ゴーダみたいに、クラス中から嫉妬の目を向けられるのは想像できた。
──くそっ。
銀髪のコイツがゴーダの誘いを断るから、俺とペアを組むことになっちまったんだ。
「ねぇねぇ、見て。ゴブリン君ったら、アイリーンをいやらしい目で見てるわよ」
「あっホント! アイリーンちゃん、可哀想……美人すぎるのも罪よね」
──はぁぁぁっ!?
俺がいつ、コイツをいやらしい目で見た!?
確かにアイリーンは美人だ。それは認めよう。
だけど俺は天に誓って言う。
いやらしい目でなんて、見ちゃいない!
ちょっと腹立ち紛れに、睨んでいたけだ!
「ハイド・クロウス君。ボーッとしているようだが、そろそろ乱取りを始めないか?」
アイリーンが痺れを切らしたのか、剣を構えたままそう言ってきた。
「あ、ああ。悪かった。お手柔らかに頼む。君みたいな強い人に、本気で来られると俺は困る」
俺は実力を隠さなきゃならない。
本気で打ち込んでこられて、思わず返し技なんかを出すわけにはいかない。
コイツは主席合格者だ。
俺も自分の剣術に少しは自信があるが、さすがにコイツの方が強いに決まっている。
かと言って何も抵抗できないふりをして、ボコボコに切りつけられるのは嫌だ。
トレーニング用の木製剣と言っても、強いヤツに本気で切りつけられたら、それなりに痛いのだ。
エムっ気のない俺は、そんなことをされても全然嬉しくない。
「そういうわけにはいかない。剣の道を極めようとする私には、手を抜くことなんて、できやしないのだよ」
──はぁっ!?
何を言ってるんだ、コイツ?
たかだか学校の授業の乱取りだぞ。
そんなこと言わずに、手を抜けよ!
クソ真面目かよっ!?
「では行くぞ!」
アイリーンは銀髪をなびかせ、突然飛びかかるように俺に接近し、木剣を振りかぶった。
そして俺の顔を目掛けて、太刀を振り下ろす!
ヤバイ!
このままだと顔面強打で痛いじゃん!
俺は思わず自分の剣で、アイリーンの剣を受け止めた。
お互いの剣で剣を押し合う形になって、アイリーンはグッと顔を俺に近づける。
「ハイドくぅん……やっと近くで話ができますよぉ」
『銀の剣姫』……いやアイリーン・ブリザックは、突然囁くような、そして甘えるような声で話しかけてきた。
近くで見る顔は、普段の凛々しい美しさはどこへ行ったのやら。
惚けたような、だらしない表情になっている。
「最近ハイド君とゆっくり話す機会がなかったから、お話をしたかったんですぅ」
「いや、俺はお前と話をしたい話題なんてないから」
──そう。
実はこのアイリーンは、俺が学院で真の姿を隠していることを知っている唯一の人物だ。
俺のじいちゃんとも会ったことがある。
幼い頃に、じいちゃんと一緒にコイツを魔物から助けることがあって、それ以来俺の家によく遊びに来ていた。
俺が友達付き合いがあるのは唯一コイツだけで、子供の頃は、まあ仲が良かったと言ってもいいだろう。
しかし俺は、コイツに恨みを買うようなことをした覚えはないのだが。
いつの頃からか、コイツは俺に一生付きまとってやるだの、俺の胸の奥を見てみたいだの……
そんな恐ろしく猟奇的なことを言ってくるようになった。
いや、そのとおりのセリフじゃないけど、確かそんな意味のことを言ってきたのだ。
胸の中を見るためには、剣で俺の胸を
コイツはきっと、俺の胸を切り刻もうとしているのだ。
だから俺はそれ以来、怖くてコイツと距離を置くことにしている。
「ハイド君の覆面剣士の活動に、私もご一緒させてくださいよぉ」
「前から言ってるけど、ダメだ。俺一人でやるから」
「うーーっ……ハイド君のケチっ!」
「ケチとかそんな問題か!?」
アイリーンは口を尖らせて、ふんがふんがと鼻息を吐いている。
顔がすぐ目の前にあるから、くすぐったくて仕方がない。
「うわっ、ゴブリン君のやつ、アイリーンちゃんにあんなに顔を近づけてるよ!」
「ゴブリンの吐息がアイリーンの顔にかかってる! アイリーンは顔を真っ赤にして耐えてるけど、きっと気持ち悪いよねー! 可哀想!」
──おーいっ! ちょっと待てぇーっ!!!!
