第83話 商人家の娘

 小道に、くしが落ちている。どこかのオバチャンが落としたのだろう。


「なあ、櫛落ちてる」


 普通、落ちてない。少なくとも俺が生きてきた中で、道に櫛が落ちていた場面は記憶にない。


「それがどした」


 背中に張り付く娘は、それがあたかも日常的事象のように平然と答える。


「普通落ちてないと思うんだけど」


「落ちてる時もあるやろ」


「そうかな」


 言われればそうだが、もはや俺の中では、道に櫛が落ちている=田舎臭いという関係式が成り立ってしまった。もしここが都会なら何も気にならなかっただろう。でも、燻ぶった壁の家とか、ボロボロの空き家とか、そんなのしかない田舎を歩いているためだろう、櫛一本が退廃的に見える。


「おじさん、そこ左やない、右やで」


「え、すまん間違った」


「ボーッとしてどないしたん。本気で疲れた?」


「いや、疲れてない。気にするな」


 本当は今すぐ溶けてもおかしくないくらい疲れている。アスリートでもないし、それどころか普段は運動不足の留年野郎だ。九時間も歩いて、クライマックスに差し掛かって40㎏オーバーの重りを背負う。これで疲れないわけがない。


「さっきから微妙にまっ直ぐ進めてないで? ヤバかったら下りるからな?」


「お前ごときに心配されなくたって、俺は不屈の闘志があるから余裕だ」


「強がりやん、無理すなよ?」


「余裕と言った」


 なんて強がりなんだ自分は。

 そういえば、高梨たかなし六美りっみも強がっていた。



 もう昼だ、お天道様が真上にいらっしゃる。

 俺たちは、さらに小さい小道を進んでいる。中途半端に雑草が茂った畑の間を、縫うように敷設された一人用の小道。見える景色だけでだるくなる。


「はぁ、はぁ」


「めっちゃ疲れてるやん、大丈夫か?」


「よ、余裕」


「そうは見えんけどなぁ」


 そのとき。

 

 目の前に、見たこともないゴミ捨て場が現れた。


「うわ、何だあれ」

「おえっ」


 田舎娘さえも「おえっ」と言わせしめたゴミ捨て場。

 

 そこは、ゴミ集積所ではない。田んぼに水を引くための溝だ。

 でも、ただの溝ではなかった。


「なんでスタバのカップがあんなに捨てられてるんだ?」


「し、知らん……」


「お前ここ出身なんだろ? あれも日常的な光景なのか?」


「絶対違う……おえええっ」


 水は一滴も流れていない。代わりに枯れ草と、一袋のビニール袋と、百個くらいのスタバのコーヒー紙カップが打ち捨てられている。


「この地域の人間はスタバを憎んでいるようだな」


「ウチは憎んでないで。むしろ地域を汚した愚民が憎い」


「そ、そこまで」


「当たり前や。死刑や」


「そう…………かも?」


「かもやあらへん! 死刑や死刑!」


 背中でバタバタ暴れる田舎娘。今さっき心配してくれたのに、今は俺の疲労状態なんて微塵も気にしていない。


「ちょ、脚が痛い」


「え」


 筋肉痛が半端ない。足の裏にはズキズキとした謎の痛みが。


「やっぱり疲れてるやん。もう下りるからなウチ」


「だから余裕だって。下りなくていい」


「何強がってんねん。おじさんは雑魚っぽいキャラやから、もう頑張らんでええ。な? おじさんはよう頑張った。無理は禁物やで?」


 心配して言ってくれて本当にありがたい。なのに、猛烈に殴りたい。


「雑魚で悪かったな」


「あ、それは……いい意味で! いい意味で雑魚い。……り、理解してくれ!」


「できねえ!」


 またくだらない方向に傾いている。さっさとこいつを田舎臭い家に運んで、俺もそこで眠りたい。


(そういやこいつ、近汪おうみ商人の子孫とか言ってたな)


 それに、百坪の敷地を「小さい」などとほざいていた。


(こいつの実家って……)


 いやまさか、そんなはずは。だってこいつは可愛くもないし、田舎臭いし、とてもいいとこのお嬢様には見えない。対照的、対極的、相反そうはんしている。


(うわ。相反そうはんとか思っちまった。相反そうはん定理の問題解けなかったこと思い出しちまったわ)


 去年のテストで、相反そうはん定理を使う問題が解けなかった。それも留年した原因の一つだ。まあ、ごく一部なんだけど。


「おじさん顔色悪いで。耳が真っ白うなってる」


「……マジ?」


「もう見てられへん、下りるからな?」


 言うなり、田舎娘は背中から飛び降りる。


「大丈夫か?」


 覗き込む田舎娘。これが百合香ちゃんだったら、可愛い上目遣いになる体勢。が、こいつの場合は単なる目だ。


「……まあまあ、だ」


「どういうことやねん。そんなことより、ウチは疲れが取れた。次はウチの番や」


 刹那、田舎娘が路上でうんこ座りを決める。


「い、いきなりどうした」


「乗れ」


「乗る? 誰が」


「何言うてんねん、おじさんがウチの背中に乗るんや」


 外で、25歳の男が、JKに背負われている風景。

 人は絶対、怪しい目で見る。間違いない。


 ここは敢えて罪悪的なことを犯して、罰として田舎娘を背負うしかない。無駄に確固たる意思を見せているし、「乗らない」と言っても「乗れ」と言って聞かないだろうから。


「ちょっと待っててくれ。コーヒー飲んでから乗るから」


「コーヒー?」



 数分後。


「待たせたな」


 開けてない缶コーヒーを持って戻った俺。


「ここで飲むんか。溝に捨てたらあかんで」


「溝には捨てないさ。もっといい所に捨てる」


「?」


 いい感じでとぼけている。なんにも警戒心を抱いていない。これなら、瞬発的に避けられる可能性も低い。


(いや待て、田舎娘だ。田舎臭い俊敏さを発揮して、攻撃を避けるかもしれない)


