第29話 俺の頬

「お…………お兄さん…………」


 俺の腕をむんずと掴んで、震えている。


「あの人…………バッタ…………」


「むぐむぐむぐ。ごくっ。むぐむぐむぐ。しゃくしゃくしゃく。じゃりっ」


 何個食べているんだろう。田舎娘は、食欲旺盛だ。


「あんたらも突っ立っとらんで、これ食うたら? むぐむぐむぐ」


 ぶるぶる震えている百合香ちゃんに、質問してみよう。


「あれ食べる?」


「嫌ッ」


 だろうな。俺も抵抗がある。


「お兄さん、もうほっぺた痛くないですか? 水で冷やすので我慢してください」


 ぴとん。


「ふええ、みるーッ」


「ごめんなさいお兄さん」


「なんで謝るんだよ、百合香ちゃんが殴ったわけじゃないんだろ? ったく誰だ、俺の左頬を殴った男は」


 赤熱した鉄ほどの熱を持つ威力でぶったたかれたんだ。どんな威力だ。きっと巨漢で、筋骨隆々な鉄人だ。あるいはプロボクサー、あるいはプロレスラー。

 素手じゃかなわないから、毒で応戦しようか。


「そ、その……」

「どうした百合香ちゃん」


 ちらちらと俺を見つつ、地面を見る。かと思うと、ちらちらと俺の後方を見ている。そしてまた地面を見る。俺と俺の後方を交互に見て、もどかしそうにスカートを握っている。


「何が『百合香ちゃん』やねん。ちゃん付け、気持ち悪いで」


「うるさいイナゴ女」


「そのイナゴ女に恩があるんやで、おじさん」


「は? 何意味わからないこと言ってるんだ」


 むぐむぐとイナゴの佃煮を食べながら、激しく腕を振る。いやに速度があって、野性味がにじみ出ている。ただでさえ川岸の砂地で虫を食べる女だ、荒っぽくて当然だろう。まるでちっこい原始人だ。


「せやから、ウチが蘇生させたねん、バシッとな」


 ぶんぶん右腕を振り続け、しかし器用にも左腕でイナゴの佃煮を口に運び続けている。右手で箸を持てないから、左手で直接イナゴをひょいぱくしている。


「ええ音やったで。ま、おじさん起きんかったけど。十回くらい叩いたねんけど全然起きひんから、もうええわ思たんや。むぐむぐ」


 なるほど。


「ありがとう。君、名前は」


「今更教えるかいな」


「そうか、なら川に突き落とすまでだ」


「やれるもんならやってみい。逮捕されるで」


 動じず、コミケで使うようなちっちゃい椅子に腰かけたまま食べ続ける田舎娘。


 はっきり言って、どうすることもできない。JKを殴ることも川に突き落とすこともできない。当たり前だ。

 でもムカつく。蘇生させてもらったとはいえ、俺がぶたれたことで百合香ちゃんが心配したのだ。つまり田舎娘が百合香ちゃんを心配させたということ。


「あのさ」


「なんやねん」


「お前をどうにかして懲らしめたいんだが、どうすればいいと思う」


 田舎娘はぽかんとして、こっちを見た。


「それ、ウチに言う? ウチが言うと思う?」


「思わない。けど、どうしてもお前を懲らしめたい」


 無理か、と思ったが、目を天に向けて考える仕草を見せてくれた。


「盗撮してもええで。どんなポーズをお望みや? ピースか? 開脚か?」


「願望ダダモレだな。まあいい、ピースで」


「開脚じゃないんかい。まあええか、盗撮してもらえるし」


 俺が以前こいつを盗撮したとき、可愛くないと呟いたのがバレた。それ以来、俺に可愛いと認定されたいと思っているんだろう。そんな日は永久に来ないが。


「イェーイっ」


 田舎娘は背中を反って、右の手の甲を頭に乗せ、にっと笑ってピースした。ダークグレーの瞳をカメラ目線にして、笑顔重視の白い歯と上昇気味の口角。川面に反射する鮮やかな夕日が顔を照らす。


 ただ…………


「百合香ちゃん、この写真と同じポーズ取ってくれる?」


 頬を赤く染める百合香ちゃん。


「わ、私を盗撮するんですか?」


 後ずさらないでっ。すごく深い傷がついたよ。


「違う、可愛い百合香ちゃんを写真に収めたいんだ」


「お、お兄さんそれって、私と結婚してくれるってことですか?」


 どうしてそこまで飛躍するのだろう。すでに目がうるうるして、感動の涙を必死でこらえている。


「お兄さんと結婚したい、お兄さんと円満な家庭を築きたい、お兄さんにインスタントじゃない美味しい味噌汁作ってあげたい、お兄さんに……」


「百合香ちゃん、ポーズポーズ」


「は、はいっ。 むゅっ」


 百合香ちゃんは、キス顔をした。目を閉じ、瞼がかすかにふるえ、とがらせた唇を俺に差し出して。


 カシャッ


「……可愛い」



「でぇいアホか! のろけは川底でやっとけ!」


「す、すまない」「ごご、ごめんなさい…………」


 百合香ちゃんは謝らなくていいのに。


「で、ウチは可愛いか可愛くないか、どっちや」

「可愛くない」

「そうか。それなら」


 てくてくと歩み寄ってきた田舎娘。ちっちゃいくせに、生意気な目を向けて。まあ、百合香ちゃんのほうが若干こいつより背が低いが。


「右向け右」


 こいつに服従なんて嫌だ。眉をひそめて左を向く。


「ま、それでもええか。ほないくで」


「妙なことはしな……」


 


 ボカッ



 の頬を殴られた。


 

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