真逆だ!
アイリーンの鼻息に耐えているのは、俺の方だぁぁぁぁ!
人の先入観というのは、なんと恐ろしいのだ。
俺がゴブリンのイメージだというだけで、アイリーンが気持ち悪がってると決めつけるな!
さっきお前は、覆面剣士様の吐息を顔に吹きかけて欲しいって言ってたよな!
その覆面剣士は俺なんですけどっ!!
君に吐息を吹きかけてやろうかっ!?
「貴様っ! 授業中にセクハラするのはやめろっ!」
突然男の叫び声と、ヒュンという剣の風切音が横から耳に届いて、そちらに視線を向けた。
すると怒りに満ちたゴーダの真っ赤な顔と、剣の切っ先が同時に俺の目に飛び込んできた。
──ヤバっ!
避けるべきか、あえて剣を顔で受けるべきかっ!?
◆◇◆◇◆
「ごめんねぇハイドくぅん……」
「いいよ。気にすんな。別にアイリーンが悪いわけじゃないし」
結局俺はゴーダの剣を顔面で受けて、そのまま救護室行きになった。
実は切りつけられた衝撃では、全く痛くもなんともなかった。
だけど弱いフリをしなきゃいけないんで、あえて重傷を装って救護室に行ったのだ。
そして一日の授業が終わり、俺は帰宅の途についた。
俺の家は、町の外れの林の中に、ポツンと一軒家が建っている。
だから自宅近くまで来ると、周りにはほとんど誰もいない。
しかしその林の中で、なぜかアイリーンが待ち伏せをしていた。
とても申し訳なさそうに情けない顔をして、今日の出来事を謝ってきたのだ。
「それにしてもゴーダ君って最低です! いきなりハイド君に斬りかかるなんて……」
「まあそう言うな、アイリーン。アイツだって、俺がアイリーンに何かエロいことをしたと勘違いして、きっと正義感でやったことだよ」
「そうですかねぇ……」
「そうだよ」
「でも私は別に、ハイド君にエロいことなんか、されてませんし……」
「だから、そう勘違いしたんだろ?」
アイリーンはゴーダのことを悪く思ってるみたいだけど、そんな悪いヤツじゃないはずだ。
だってゴーダは俺の顔に木剣がヒットした瞬間、『シーネ』と呟いていた。
「なあアイリーン。シーネって、確か治癒魔法の一つだよな」
俺、治癒魔法系は苦手なんでうろ覚えだけど、確かそんな魔法があったはずだ。
ゴーダは俺にダメージを与えると同時に、治癒魔法をかけてくれたんだ。
いいヤツじゃないか。
……あっ、そうか。
そのおかげで、木剣がヒットしても痛くもなんともなかったのかな?
「死ね? そんな治癒魔法はないですよ。変なハイドくん。そんなことよりも、私ハイド君になら、エロいことをされてもいい……」
──ん?
今アイリーンが何か言ったけど、考えごとをしてたから聞き逃した。
聞き返したりしたら、またアイリーンは『人の話を聞かない』って怒りだすから、違う話題に変えよう。
「えっと……ところでゴーダのやつも、本気で切り掛かって来なかったから、助かったよ」
「えっ? 彼、結構力一杯切り掛かったように見えましたけど……」
アイリーンはきょとんとしている。
「そんなことないだろ。入学試験でアイリーンに次いで、準主席のヤツだ。本気なら、あんな程度で済まなかったはずだ」
「準主席……でもハイド君は、主席合格の私の何倍も強いんだからぁ……ゴーダ君の本気なんか、へっちゃらですよねぇ……うふっ……」
──最後のうふっ、はどういう意味だ?
