第五話 就活

「嫌じゃボケ!」


 俺は思わず声が出てしまった。


 そりゃそうだろう。ムチャクチャ危ない仕事じゃねぇか! 何だってこの世界に来てまでそんなヤバイ仕事をしなくちゃいけねぇんだ。


 だが、俺のたましいの叫びも美少女の前には心地よい草原の風が如く軽くあしらわれる。


「あら? 死ななきゃいいのよ」

「死ななきゃって……簡単に言ってくれるなぁ。どうやってエ◯リアン相手に剣と盾で勝てるんだよ。ゾンビだって? 冗談じゃねぇ。下手なホラー映画かよ。それに最後のアノマリーって何だよ。体が溶ける? 意味ワカンねぇよ」

「アノマリーなんだもん。私だって意味わかんないわよ」


 グググ……全然答えになってねぇ。俺の訴えも美少女にはぜんぜん効果がない。これ、俺がおかしいのか? それとも、美少女がおかしいのか?


「100億クレジット稼ぐんだから、それなりに危険はつきものよ。嫌なら他の仕事する?」

「なぬ? 他の仕事? なんだ、他にもあるじゃ無いか」


 なんだ。安心した。他の仕事も得体が知れないが、死ぬような内容じゃないだろう。俺は期待を込めて美少女に尋ねてみる。


「でも、キミの場合、この星の住人じゃないから、血統も学歴も縁故も無いのよね。まともな仕事はないわよ」

「ああ、化け物と死闘を演じるよりなんぼかマシだ。で、どんな仕事ならできるんだ?」

「そうねぇ。できるのは核汚染地域のゴミ漁りスカベンジャーか、危険な人体実験か、金だけ持ってる変態老人に体を売るくらいしか無いわ。どれもMovieCherで得られる金額と比べると端金はしたがねね」

「MovieChに登録させていただきます」


 ろくな仕事が無い。俺は思わずMovieChに登録する旨を口にしてしまった。


 正直、化け物相手と戦闘できる自信は無い。しかし、この美少女もMovieCherとしてやって行けているし、死んでも蘇生できるならば他の仕事よりも全体的な危険は少ないと考えられた。


 不本意ながら口にしてしまった一言に美少女が満面の笑みを浮かべる。うーん、時折トンデモナイことを言わなければ、最高の女の子なんだけどなぁ。


「わぁ、嬉しいわ。じゃあ、早速だけど、契約しましょ」

「契約? 何だ、MovieChには契約が必要なのか?」

「その前の話よ。私が設立したMovieChの動画投稿用の会社に社員として入ってもらうのよ!」


 何てこった。まさかこんなところで就活してしまうとは。


 あれ? ちょっと待った。社員契約なんてしてしまったら、俺は給料払いになるんじゃないのか? 給料は大体が固定給だ。それじゃぁ、100億クレジットなんて簡単にはたまらないのじゃないのか?


「なぁ。社員契約って言うけど、給料はどれくらいなんだ?」

「ん? 無いわよ、そんなの?」

「おい! ブラックを通り越して漆黒! 漆黒の企業じゃないか。そんな契約できるか!」

 

 あっぶねえ! なんて会社だ。世界が誇る(?)日本のブラック企業も裸足で逃げ出すイカれた契約だ。


 だが、美少女は頭を掻きながら反省の色なく俺に話し掛ける。何だよ、俺はまともな会社に入りたいんだ。こんな契約、まっぴらごめんだ。


「ちょっと、言葉が足りなかったわ。正しく言うと、動画の視聴数に応じたクレジットが入るの。だから、視聴者がいなかったら給料はゼロってことね。OK?」


 なるほど。固定給では無くいわゆる歩合制か。基本給が0なのはどうかしていると思うが……。しかし、現代の奴隷契約では無いと理解した俺は安堵のため息を吐いて、美少女に言葉を返す。


「なんだよ。最初からそう言ってくれれば良かったのに……」

「ははは、ごめんごめん」

「でもさ、広告収入の全てが俺に入る訳じゃないだろ?会社の取り分はどんなくらいなんだ?」

「うーん、そうね。ま、私の会社は動画投稿主単独ならば、取り分は10%、社員協力があるなら15%程度ね」

「うーん。多いかどうか分からんな」

「業界的に言えば、良心的よ。有名な動画投稿会社だと30、40%は当たり前なの。まあ、その分、手厚いサポートがあるんだけどね」

「ふーん。そういえば、お前の会社ってどれくらいの規模なんだ?」

「私がCEOで、もう一人CDOがいるだけね。ま、超小規模事業ね」

「そ、そうか…」


 思ったより小さい会社だった。まあ、それもそうか。目の前の美少女は年齢的にも俺と同じくらい。数百、数千の社員を抱える会社のトップとは思えない。

 

