第82話 田舎娘の地元

「ちょ、もう無理や……」


 こんにゃくのようにフラフラしながら、田舎娘はなんとか歩いている。


「頑張れ、ここまで来たんだから」


「し、死ぬぅ…………」


 バタッ


「えっ」


 足がふらついた瞬間、うつ伏せに倒れた。まさか、本当に倒れるとは。


 日は空高いところから俺たちの体力を奪い、二人ともヘロヘロになっている。今は午前十一時四十三分、予定よりかなり遅れている。


 それでも歩いた。八時間、いや九時間くらいかけて。


「しっかりしろ、あとちょっとだろ?」


「もう、ウチ無理や。歩道の上で焼き肉になる」


 声がかすれている。ちゃんと水分補給もしたけど、さすがに九時間はキツかったか。


「死ぬな! お前にはまだまだやることがあるだろ?」


「やること……?」


 朦朧とした目で見つめられる。


「トオル君」


 片思いの相手を思い出させれば、恋の力によってエネルギーを回復するはず。


「トオル君……」


「トオル君にもう一回告白するんだろ? OKもらうんだろ? そのために神様に願っただろ? 今までの想いを無駄にするのか?」


 天日干しされた魚のように歩道に横たわっていた田舎娘が、もそもそと蠢動しゅんどうを始める。


「トオル君」


「田舎娘!」


 宇宙人のような不気味な動きでムクムク起き上がる。


「トオル君!」


 ついに立ち上がった! 復活だ。でも、白目をむいている。


「ダメだ、お前はもう死んでいる!」


 ただちに屍を回収する俺。そのまま背中に乗せ、おんぶした状態で進む。


(苦しい……)


 これが修行の道か。


 だが俺は諦めない。一浪三留ナメんな、俺はこの程度の苦よりも遥かに辛いみちを歩んできたんだ。


(負けネェ)


 軽いはずの田舎娘が、今は地球より重い。が、俺は地球程度ラクに背負える。地球より重い、田舎娘の片思いも。


(いたっ)