相変わらずコイツの言動は意味不明だ。
それに俺がアイリーンの何倍も強いなんて、そんな嘘をなんの目的でつくんだ?
アイリーンの方が俺より数段強いに決まってるだろ。
なんてったって、あのエリートの集まり【ソーディア剣士学院】の主席合格者なんだから。
そうか、わかった。
コイツは俺を誉め殺しにして、努力をさせないつもりだな。
そして自分がこれからも、俺よりも強くあり続けるつもりだ。
そうはいかない。
俺だってじいちゃんと約束したんだ。
もっともっと強くなるって。
ここはちゃんとアイリーンにお願いをしておこう。
俺を惑わすようなことを言って、意地悪しないでくれと。
「なあ、アイリーン。お願いがあるんだが……」
「と、突然何ですか……? わ、私にお願いなんて……? うふふ」
だから最後のうふふは、いったいなんなんだよ?
コイツ、意地悪をして、俺のお願いなんて聞く気なんてさらさらないな。
「なんだよ。俺のお願いなんて聞けないってか?」
「ふぇっ!? な、何? 私、そんなこと言ってないですよぉ……」
アイリーンが急に泣きそうな顔になった。
コイツは普段はすごく凛々しい顔つきなのだが、俺と二人きりの時だけは、よくこんな顔をする。
俺なんて、こんな顔を見せればすぐに言うことを聞く、チョロいやつだと思われているに違いない。
確かに俺は、他人が泣く顔は見たくないし、喜ぶ顔が見たい。
俺がそういう性格なのを、子供の頃から一緒のアイリーンはよく知っている。
だからきっとアイリーンは、俺を上手くコントールするために、わざとそういう演技をしているのだろう。
「私……ハイド君のお願いなら、なんでも喜んで聞きますよぉ……」
アイリーンは下を向いてぶつぶつ喋ったから、今何を言ったのか聞き取れなかった。
なんて言ったんだろう?
そう考えた時に、突然女性の悲鳴が響いた。
「キャーぁぁぁっっっ! 助けてーっ! お願い! やめて!」
──ヤバイ! 誰かが襲われている!
助けに行かなきゃ!
だけど今は学校帰りで、学院の制服姿だ。
マスクと剣はいつも通学用の布袋に入れてあるから問題はないが……
仕方ない。
制服を脱げば、その下はトレーニング用の黒タイツスーツを上下とも着ている。
その格好でなら、学院生だとバレまい。
脱いだ制服は、アイリーンに持っておいてもらおう。
そう考えて、俺は急いで制服を脱いだ。
「キャっ! ハイド君……そんな急に……私だって未経験なんだから、心の準備ってものが……」
──ん?
コイツはいったい何を言ってるんだ?
「でもそれがハイド君のお願いなら……わかりました。いいですよ……」
アイリーンは突然両手を顔の前で合わせて、目を
何か急に、お祈りでも始めたようだ。
そうか。信心深いアイリーンのことだ。
お祈りをすべき時間になったのだろう。
ちょうどいい。
俺がここから立ち去れば、アイリーンのお祈りを邪魔しなくて済む。
「お母様……今日、アイリーンは大人の女になります……」
──アイリーンの言ってることが、さっぱりわからないのだが。
だけど俺は、早く悲鳴の
アイリーンに何のお祈りをしているのか、尋ねる時間的余裕はない。
「じゃあアイリーン。俺の制服と布袋を見ておいてくれ」
「へっ!?」
俺は素早く覆面を装着し、剣を手にした。
俺の剣はじいちゃんからもらったもので、普段は手のひらほどのサイズになっている。
そして状況に応じてその姿を変える、便利で珍しい剣だ。
大きさも変わるし、素材も鉄やミスリルや、見たこともない金属になる時もある。
その時々で、まるで剣に意志があるかのように、勝手にその姿を変えるのだ。
後ろの方でアイリーンが「どこ行くのぉぉぉぉ!?」と叫ぶ声がしたが、俺は気にせず悲鳴の元へと疾走した。
◆◇◆◇◆
悲鳴がした方を目指して林の中を駆け抜けると、大木を背にした女の子が、男に抱きつかれているのが目に入った。
あれは……
男女とも、我が【ソーディア剣士学院】の制服だ。
「いやぁ! やめてーっ!!」
女の子は顔を激しく左右に振りながら、男の頭を拳で殴っている。
しかし男は屈強で、まったくこたえていない。
男は片手を女の子の背中に回して抱きつき、もう片方の手は女の子の胸を掴んでいる。
「何を言ってるんだ? こんな
「違うって! 確かに話くらいはしてもいいかなって思ったけど、こんなことは望んでないからっ!」
──ああ……いわゆる、最低の男ってヤツか。
「おーい、君ー! 嫌がってるんだから、やめとけよ」
俺が声をかけながら歩み寄ると、男は振り返って、ギョッとした顔をした。
──ん?