 かと言って、俺は選り好みできる立場ではない。ならば第一歩としてこの会社に入ることを検討しよう。まずは契約書を読んで……


 なに書いてるか分からん。


 文章の意味が分からんのではない。文字がわからんのだ。


「お、おい。これ、なんて書いてるんだ?」

「あ、第一条ね。これはねぇ……」

「一条? そんな文字に見えないんだけど」


 目の前の文字は、ミミズがのたくり回った体液の残滓にしか見えない。こんな文字見たことない。


 俺の一言に気づいたのか、美少女が“アッ“と小さな声を上げる。


「ありゃァ……ごめんね。キミの脳内チップだと音声翻訳は出来るけど、視覚情報からの翻訳は出来ないみたい」

「なんだよ。同じ翻訳機能じゃないのか?」

「翻訳機能自体はそうだけど、文字だと画像解析機能を挟み込むスイートする必要があるのよ。脳内チップが旧型だから、画像解析機能が無いみたい」

「旧型……最新型にしてくれなかったんだな」

「仕方がないわ。キミの脳細胞が急速に劣化していたから、最新型を取り寄せる時間が無かったの。それに最新型の脳内チップを使えば、1000万クレジットじゃ済まなかったわよ」

「ぐぅ……そうなのか」


 金の話をされると痛い。1000万クレジットでも心痛の材料なのに、これ以上の借金になっていたかもしれないと言われれば、諦めざるを得まい。


 だが、文字が読めないのはこれからの生活には不利益だ。なんとかならないだろうか。

 そう思っていると、美少女は何もない空間から眼鏡を取り出した。


「とりあえず、しばらくはこの翻訳グラスを使って」


 いきなり物質が出てきて少々おどろいた。四次元ポケット的な何かだろうか。俺の質問に美少女は“そのようなものだ“と素っ気なく返す。美少女にとっては当然な存在四次元ポケットだろうとも、俺には当然じゃないんだけどな。


 俺は美少女から眼鏡を受け取った。何の変哲も無いメガネだが、掛けることで契約書の文字が日本語に変換されていった。


「ほーん。便利な道具だなぁ」

「まぁ、今では誰も使わないけどね。みんなテクニウム化してるから、外部デバイスでの翻訳機なんて使わないんだけどね」

「よく分からん」


 俺は美少女のテクニウム意味不明な言葉を無視する。何やら意味がある言葉なのだろう。しかし、様々なことが起きすぎて、俺の頭はパンク寸前だ。これ以上、知らない単語を聞いても理解できない。


 それよりも俺は目の前の契約書に力を注ぐべきだ。契約書をじっくりと読み、頭に染み込ませる。この星は俺の知らない世界だ。不用意な契約で一生不利益を被る可能性があるかもしれない。こちらに脳のリソースを割くべきだ。


 そもそも、この世界のモラルが地球と同等かすら疑わしい。人を簡単に蘇生させたり、未知の生物との殺し合いの動画が人気とか言われたら、まともかどうか疑うに決まっている。

 

 俺は疑念の目を持って、契約書を一文一文を頭の中で整理し、問題が無いか反芻はんすうする。一枚、また一枚と読み解き、内容を頭に染みこませる。


 一通り精読した結果、気になる点はあるが、あからさまに不利益なことは書いてなかった。細則さいそく但書ただしがきはあるけど、書いてある内容を要約するとこうだ。


『動画から得られる収入の取り分は個人のみの動画は10%、支援ありで20%とする。ただし、人気度に応じて変更の余地あり』

『社員が生活できる福利厚生施設は会社で準備する』

『最低限の生命保険は会社負担で加入する』

『動画撮影に必要な最低限の装備は会社が支給する』

『死亡、重篤な障害、精神汚染、人体変化、異空間転移など生命に関する問題が発生した場合、会社から保証はしない』


 異常だ。……間違えた、以上だ。


 後になる程に嫌な内容になっている。特に最後はなんだ。ヤバすぎる。内容は理解できたけど、かなり不安になった。


「あの、これって契約したら即効果あるのか?」

「そうね。本当なら即正社員にしたいけど、まずは試用期間ね。あ、気を悪くしないでね。ほら、ここの細則さいそくに書いてあるでしょ。あれ? 少し残念だった?」


 細則さいそくの中身は知っている。あえて聞いてみた。もし悪意があるならば、俺を騙して嘘をつくかもしれないからだ。


 だが、この娘は正直に答えてくれた。信じるに値するかも知れない。……今のところは。


 それに試用期間なので、自分都合でいつでも辞めることもできると細則さいそくに書いてある。可逆的な契約なら、何かあっても取り返しが付く。逃げ道のありかを確信した俺は契約締結をすることにしたのであった。

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