第30話 思いもよらぬ、2度の訪問客
顔面は、赤熱した鉄を今もなお接触させられているように痛む。
そんな夜。
「ああ、痛い、あーくっそいてえ!」
イライラしつつ、PCでネコの動画を見ている。
そんな夜(PM8:04)。
「いてえ、いてえ。……かわええ」
おさんぽ三毛猫が強烈に甘えてくる動画。鳴き声が甘ったるくてかわいい。ツメとぎもかわいい。木の根元をクンクンするのかぁいい。
「あ、膝乗った」
膝乗り三毛猫、かっわええ…………
「って、しゃべるだけで痛えッ」
何本も何本もネコ動画を見ているが、顔面が痛いせいでイライラが癒えない。
「よし、この『おはようございますを言いに来るネコ』ってのを見よう」
胴体と右の脚が黒、胸と口元は白、頭と耳はやっぱり黒、そんなネコ。どこにでもいそうなネコなのに、にゃおんにゃおんと鳴いてかわいい。黒々とした瞳孔が大きく開いてるのもかわいい。
「かわ……ッ! いった! いってぇー……」
赤熱した鉄棒を口内に激しく突っ込まれるような痛覚が、ネコさんのかわいさを阻害する。
「くっそあの田舎娘、くっそ」
JKを殴れない日本がウザい。隣の一軒家の
ピンポーン
「誰だこんな時間に」
痛む頬を押さえながら、ヨタヨタと玄関に向かう。
ガチャッ
「夜分遅くに失礼いたします。わたくしエホビネスの会の者でございます。神、イヌズシムチさまはいつもあなたをお見守りになっておられ……」
「あ、結構です」
「結構、でございますか? ご入会ありがとうございます! それではでございますね、ここの、この空欄にでございますね、捺印をですねお願い致します」
「違う。帰れクソババア」
バァン!
「ったく、イカれた宗教勧誘かよ。最低最悪じゃねえか。いって!」
せっかくネコ動画で癒されてつつあった顔面が、また痛くなったじゃねえか!
「クソ! いって! クッソ!! いてえええええ!!」
しゃべるたび痛くなる。痛いから叫ぶ。叫ぶから激痛が走る。……
ピーンポーン
「オラァ誰だゴルアアアアアアアアアアアアアアアアア! いでええええええええええええええええええええええ、いてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……」
マジで誰だよ。もう痛すぎて目閉じてるから、誰かも分かんねえよ!
「帰れ! 帰れ! 痛いから帰れ! いでえっ! お願いします帰ってくださいっでえええ!」
俺は何語をしゃべっているんだ? これじゃ原始人と間違われる。あるいはノイローゼと間違われる。警察呼ばれて退去させられる。その場合、別の意味で痛みが伴う。
「そ……そんな…………」
「は? 誰? いって……」
いったい誰が訪問して来たんだろう。それくらい確認しとくか。
ということで薄目を開け…………
「ゆっ……」
「私、私お兄さんに嫌われてたんだ……。やっぱり、ゴミ捨て場の女なんて……」
百合香ちゃんが立っていた。
メイド服で。
「百合香ちゃんどしたの、そのカッコ……」
「嫌われてた、お兄さんに嫌われてた…………ふええぇん…………」
「いやいやその前に……」
まっ白なエプロンドレス。袖や、胸元の裾にひらひらフリルがついている。丈の長いエプロンドレスの足元に目を移せば、そこにも比較的大きめのフリルがあしらわれている。腰あたりからぴらっと伸びている細い白布は、後ろで結んだ紐だろう。
こげ茶色のセミロングにちゃかっと掛かったひだひだのカチューシャは、パスタの一種、ファルファッレが横一列に並んだよう。色は純白。レース生地で、桜の形をした飾り穴が開けられ、カチューシャのアーチに沿って並んでいる。
「どうして最初から嫌いって言ってくれなかったんですか? それなら傷つかなかったのに!」
奥に白い光の円が浮かんだ、コバルトブルーの瞳。俺を凝視し、詰め寄る。水晶の破片のように輝き散った、涙の
いつものようにふんわり香るオレンジの匂いが脳みそを突き刺し、
「お兄さんのバカ! 今まで何のために私は!」
とどめの一撃は、左右にぴよんと出た、
ねこみみ。
「俺は百合香ちゃんが大好きだあぁ!」
神様仏様イヌズシムチ様、我に幸福をもたらしてくれてありがとうございます!
