第77話 傷心な田舎娘

「トオル君にフられた……」


 地面に伏す田舎娘が、謎の発言をした。俺は一体、この人間が何を言っているのか理解できない。


「トオル君に振られたって、一発ギャグでも強要されたのか?」


 刹那、とんでもない角速度で首を回転させた田舎娘。俯いた格好から、俺をギヌロ、と睨み付ける。


「本気か?」


「ほ、本気っていうか、そうとしか捉えられないだろ」


「……」


 俺、何か変なこと言ったのだろうか。一発ギャグを振られてスベって、それで落ち込んでると考えるのが自然だ。長く仙怠せんたいに住んでたから、関西のノリを忘却してスベったんだろう。


「そんな落ち込まなくていい。すぐにカンは戻る」


「シネ」


「いやなんでそんなこと言われないといけないんだよ。全く理解できないぞ。お前がシ……」


 っと、ここでこいつの名誉尊厳を傷つけるのはまずい。何としてもこいつの家に泊まらせてもらわないと、またネカフェで一夜を明かすことになる。最悪、このベンチで野宿だ。

 お堀のベンチで野宿とか、絶対人に好奇の目で見られる。飛固寝ひこね城は観光名所。平日とはいえ、楽しい気分になっている観光客は通る。彼らの話のネタになることは避けられない。そんなの最悪だ。


「おじさん、本気でウチをバカにしてるようやな。ちょっと拷問されてくれん?」


「拷問だと? お前が? ハッ。小っちゃい小娘ごときが男相手に何言ってんだ」


 田舎娘は明らかに調子に乗っている。というか、初めて会ったときから調子に乗っていた。そもそも俺のことを「おじさん」って呼んでいる時点で調子に乗っている。


「おじさん、ウチのこと、女として好きやないよな?」


「ったりまえだろ。むしろ大嫌い、最低レベルだ。百合香ちゃんの足元、いや足の爪にさえ及ばない」


 刹那、強化されたグーで顔面を殴られる俺。


「いって……」


 ここで反撃してはいけない。理由はすでに述べた通りだ。


 刹那、二度目の殴打を食らう。


「いった! 痛い!」


 拳を固く握って、中指の第一関節で頬を抉った! 危険すぎる!


「すまんなおじさん。ちょっと確認するだけやってんけど、ついムカついて」


「クソが……」


 ここで反逆に出たらいけない。気分を害して、泊めてくれない可能性がさらに高まる。


「明日、トオル君をおばあちゃんに紹介することになってんやけど、今日フられたせいでそれも叶わんなった。そこで、おじさんを使うことを思いついた」


「俺を使う……だと? いって!」


 喋るだけで口が痛いんだが。


「まだおばあちゃんはトオル君の顔を知らへんから、おじさんをトオル君として紹介するんや。そしたらおばあちゃん、傷つかずに済むやろ」


 だんだん分かってきた。つまりこいつは男に告白して、フられたんだ。こんなガサツな田舎娘に恋愛対象がいたとか、起こり得る事象とは到底思えない。が、まあ話を聞こうじゃないか。


「それが拷問だっていうのか」


「そや」


 俺が、見ず知らずの男の役をして、しかもそいつは、このムカつく田舎娘のカレシ。田舎娘のカレシとして親族に紹介される。腹立つ小娘とそのまま付き合うことになって、ついには結婚し、一生こいつと暮らす。

 自動的に百合香ちゃんと引き離されて、一生会えなくなって、成長した百合香ちゃんとセックスすることも叶わないまま死ぬ。


「考えようによっては拷問だな。それと、俺がその拷問を受けるに値する見返りはあるんだろうな。まさか何も見返りなしで言ったのか? 違うよな? あ?」


 俺は容赦なく田舎娘に詰め寄る。後退する田舎娘。


「お、落ち着きなはれ。おじさん宿ないんやろ? 泊めてやるさかい。それでどうや? 野宿よりはマシや思う! お願いや、拷問受けてくれへんか?」


 刑罰を懇願するって何事だよ。あと、泊めてくれるだけじゃ物足りない。


「物足りない。拷問受ける代わりにもっと見返りを提示しろ!」


「旨いメシ、広い畳、きれいな空気、鮎の佃煮、鮎の塩焼き、あと、2万円の信楽焼の皿をやる。ちょっとデカいけど、なんかの時に売ったらええ。あ、おばあちゃんがもういらん言うてた時計あったな。Rolexのやつや。それもやる。あとは、ええと……きんもあるで!」


 信じられないほどのカネモじゃねえか! 俺にカネモとか言っといて、どんだけだよこいつ。


「本当か? 明らかな嘘に聞こえるんだが?」


「あ、きんっていうのは嘘やな、すまん。ホントはええと、アレ。白金はっきんいうやつ。おばあちゃんがある言うてたからある思うで」


 そこだけが嘘だとしたら、こいつは真のカネモだ。いったい親はどんな仕事をしているんだろう。


「親はどんな仕事をしてるんだ?」


「そもそもウチも知らん。教えてくれんねん」


 マジか。ヤバい仕事のニオイしかしないんだが……。


「有名な大企業って聞いたことはあるけど、具体的な社名も業種も教えてくれん。理由聞いたら逃げよるねん。車で」


 家から脱出するとだと? 逃げるって、家から逃げるって意味かよ。


「そんなことよりおじさん、トオル君のフリしてくれるか? おばあちゃんが傷つく顔見たないねん、な? この通り」


 土下座を決める。確かに土下座だが、さっき金網でうつ伏せになっていた娘だ。単に地面のニオイが好きなだけなんじゃないか? 妙にそんな気がする。


 全く納得いかないとはいえ、宿の確保ができた。拷問抜きで考えると、かなり好条件だ。カネを一銭も払わなくていいどころか、売ればカネになるようなものをくれるっていうんだから。


 となると、拷問をいかにラクにかいくぐるかが問題になってくる。最小限の苦で済むように、あらゆる手段を講じねばならないだろう。


「で、お前の家ってどこなんだ」


「そ、それは」


「今更何どもってるんだ。さっさと教えろ」


 言いずらそうに、口をもごもごさせている。イナゴのカスが歯にはさまっているのだろうか。


「電車とバスで二時間ぐらいやったから……」


「……」


 なん…………だと?


「今、深夜だぞ。もうすぐ深夜三時だ」


「た、タクシー……」


「カネ持ってんのか? カネモ」


「千円あるで!」


 ゴンッ


 誰もいない闇夜の公園に、鈍い音が響く。


「いった! 殴らんでもええやん」


 俺が田舎娘の脳天を拳で破壊した音だ。


「ホンマに痛い、さすってくれ、割れた割れた!」


 自分で脳天をさすっている。その上で俺に要求するとは、調子に乗っている。


「と、徒歩やったらくらいやと思うで。アハハァー…………」


「……」


 何、笑ってやがんだこのガキ。


「仕方ないやんけ! う、ウチ、ほんまに落ち込んでたんやから! 思わず遠出しとうなる気持ち分かるやろ? 分かってくれ! ウチは落ち込んでたんやぁぁぁ!」


 ヤケクソに絶叫する田舎娘。その情けない大口を見つめる俺。


 くすんだ街灯の光が悲しい。

 


 結局、ネカフェに行くしかないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る