第四十六話 アリスの異常な世界

「おや、これなるは穴なり。いざ行かん」


 突如目の前にポッカリと穴が空いた。その穴に白粉おしろいを塗った人物が飛び込む。しばらくすると、穴の底から悲鳴が鳴り響いた。何なんだ、一体……?


 意味が分からず呆然としていると、向こうから変な一団が行進してくる。一団はハートのマークをつけたエプロンのような前掛けを来て、一枝乱れぬ挙動で歩いてくる。口はくるみ割り人形みたいな変わった口をして“カタカタ“と妙な音を立てている。


 ふと周りを見ると、アリスを中心に光景が一変している。シダ植物みたいな木が林立し、不気味な顔をした妖精みたいな生き物がアリスの周りを笑いながら飛んでいる。木々の合間から一際顔の大きな男が現れ、おもむろに大工道具を取り出して木を切り倒し始める。


 何これ? 何が起きたの? 


 風邪を引いて熱を出した時以上に、狂った世界が辺りを包む。見ているだけで、頭がおかしくなる。一体全体、何なんだよ。


「これはアリスの心象風景が産み出した概念世界さ」


 突如、背後から声が聞こえた。俺はハッと振り返ると、そこにはレンガ塀の上に座っている玉子みたいな変な生き物がいた。


 "また妙な物が出てきた"と、俺は頭を抱える。しかし、俺の気持ちなどお構い無しに、玉子が話し掛けてきた。


「お初にお目にかかる。私の名は"奇妙な理性者"さ。君がスケべ人間ゴンスケかい?」


 そんなオランダの地名みたいな言い方するな。


「君はアリスが具現化した概念世界に足を踏み入れたのさ」

「概念世界?」

「そうさ。超越魔法“無垢なる混沌アリスインワンダーランドはアリスの心象風景を現実に具現化する魔法なんだ。この世界ではアリスの思うのままのことが起きる。死者が生き返り、生者が死に、太陽が西から登って猫がワンと鳴いた後、為すがままになるなら、胡瓜きゅうりがパパになって、空飛ぶ男がアンパンを配りにくるんだよ」

「ちょ、ちょっと待って……お前の言うことが既に分からないんだけど……」

「それだけ奇妙なことが起きるのさ。理性的に、この世界を見渡してごらん」


 俺は言われるがままに周りを見る。


 先程、穴に入って悲鳴を上げていた白粉を塗った人は、自分の首を持って穴から這い出てきた。

 その彼に、ハートのマークをつけた兵士達が取り囲み、タコ殴りにしている。

 されるがままの彼をニタニタと見ている猫が“ワン“と鳴き始め、西の端から満面の笑みを浮かべた不気味な人の顔をした太陽が哄笑こうしょう高らかに天高く舞い上がる。

 その陽の光に当てられて、地面から人の顔をした胡瓜がボコボコと生え始めた。


 い、意味が分からん……。


 理解の範疇を超えた出来事に目眩を覚える。そんな俺の肩に、"チョイチョイ"と触る者がいる。振り向くと、そこにはアンパンを持ったオジサンがいた。


「アンパンいる?」

「……いらないです」


 オジサンは悲しそうな顔をして、空を飛んでどこかに行ってしまった。呆然とオジサンを見送る俺に、玉子が語り掛ける。


「この世界にいるだけで、常人は精神が汚染され発狂してしまうんだ。スケべ人間ゴンスケ、このままではいけない。早く脱出しなければ。さあ、僕についておいでよ」


 そう言うと、玉子は“ヒョイ“と壁から飛び降りた。しかし、体勢を崩して頭から地面から落ちてしまった。“グチャリ“と音を立てた後、玉子は身動きひとつしなくなった。


「お、おい…大丈夫か?」

「………」


 返事がない。地面にはコイツの頭から垂れ流した黄味が広がっている。何てこった! コイツ、何もせずに勝手に死んでしまった。


 辺りが徐々にアリスの創り出す狂った世界に書き換わる。おいおい、コレじゃあ、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“どころじゃないぞ。どうすりゃいいんだ。


 と、その時、クックロビンが俺に声を掛ける。


「ゴンスケくん。アリスは少々やり過ぎてるみたいだ。僕がこの世界を抑えるから、任せて」

「あ、ああ。だけど、大丈夫か?」

「大丈夫さ。コレがはじめてでもないからね。さ、ゴンスケくん、作戦通りに頼むよ」


 それだけ言うと、クックロビンがアリスに向けて駆けていく。周りを見ると、帽子屋ハッターダムディー達が変な生き物に追い駆けられて逃げ惑っている。


「うわぁああああん〜。“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“さ〜〜ん、助けて〜」

「この世界は空間が捻じ曲がってる」「僕たちの力がうまく働かない。“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“、何とかして欲しい」


 三人が逃げる様を呆然と見ていると、変な生き物はふと視界を俺に向けた。あ、まずい、今一瞬目が合った。と思った時には遅かった。変な生き物は俺目掛けて一目散に向かって来た。


「や、やばい!」


 俺が慌てて身構えると、また急に方向転換をし始めた。今度は“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“に向かって突進している。“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“は憎々しげな視線を変な生き物に向け、敵意が剥き出しだ。襲い掛かるのも当然だろう。変な生き物が大口を開けて“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“を呑み込もうとするより早く、手に持った次元砲で変な生き物を時空の彼方に吹き飛ばした。


「相変わらず無茶苦茶な世界だ。おい、帽子屋ハッターダムディー。こっちに来い。次元砲で穴をこじ開けて逃げるぞ」

「さっすが“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“さんですぅ〜」


 三人が急いで“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“に駆け寄ろうとする。だが、それを妨害する一筋の光が地面に落ちた。