 そうなればコーヒーを買った意味がなくなる。

 なにせ、俺は田舎娘の頭にコーヒーをぶちまけて、怒りを買い、罰として背負うという算段を考えているのだから。


「ちょっと、いいものをやる。目をつぶれ」


 む、と、警戒心をあらわにする田舎娘。少し後ろに退しりぞいた。


「変なおじさんの言うセリフやん。もともと変やけど」


「失礼な。変なのは今だけだ、さあ目をつぶれ」


「何するか言え。それで判断する」


 そう来たか。ここでバカ正直に「コーヒーをぶっかける」なんて言ったら作戦失敗だろうし、「コーヒーを飲むから」とか言っても「カッコ悪い顔やから気にするな」と言われるだろう。


 田舎娘は、何に弱いのか。弱点を攻めるなど、基本中の基本だ。しかも、徹底的に攻めて確実に背負う必要がある。これは、背負う背負われるの戦いなのだ。


「田舎娘、その体勢からこっち向け」


「は?」


 パシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャ


「な、なに撮ってるんや!」


「盗撮してほしいって言ってるじゃないかいつも」


「いきなりすぎる、しかも連写しおって」


「でも、初めて可愛く撮れたぞ」


 固まる田舎娘。それを見て勝ちを確信する俺。


「み、見せてくれ」


「ほらよ」


 俺のスマホを奪って、写真に釘づけになる。


「無防備にしゃがんだ女の子がこっちを向く瞬間だ。すごく可愛い」


「た……たし、かに」


「こんな可愛い瞬間は、百合香ちゃんにも沙夜にも訪れないと思う」


「そ、そん……なにか?」


 みるみる顔を赤らめる。もうこれは勝った。確定だ。


「よかったな田舎娘。これでお前も可愛くなった」


 頭を撫でる。百合香ちゃんのサラサラには及ばないものの、こいつの手や生足の硬さに比べたらずっと柔らかい触り心地。


「トオル君、ウチ可愛くなったで? 見ててな? 絶対ホレさすからな?」


 涙を流し始めた。


(どうしよう。うんこ座りした可愛くないJKを撮影しただけなのに)


 そんなことは言っていられない。次の攻撃だ。


「さあ田舎娘、記念に俺の背中に乗れ。お姫様に成り上がった記念に」


「よ、よし!」


 俺の肩に手をかける。


「やったあぁぁ! ウチは可愛いぃー!」


 背中をよじ登りながら、むさ苦しいオタケビを上げる。


(うるっせぇ)


 何はともあれ、JKに背負われるという屈辱を脱した。




 道は、どんどん田舎臭くなってゆく。


「田んぼだ」


「田んぼがどうかしたか?」


「田舎臭い」


 広い田んぼじゃない。狭くて、周りに古めかしい民家が立ち並んでいる。山もある。


「田舎が嫌いか?」


「嫌いじゃないけど、お前の住んでる田舎って考えたら風景が退廃的に見える」


「ひどすぎやん。可愛い女の子に向こうて」


 まだ可愛いと思っているらしい。一時の喜びに浸っているようだから、放置しておいたほうが幸せなのかもしれない。


「それにしても遠いな。まだなのか? お前の家」


「そこをまっすぐ行って、左に曲がって、右に曲がって、もう一回右に曲がったら着く」


「遠いよ……」


 正直、腕がめっちゃ痛い。強がって背負ってきたツケが回ってきた。でも下ろしたくない。下ろしたら、俺が背負われるから。


「どんどん田舎が深まってるけど、お前の家ってそんなにデカいのか?」


「まあな。部屋めっちゃ余ってるし」


 優越感の混じった小声で言う。


「何坪?」


「せやからお楽しみて」


「じらすなよ、気持ち悪い」


「田舎田舎言うからや。田舎をバカにして」


「田舎全般に対してはバカにしてない」


 間接的にこの田舎娘をバカにしている。けど、言ったら殴られるから言わない。


「つまり、ウチをバカにしてると」


「……」


「バカにできるほど仲が良いと」


「そう、それだ!」


「やっぱりバカにしてるやん!」


 バシッ


「いって……。痛い! 仲が良いって言ったんだから喜ぶべきだ!」


「喜んでるから殴った。殴れるほど仲が良いんや」


「親しき中にも礼儀あり、だろ?」


「どの口が言うねん」


 またくだらない方向に傾いている。俺と田舎娘、両方ともくだらない人間として生きているようだ。どうしよう。







「そこの家。門開いてるから」


 これ以上くだらなくならないようにするため、俺は無言を貫いた。田舎娘が二回くらい喋りかけてきたが、フル無視した。意図を把握してくれたのか、そこから田舎娘も無言になった。閉ざされた両者の口が開いたのは、とうとう目的地、田舎娘の祖母の家に到着したから…………


「うそだろ……」


 到着した、のだろうか。


「おはっ⁉」


「なんやその声。入りしなやのに」


「本当にここ……なのか?」


「そや。デカいやろ?」


 デカい。くそデカい。デカすぎてガン見してしまう。手の力も抜け、


「あだっ!」


 俺はその広大な屋敷を前に、棒立ちするしかなかった。


「おじさんっ。下ろす時は言うてくれ! 尻打ったやん!」


 完全に、文化財レベルの歴史的建造物だったのだ。

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