「え……?」
「はっ」
何を言ってるんだ俺は。
「今なんて……」
「ええっと、だな」
「私のこと、お兄さん……」
涙は世界に忘れ去られたように気化し、希望の光に満ちあふれた輝く瞳を
「ううっ」
「はっきり言ってくださいお兄さん、私のこと好きなんですか? 大好きなんですか?」
「うぐっ。いてっ」
何と答えればいい。正直に答えればそれが正解なのか? なんか、法律やら条令やらが頭の中を駆け巡っているのだが?
俺の脳みそショートをよそに、期待と不安が入り交ざったような瞳を向け続ける百合香ちゃんは、
「ねえどっち?」
ねこみみが生えた頭を、こくんと右にかしげた。
「俺は百合香ちゃんのことが……」
「はい……」
緊張しているのか、俺の腕を握りしめている百合香ちゃん。今すぐその緊張を解くからな。
「死ぬほど好きだ」
「……」
俺の腕から、締め付ける
「百合香ちゃん、しっかりして!」
ここで死なれては困る! 俺の死とは比較にならないぞ。
「お兄さん」
小さな体躯を起こす。柔らかいエプロンドレスの生地が手に触れる。
何もかもが幸せだと言わんばかりの瞳は、死ぬ直前を想起させる。
「私、お兄さんの傷を癒そうと思って、ドンキホープで買ってきたんです。でも、逆に私が癒されてしまいました。もう、死んでもいいくらいに」
「ダメだ、死んだら俺も死ぬ、百合香ちゃん可愛いよ」
「ほ、本当に? お兄さん」
「もちろんだ、だから死なないで。それに、何か用があって来たんじゃないのか? わざわざこんな格好してるってことは」
「……そう、でした」
そっと、百合香ちゃんを起こす。軟体動物のように力が抜けたねこみみメイド百合香ちゃんをお姫様抱っこして、俺の家に運び込む。
なんていい匂いなんだ、この美少女メイドさんは。
「お兄さん、ありがとうございます」
「気にしなくていい。それで、何をしに来たんだ?」
「お兄さんに、インスタントじゃない味噌汁を作ってあげたくて。味噌とねぎ、それから豆腐を買ってきました」
そうは言うものの、百合香ちゃんは何も持っていない。
「でもそれより、私の可愛い姿を見て欲しくて」
俺の腕の中でお姫様抱っこされた美少女JKが、目を逸らす。誰に殴られたわけでもないのに、すべすべのほっぺたは、赤*くて。(*補足:赤熱した鉄のような痛々しいものではない。コバルト(Ⅱ)イオンのような、とても美麗で繊細な紅である。)
「それで先に来たってことか?」
「はい。お兄さんに『帰れ』って言われないか、すごく、心配でした」
なんて卑劣な言動を発してしまったんだ俺は。こんな健気な子に。
俺は百合香ちゃんを床に下ろして立たせ、小さな体躯をぎゅっと抱きしめる。
「はわっ⁉」
「ごめん百合香ちゃん。俺は、殴られた顔面が痛いだけでバカみたいにイラついてたんだ。さっき変な宗教の人が訪ねてきて、もっとイラついてたとこだったんだ。ごめんね、百合香ちゃんはなんにも悪くない、それどころか天使だ」
「てて、天使⁉」
「ああ。可愛い」
抱きしめたまま、百合香ちゃんの細くてサラサラな髪の毛を撫でる。
「お兄さん…………」
百合香ちゃんも俺を抱きしめてくれる。あったかい、美少女JKってのは。
一通り抱きしめ合ったところで、一つ尋ねてみた。
「ところで百合香ちゃん、そのメイド服はどこで買ったって?」
「ドンキホープです」
「ああ、あの有名なメイド服専門店か。質の良い繊維で有名だよな」
「え? 税金が免除される、殿堂オブ激や……むぎゅっ⁉」
百合香ちゃんの口を容赦なく塞ぐ。
「実はあそこはメイド服専門店なんだ。メイド服の殿堂なんだよ。知らなかっただろ? 知らなかったって言おう」
眉をひそめて、笑顔で言う。
「ふゅん、ふゅぅぅん!」
口を塞がれたまま頷く百合香ちゃん。方法はさておき、頷いてくれた。即刻手を放す。
「何するんですかお兄さん! 苦しかったです!」
眉尻を立てて怒る、ねこみみメイド百合香ちゃん。
「ごめんよ。大好き」
また、細くて柔らかい髪の毛を優しく、たっぷりと、なでなでしてあげる。
「ふ…………ふにゃぁぁ」
ほっぺを桃色に染めて、俺に寄りかかる百合香ちゃん。恥ずかしくなったのか、俺の胸に顔をすりすりしている。
その際、真上からねこみみが見れた。ニセモノではなく、ちゃんと生えていた。
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