第二十二話 女神アーリス

 俺たちは火神像の裏側にある壁まで小走りで駆けていく。壁の近くにある茂みにはあらかじめ用意していた透明なワイヤーとフックの小道具が隠してあった。

 

 俺が茂みから小道具を出している内に、アリスは珍妙な衣装に着替えている。いつ着替えたか分からないが、大晦日の歌合戦で見るような無駄に豪奢な衣装だ。


 俺はアリスの服にフックを掛け、ワイヤーを力任せに引っ張った。建物の屋上にあらかじめ取り付けた滑車が回り、アリスの体が宙を舞う。


「グギギギギ……」

 

 意外とアリスは重い。華奢な体をしているはずなのに、なんでこんなに重いんだ。よくよく考えれば、剣を棒切れの様に扱う人間が華奢なワケがないか。


 もしかすると、アリスは服を脱げば筋肉バキバキなのかもしれない。個人的には見てみたい。いや、いやらしい気持ちではなく、純粋な筋肉ファンとして。


 しかし、なんでまた人力でアリスを持ち上げる必要があるんだ。もっとウィンチとかの機械で上げればよかったんじゃないのか。俺も自分の力を誇示する場面だと思ってしまい、無駄な承認欲求を満たすために深く考えずに承諾してしまったのも悪いのだが。


 額に汗を流しながら、横目で火神像を見る。女騎士は膝をついて火神象に祈りを捧げている。

 月明かりに照らされ、祈りを捧げる彼女の姿は有名な絵画のようで言葉にできない雰囲気を漂わせる。先程まで部下の男に見せていた強気と裏腹にどことなく儚さが見える彼女を見て、俺の胸は少しドギマギした。


 俺が力の限りでアリスを引っ張りつつ、女騎士を見ていると、クックロビンが優しく語り掛けてきた。


「ゴンスケくん。キツくなったらいつでも言ってね。回復アンプルはたくさんあるから、遠慮しないで」


 確かに回復アンプルならば体力も回復するだろう。しかし、同時に全身から湧き上がる快楽でワイヤーを手放しかねん。俺は首を振って断った。クックロビンは少し残念そうだったが、仕方あるまい。


 俺の孤軍奮闘をよそにムアニカは火神像に祈りを捧げる。彼女は祈りの言葉をゆっくりと静かに口に出す。普段ならまったく聞こえない程度の声量だが、アリスの魔法ではっきりと声が聞こえる。


「火神アグニアスマ様……。どうか私に…ズールー王国に火の加護を…」


 その時、彼女の願いに天が応えたのか空から妙な物体が降りてきた。


 アリスだ。


 いや、今は女神“アーリス“か。


 クックロビンが持ってきた照明装置がアリスの背後を良い感じに光らせて後光が差している様に見える。

 ムアニカは突如現れた未確認飛行物体に一瞬言葉を失う。だが、さすがに騎士団長と言うべきか咄嗟に腰に下げた剣に手を掛け大声を上げる。


「な、何者だ!」

「恐れるのではありません。ムアニカよ。私は女神……女神“アーリス“です」


 アリスの言葉を聞き、ムアニカは目を見開く。


 どうやらと言う言葉に戸惑いを覚えたようだ。無理もないだろう。大した科学技術も無く、魔法とか言うオカルト満載の技術が蔓延している世界では、空飛ぶ存在をトリックと疑うより何かしら神秘性がある存在と思うかもしれない。それが、天使か悪魔かは置いたとしても。


 当然ながら、ムアニカは疑いを含む言葉でインチキ女神に言葉を返す。


「め、女神……? 一体それはなんだ。神はすべて男性であるはずだ。女の神など聞いたことがないぞ!」

「………」


 おい、アリス! 黙るな、黙るな! 何か言えよ。ってか、お前、この星の住人が女神の概念を持ってなかったことを事前に調べてなかったのかよ。


「あ、あ〜、あの。あれよ。私は最近生まれたのよ。火神アグニなんとかの子供よ」

「アグニアスマ様の?」

「そうそう! アグニアスマよ、アグニアスマ。ちょっと父さんからお願いされてここに来たってワケよ」


 おい、なんだその“お使い頼まれたから仕方なく来ちゃいました“的な言い分は! もう破綻しかかってるぞ。


「そ、そう……ですか。まさかアグニアスマ様に御子が…それも女の神がいるとは……不勉強な私をお許しください」

「え? あ、うん。オッケーオッケー。ま、そんなこともあるわよ」


 もはや荘厳や威厳など何もない。アリスは事前の段取りが崩壊したせいか完全にテンパって非常にフランクに話し始めている。だめだこりゃ。

 しかし、ムアニカはアリスの言い分を信じているみたいだ。えぇ〜? 本当にぃ?