 “バシュッ“と小気味いい音と共に強力な閃光がほとばしる。


「わああ〜〜ん、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“さ〜ん、どこですかぁ?」

「これはクックロビンの」「閃光矢スタンアローか。前が見えない」


 突如視界を奪われた三人は足を止める。その隙にアリスの狂空間が三人を呑み込む。“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“は手を伸ばそうとするが、更なるクックロビンの邪魔が入る。鮮烈な矢が伸ばした手を弾き、帽子屋ハッターダムディー達はイカれた世界に呑み込まれた。


 アリスの無垢なる混沌アリスインワンダーランドに侵食された世界は徐々に収縮し、小さな球状の空間になる。そして、異常な世界を全て飲み込んだ後、空間が閉じられ、世界から消えた。空間が閉じる刹那、クックロビンは俺に向けて声を発した。


「どうだい? びっくりしたかな? 面白かったでしょ♪」


 ああ、面白くて頭がおかしくなるところだった。クックロビンの奴は、この異常な世界に云い知れない快感を感じるかもしれないが、俺としては絶望感しか感じなかった。二度とこんな目はゴメンだ。


 何も無くなった空間を見つめ、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“は“クソが!“と地面を蹴って憤怒の感情を露わにしている。


「ざけんな! こんなチンケな惑星ダンジョンで、無垢なる混沌アリスインワンダーランドを使われるなんざぁ、想定してねぇぞ!」

 

 アリスの超越魔法で三人を同時に失ったのだ。無理もない。


 それにしても、アリスの奴……あんな危険な魔法だなんて、先に言って欲しかった。分断作戦を提示したのは俺だけど、作戦が台無しになるくらい強力な魔法を使うとは想定外だ。


 しかし、結果として、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“の仲間は、全員退場したのだ。後は、作戦を遂行するだけだ。


「おい、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“!」

「……地球人、口の聞き方に気をつけろよ? 今、俺は気が立っている。テメェの命くらいじゃ収まらないくらいの怒りになぁ!」


 最後の言葉に怒気を含めて俺に言い放つ。空気がビリビリと響く。くッ……なんて声だ。だが、怯んでなるものか。


「口の聞き方? それは俺のセリフだ。ブサイクゴリラチキン野郎!」

「テメェ……殺され」

「黙れよ。お仲間がいなくなって、寂しくって虚勢でも張ってるのか? 寂しがり屋の“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“くんは一人が寂しいってか?」

「し、死にたいようだな。地球人」

「死ぬ? はん! 誰が大人しく殺られるかよ。それに、ここからは俺たちの反撃だ。今までお前が殺してきた火吹き山の住人の仇討ちだ。お前こそ、覚悟しろよ」


 俺は力強く言葉を返す。“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“は、激憤に満ちた顔でガンを飛ばしてくる。その視線は、真っ赤になった顔とは対照的に蛇のように相手を見定める疑念の色が強く浮かんでいた。


「地球人、たった一人で何を考えている? アリスもクックロビンもいないこの状況で、お前如きが舐めた口利くのは何でだ?」

「お前の嫌なところはよぉ、感情的になるかと思えば、どこか冷静に相手を探る狡猾さだよなぁ……」


 俺の不敵な笑みに、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“は警戒を強める。粗暴な口調通りに、感情に任せた行動をするならば、どんなに楽だろうか。


 畢竟ひっきょう、コイツがトップMovieCherなのは、超科学兵器のおかげでなく、コイツが持つ冷静さと慎重さによるモノが大きい。

 他のMovieCherは、最新鋭の兵器を持っているせいか、驕りや油断があった。しかし、コイツは無い。相手を俯瞰して観察し、微に入り細に入り、勝機を見極める。相手にして分かる、コイツは本当に嫌な奴だ……。

 だが、真の強者は相手を侮らず、決して驕らないことだと聞いたことがある。その点では尊敬するぜ、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“。流石、トップMovieCherだ。


 俺は認めたくないとは思いつつ、心の中で“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“を認めてしまい、思わず苦笑する。


「何がおかしい? 地球人」

「……いや、今更ながら、お前の凄さに思い至ったワケだが……」

「なんだ? 俺を持ち上げて命乞いでもするのか?」

「ふふふ、お前は名前の通り、蛇の如く狡猾で嫌な奴だったよ。俺たちの作戦がお前に破られたのも分かるよ。だが……」


 俺は咄嗟に手を上げる。その動きに警戒して“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“が武器を俺に向ける。


「今回は俺たちが一枚上手さ。行け、アジエ」


 俺の声に釣られて、物陰に隠れていたアジエが、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“の背後に現れる。アジエは右手に持った黒い球体を天に掲げて、大声で叫んだ。


「“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“! お姉ちゃんの仇だ! 受けてみろ」

「あん!? 原住民だと?」


 アジエが持った黒い球体はブワッと天に舞い、空高く浮かび上った。そして、眩い光と炸裂音を放ち、辺り一面に強力な電磁波を放出した。


 頭に強い刺激が走る。脳内チップがダメージを負い、機能を停止する。魔法触媒射出器マジックランチャーから、"バシリ"と電子音が響き、白煙を上げる。

 

「ぐ、グォオォォォ……。て、テメェ、地球人……」


 全身がバチバチと放電した“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“は驚愕と憎悪が入り混じった声で叫びを上げる。


「なんてことだ……EMP攻撃かよ。……テメェ、俺の武装を無効化しやがったな!」


俺は指を左右に振り、"チッチッ"と口を鳴らす。


「ああ、そうだ。これでお前はただの図体がデカいデクの棒だ。覚悟しろ、“蛇馬魚鬼ジャバウォーキー“!」

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