コイツ、準主席入学のゴーダによく似てる。
……いやいや、それはあるまい。
エリートが集まる【ソーディア剣士学院】の準主席入学なんて優秀な生徒が、まさか女性を襲ったりしまい。
だからきっと、よく似た別人なのだろう。
もしもコイツが本当にゴーダなら、俺よりも強いはずだから、ちょっとヤバイ。
だけど……うん、きっと大丈夫だ。
コイツはゴーダじゃない。
俺の勘は、結構当たるんだ。
自分を信じよう。
「なんだお前は!?」
「なんだっていいじゃないか。悪いことはしちゃダメだ」
「うるせぇ! 怪我をしたくなかったら、引っ込んでろ!」
「うーん……俺も怪我はしたくないんだが……」
男はニヤッと笑った。
俺のセリフを聞いて、こちらが弱いヤツだと思ったのだろう。
「じゃあ、大人しくどっかへ行け!」
いや、そういうわけにはいかないんだよねぇ。
じいちゃんの教育のせいか、俺は弱い者を力で蹂躙するようなヤツは、どうしたって許せないんだ。
「もう一度だけ言うよ。その女の子を離して、君の方こそ立ち去れ」
「クックック……面白いカッコをして、面白いことを言うじゃねぇか」
──あ、上下黒タイツ姿なのを忘れてた。
確かにちょっと恥ずかしい姿だ。
こんな恥ずかしい姿は、あまり他人様に見せるもんじゃない。
早めに片付けよう。
そう思って俺は剣を前に構えた。
さっきの手のひらサイズから、腕の長さくらいに大きくなっている。
素材は鉄製で、しかも刃は丸くて鋭利ではない。
つまり──
この相手は、そんなに強いヤツではない。
そして殺してしまうことはない相手だということだ。
この剣はなぜか状況に応じて、その時々に最適な形に変化してくれる。
しかし俺が剣を構えたのを見て、男も剣を抜いた。
身長ほどもある大剣だ。
それなりに強いヤツなのかもしれない。
気をつけなければ……
男は突然大剣を振りかざすと、こちらに向けて切りつけてきた。
「俺に喧嘩を売ったことを後悔させてやる! 俺は準主席の……ウゲっ!!」
コイツ、動きが遅い。
何か言ったようだが、聞き取れないうちに、俺の太刀が男の腹を横一閃した。
男はヘドを吐いて、腹を押さえてそのまま前に倒れ込んだ。
そしてそのまま気を失ったようで、ピクリとも動かない。
弱いなコイツ。
やっぱり準主席入学のゴーダではなかったようだ。
準主席なら、もっと強いはずだし。
「あ……あなたは……覆面剣士様……?」
女の子は、俺をうっとりとした目で見つめている。
何か声をかけてあげたいところだが、俺の声を知られるのはマズい。
この子は同じ学院生のようだし、今後どこかで話すことがあるかもしれない。
だから俺は、にこりと笑顔だけ返して、その場を立ち去った。
俺の覆面は、口だけは出ているから、俺の笑顔は彼女に伝わったはずだ。
男は完全に気絶しているし、女の子に怪我は無いようだから、あとは自分で歩いて帰るだろう。
アイリーンが待つ場所に戻ると、彼女はほっぺを膨らませて、プンプンと怒っていた。
だけど事情を説明すると、笑顔に戻った。
「もうっ……ハイド君ったら……仕方ないですねぇ。その正義感に免じて、許してあげましょう」
──うーむ……
確かにアイリーンをほったらかしにして行ったのは悪かったが……
でもアイリーンは、たまたまお祈りの時間になったのだから、俺がいない方が都合が良かったのではないのか?
