これは詩だろうか?
いや、小説だろうか?
それともエッセイ、なんだろうか?
否、これはやはり小説なのに違いない!
文学作品の中には、その作家の強い個性と、独特な思想とが、読者の胸中に明確な作家像——キャラクターを形成していて、その作家のイメージが作品の構成要素の一部となっている、そういうタイプのものがある。太宰治を例に出すまでも無いと思う。
naka-motoo氏は、私見ではあるが明らかにこのタイプの作家だし、この「なさけなし」、初見の読者には意味不明かも知れないが、同氏の他の作品やエッセイを読んだことがある人にとって、この作品は強いストーリー性を有する「小説」なのだ。いや、「naka-motoo」氏そのものを描く小説の、第162話、というべきか?
(私小説、というのとは違う。作家「naka-motoo」氏というキャラクターそのものが実は虚構である、という可能性を僕は否定しない。だって、ドラマティックすぎる!読めば分かる!)
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世を救う読むべき小説は誰も読まない。
意味不明のこの駄文は野次馬のごとく群がり読まれる。
——「なさけなし」本文抜粋
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評価を拒み、
理解を拒み、
読むこと自体を拒むこの前代未聞の小説を、
僕は物書きのハシクレとして、その意地に賭けて評価したい。