 俺の疑問をよそにムアニカはアリスに膝をついて敬意を示しながら疑問の言葉を投げかける。


「しかし、アーリス様。アグニアスマ様からのお願いとは一体なんなのでしょうか」

「ゴホン。えー、私は父、アグニアスマの命により選ばれし勇者を探していました。そこで私は先日のある戦いを見て、お前こそが選ばれた勇者であると確信しました」

「戦い? それはもしや、この前倒した魔王の仲間のことですか?」

「そうです。MovieCher……じゃなかった。魔王の眷属である光る武器を持つ男をお前は一閃で倒しました。お前の強さは、この世界で一、二を争うものです。なればこそ、私はお前にを託すことにしました」

「神の剣を……私に!?」


 途中の流れはムチャクチャだが、ムアニカはとか言う不審者の言葉を信じてしまっている。どこまで本気か分からないが、殊の外純粋なんだろうか。

 そう思っていたところ、横にいるクックロビンが口を開いた。


「アリスはどうやら彼女に魔法を仕掛けているみたいだね」

「魔法だって?」

「そう。先ほどアリスが黙っていた時があったよね。あの段階で彼女に幻惑の魔法を掛けていたみたいなんだ」


 俺はムアニカが異様な程に疑いを持たない点に合点がいった。そうでなければ、先ほどから失態をやらかしまくっているアリスをと信じる訳が無い。俺が事情を察しつつ、アリスの失態に呆れていると、脳の奥から声が聞こえてきた。これはアリスの通信魔法念話テレパスだ。一体何ごとかと耳を傾ける。


(ちょっと、ゴンスケ。もう少し下に降ろして。剣が渡せないわよ)

(分かったよ。ちょっと待ってろ)


 俺はゆっくりとワイヤーを降ろそうとする。しかし、アリスが重いから上手く加減が出来ない。勢い余って大きくワイヤーを送り出してしまった。


 あ、やべ。


「うわぁああああ!」


 火神像の辺りでアリスの悲鳴が聞こえる。俺が自分の失敗を理解すると同時に耳元でアリスからの声が鳴り響いた。


(ちょっと! 危ないじゃない!)

(悪い悪い。でも、生命保険があるんだ。死んでも大丈夫だろ?)

(なに言ってるのよ! 死んだら痛いじゃない!)


 どの口が言ってるんだ、コイツは。散々俺に“極大核自爆魔法を使え“とか言っていたくせに。この前、火山洞窟でアリスに置いてかれたことを思い出し、メラメラと復讐心が湧いてきた。


 火神像の方を見ると、丁度アリスがクォンタムブレーカーVer12 Update5を渡そうとしている。今が好機……よし。くらえ!


「さあ、ムアニカよ。この剣を受け取りなさい。これは神の剣、“クォ……“」


 俺は手に持つワイヤーを離した。ワイヤーはスルスルと上空に登り、少し行った辺りで止まる。そして、火神像の辺りで“ドカ“と軽い衝撃音が聞こえた。


「ゴンタ!」


 アリスは珍妙な声を出して、つぶれた蛙の如く地面に落ちた。肝心なシーンが台無しになったが、ムアニカは失敗続きのでも魔法の力で信じてしまっている。今更失敗が一つ増えても構うまい。


 ムアニカはアリスが落ちた時に無造作に転がったクォンタムブレーカーVer12 Update5を拾い上げる。剣の鞘からはゴテゴテした光がほとばしっている。ムアニカは剣を眺めつつ、に尋ねた。


「ゴンタ? アーリス様、この剣はゴンタと言うのですか?」

「あたたたた……え? いや、それは“クォンタムブレーカー……“」


 俺の想像通り、地面に起きたアリスのことをムアニカは全然気にしていない。しかし、あまりにも信じすぎている。俺はムアニカの純粋ぶりに少し不安を覚えた。

 ムアニカの質問にアリスは鼻を押さえて本当の剣の名前を言おうとする。その時、中庭の端から複数の人が駆けてくる足音がした。そして、その中の一人が大きな声を上げた。


「いたぞ! あそこだ。あそこに空飛ぶ怪物がいるぞ!」


 声を上げた者はハネスだ。しまった。彼の存在を考慮してなかった。おそらく中庭に浮かぶ“光るアリス“をどこかで見て、化け物と思ってしまったのだろう。中庭には畏敬の対象であるムアニカがいる。ならば化け物から守るために兵士たちを引き連れてくるのも道理だ。


「え? え? や、やばい! みんな、撤収よ! 撤収〜」


 事態の悪化を察したアリスは服を巻くし上げて俺たちのところに駆けてくる。俺たちも撤退しよう。横にいるクックロビンに視線を送ると、彼も俺の考えを察してくれた。

 クックロビンは懐から端末を取り出し、何やらコードを打ち始めた。すると、ワイヤー、滑車やフックが爆発炎上して跡形もなく消え去った。


 突然の爆発音にハネスと兵士たち、それにムアニカは驚愕の顔を浮かべる。いい感じで陽動になった。今のうちだ、さっさとトンズラしよう。


 アリスは焦った表情でこちらに来る。よし、アリスが来たら瞬間移動の魔法で脱出だ。と、思った時、アリスが地面を蹴り、飛び上がった。


「ゴンスケ〜! よくも」

「ぶげぁ!」


 俺はアリスの飛び蹴りを喰らい、ぶっ倒れた。ぐ……なんてことだ。わざと落としたことがバレたみたいだ。いや、ただの八つ当たりか?

 薄れ行く意識の中、自分の体が瞬間移動で転移する感覚と共に俺は意識を失った。

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