しかしそんなことを言うと、『自分の非を認めないのですか!?』なんて非難されそうだから、黙っておくことにした。
「それよりも……今後はハイド君の覆面剣士活動に、私も参加させてくださいよぉ」
「ダメだって言ってるだろ」
またその話か。
コイツはなんで、そんなにしつこく言うんだろう?
「ぶうぅぅ!」
アイリーンはまた口を尖らせて、頬を膨らませている。
普段のクールな剣士然とした態度からすると、考えられないくらい子供っぽい。
きっとコイツも剣の腕が立つから、正義の剣を振るいたいのだろうな。
でもあんな活動は何が起こるか分からないから、やっぱりダメだ。
アイリーンを危険な目に合わせるわけにはいかない。
「まあそのうち、機会があったらな」
俺がそう言うと、アイリーンは渋々うなずいた。
◆◇◆◇◆
翌朝、学院に登校すると、教室内はまた覆面剣士の話題で持ちきりだった。
我が学院の女生徒が襲われ、そして覆面剣士に救われたことまで伝わっている。
しかし襲った犯人は、旅する盗賊だという話になっていた。
伝統ある当学院の名誉を守るために、誰かが情報操作したのだろう。
「あーん……覆面剣士様に助けてもらえるなら、私が襲われたかったぁ!」
覆面剣士のファンだと言う女子が、馬鹿なことを言っている。
本当に襲われたらどうするんだ。
ちゃんと自分の身を守るために、危ないことはしないでほしい。
そんなことを思いながら、ついその女子を見てしまっていたら、こちらの視線に気づいたその子にギロッと睨まれた。
「ちょっとゴブリン君。何、じろじろ見てるの?」
「あ、ごめんごめん」
「いくら私が可愛いからって、あんまり見つめないでくれる? 気持ち悪いんだから」
──うーん。
あえて陰気な雰囲気を装ってるから、そう言われても何も気にならないんだが……
ほんのたまには、本当の自分をわかってほしいという気持ちが湧いてくる。
──いや、ホントにたまには、だけど。
「ハイド君がカッコ良くて強いことは、私がわかってますからね」
ボソボソっと囁く声が後ろから聞こえて振り返ると、銀髪のアイリーンが何くわぬ顔で立ち去るところだった。
──アイリーンのヤツめ。
相変わらず、俺を誉め殺しにして、努力を放棄させる作戦か?
そうは思ったけど、なぜか気持ちがほんわかするのを感じた。
まあ今日は、アイリーンの言葉をありがたく受け取っておくことにする。
しかしこの時は──
いずれはアイリーンと俺が、最強のパートナーとして冒険に出ることになるなんて……俺は気づきもしなかった。
そして──
準主席入学のゴーダが、家庭の事情で急遽退学することになったと、このあと教師がみんなに伝えるまで──
ゴーダが今日は欠席していることなんて……俺は気づきもしなかった。
== 序章 完 ==
【読者の皆様へ】
皆様の評判により、連載化するかどうかを検討します。
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◆連載化する場合の大筋のプロット
・しばらく剣士学院編で、「表向き無能、裏tueeee」な物語。
『魔落ちしそうなロリキャラ剣士』など、サブヒロインを中心に新キャラが登場します。
・その後は冒険編となり、仲間が増え、主人公や祖父の秘密が徐々に明らかになっていきます。
最近世間で話題の「覆面最強剣士」は、剣士学院では正体を隠して過ごしている 波瀾 紡 @Ryu---
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