 ドサッ




「たたた」


 コンクリートの隆起につまづいた。


「おい。おい」


 屍をゆする。


「ふ」


 意味不明な吐息だ。手持ちの水はぬるいから、あそこの自販機で目の覚めるような冷たい水を買うとしよう。



 ばしゃばしゃばしゃ。


「ふわはっ」


 ばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃ…………


「ぶはっ! や、やめ!」


「お、生き返った」


 500㎖のいろ〇すを全部顔にかけ流した結果、蘇生した。


「何すんねん、ぶはっ! げっほげほ」


「お前がずっと死んでたから、蘇らせてやったんだ」


「あ、ああ。それはおおきに」


 こっぴどく怒られると覚悟してたのに、小首を前にかしげるお礼とともに感謝された。俺の覚悟は無意味だった。


「ふぅ。体中が涼しいわ」


「生き返って何よりだ。あ、そうだ。三タス八は?」


「十一」


「年齢は?」


「十七」


「フられた相手の名前は?」


「…………トオル君」


「よし、脳に異常なし。歩けるか?」


 なぜだろう。田舎娘の目は笑っているけど、眉はひくひく振動している。


「歩けんなあ。めちゃくちゃショックすぎて」


 ミニ海坊主のようにぬうっと立ち上がった田舎娘は、ゆらゆらとこっちに向かってくる。


「馬になれ」


「は?」


「ウチの馬になれ」


「嫌だよ、百合香ちゃんならいいけど」


「百合香じゃのうてすまんな。けどおじさんは拷問中やから、命令されたら大人しゅう従う義務がある」


 脅しているようだが、身長が低いへとへとJKだ。迫力がない。


 また倒れられても困るし、水をかけるにもお金がかかる。ここは、背負ったほうが何かといいだろう。


「分かったよ」



 *



「で、この田舎にお前の実家があるわけか」


 背負った荷物むすめに話しかける。


「そうやけど、田舎田舎うるさいな」


「だって田舎だろ」


 木材でできた家の壁は、いぶされたような黒みを帯びている。塗装がハゲて錆びた看板、窓を覆い隠すすすけたすだれ。誰も通ってない小道。


「この辺りにあるのか? お前の家」


「ちゃう、ウチの家は大きいんや」


「大きいってどのくらいだよ」


「それはお楽しみや」


 辺りを見回すと、それなりの大きさの一軒家を見つけた。新しくできたっぽい家で、壁も綺麗だ。


「あれか?」


「あれはちっちゃいやん」


「百坪は超えてるように見えるぞ。普通にでかいんじゃないか?」


 ちなみに俺の住んでいるアパートの107号室は、前に興味本位でGoogly mapで調べたら七坪だった。


「おじさんは平民やもんなぁ……」


「下ろすぞ」


「嘘や嘘、下ろさんとって」


 肩にがしっとつかまって、俺に振り下ろされないようにする田舎娘。こいつを焦らせることに快感を覚えている自分がいる。


「それより、だいぶ回復してるんじゃないか? そろそろ自力で歩いたらどうだ」


「おじさんの背中、なかなか乗り心地ええから」


 嘘くさく笑って、テキトウに俺を褒める。


「あとどれくらい歩けば着くんだ?」


「二十分くらい」


 地味に遠い。あとちょっとで着くと分かった途端、たった0.33時間を長く感じるなんて。


「おんぶしてると肛門が開く。その結果、裂けやすくなる」


「今のところ平気や。もし裂けそうになったら言う」


「……」


 下りてほしい。俺がやったとはいえ体がびしゃびしゃだし、生足の触り心地がよくない。そんなに硬くはないが、百合香ちゃんと比べるとクオリティが低い。百合香ちゃんの生足をふわふわ大福もちに例えると、こいつのは百均のモチ


「背負ってると、お前の……」


 お前の胸がぺったんこってことがバレバレだな。と、言おうと思った。けど、こいつだって一応女だ。そういうことを言われると、本当に傷つくのかもしれない。肛門が裂けそうになったら男に報告できるガサツな女も、男にフられたら傷心してしまう心の弱さを持っている。


「なんや?」


「お前の体温が暑苦しい」


「今は三十度超えてると思う。ウチも暑いけど頑張るから、おじさんもファイトや。ごくごくごくごく」


 言ったそばから水を飲み始めやがって。俺が何を考えてたかなんて、こいつには知る由もないんだろう。密着しているとしても、伝わるのは暑苦しさだけ。

 密着したことがないであろうトオル君には、こいつの何が伝わったんだろう。きっと、何も伝わっていない。好きっていう気持ちなんて、告白した後でさえ伝わってないんじゃないだろうか。


 なんだか田舎娘がかわいそうになってきた。可愛さを持つ者、持たない者がいる世界。悲しくも田舎娘は、後者に属してしまった。


 そういえば、百合香ちゃんも。自信を持つ者、持たない者がいる中で、持たない側に属してしまっている。俺もそっち側だけど、ゴミ捨て場に座るほどではない。そう考えたら百合香ちゃんも、かわいそうな人になる。


 沙夜は……知らない。もう少し情報が必要だ。


 大学のやつは、マジでどうでもいい。それ以外の他人も。好きの反対は無関心と言うが、かわいそうの反対は何だろうか。無関心、なのだろうか。そのことにさえ関心が無い。人間なんて、関わりを持った人しか人間と見なせないんだ。それ以外の見知らぬ人間は「物」だ。それを認めると支障があるから認めないだけで、実際は人なんて……


「ゲホッゲホッ」


「え、どした?」


「気にするな、唾が器官に入りそうになっただけだ」


 危うく、くだらない思考に没入するところだった。


「ウチ重い?」「いや軽い。まかり間違ってもダイエットしちゃいけない軽さだ」

「よしっ、女の子らしいっ」「軽いだけだ。軽い女だからトオル君にフられたのかもな」「ウチは軽うない。そういう意味で言うたら、重いかもしれへん」「そうなのか?」「だって、フられても好きなんやで? おもない?」「重いっていうか、しつこい?」「うっ」


 あ、傷つけてしまった。自爆だから俺は悪くないけど。


「そこ左斜め前に曲がってな?」「そこってどこだ」「あそこの角」「あそこの角は左斜め前しか道なくないか?」「左斜め後ろに曲がってるんや。絶対設計おかしい思うけど、ウチが幼いころから直ってへん」「そうか」


 おんぶされ、しながら、こんなくだらない会話をして歩く今。俺はこの田舎娘と、百合香ちゃんと、沙夜は、「物」にしたくない。彼女らを知り合いの変人、お嫁さん、知り合いの変人に付きまとうやつ、そういう関係になってほしい。

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