第19話 どうしたの百合香ちゃん

 五羽の烏が目の前を歩いている。そのうち一つが、わらっているような表情で俺たちを見つめている。


「百合香ちゃん、こんにちは」

「こんにちはお兄さん……」


 自転車を端っこに駐輪して、ゴミ捨て場に座っている。汚いから俺は尻を付いていないが、百合香ちゃんはべったり尻を付けて体育座りしている。肩を落として、目線を下げて。

 手にはお弁当。


「お弁当、美味しそうじゃないか。玉子焼きは綺麗な黄色だし、コロッケの揚げ具合もいい」

「全部冷凍食品です。10分でできました……」


 ひだのあるスカートが下に伸び、地面に付いている。運悪くそこに、白い鳥のフンが。不幸中の幸いか、フンは乾燥している。

 烏が増え、ギャーギャーやかましくなってきた。


「……」

「……」


『どうしてゴミ捨て場に座っているんだ?』

 

 今すぐにでも質問したいのに、言葉は喉を出ない。

 沈んだ表情は、青空とは対照的に暗い。街に爽やかな風が吹き抜ける中、ゴミ捨て場には悪臭が漂う。人々が右に左に行きかう中、俺と百合香ちゃんは低い目線で止まっている。


「……百合香ちゃんはどの教科が得意なんだ? 今更だけど」

「化学です……」

「そうか。俺も得意なんだよ、化学」

「テストの最高点が化学でした。49点でした。……」

「へぇ…………」


 ふわり。と、こげ茶色のセミロングヘアが風に揺れる。水色のスカーフも。


 これが、本当にあの百合香ちゃんなのだろうか。懐いた猫みたいにくっついてきたあの子が、今は会話の一つもおぼつかない。


「あ、俺はストーカーじゃないからな? この辺の高校って二十五高と右原みぎはら女子しかないからさ。二十五高はスカーフが赤だったから、消去法で」

「分かりました……」

「……」


 なんとかならないものだろうか。まずはここから離れてもらいたい。そのあと、いつもの元気な百合香ちゃんと話したい。


 その時。


「あら、まだいらしてよ? むさい男が横に加わって」「最明院さいみょういんさま、見てはなりません、目が腐ります」「そうでございます」


 金髪くるくる熊本ラーメンヘアだ。もう食べ終わったのか、食い意地が張ってやがる。


 彼女はしゃがみこみ、俺に見向きもせず、百合香ちゃんの真正面に対峙。百合香ちゃんの目は開き、こわばった表情で、体を後退させる。


「や、め……」


 背中が壁に付いた、と同時に。

 金髪くるくるヘアが、藪から棒に黒いむちを取り出す。


「弱弱しくして、男に慰めてもらおうってんですの? 甘いですわよ!」


 ビシッ。 ビシッ。


「な!」


 悪魔のような鞭が、百合香ちゃんの首めがけて勢いよく振られた。


「お前何やってんだ!」


 とっさに百合香ちゃんに覆いかぶさって、ガードする。ぶるぶる、ぶるぶる、と振動が伝わって、俺の体をも振動させる。


「この子毎日こうしてるんですわよ? ゴミ捨て場なんかに座って、汚らしい。そうやって誰かに優しくしてもらえるのを待っているんですわ。校内にお友達がいらっしゃらないからって、乞食のように外で優しさを求めてるんですわ。さ、行きますわよあなたたち」


 腰巾着を引き連れて、金髪くるくるヘアは立ち去った。


 せっかくのお弁当は、地面に投げ出された。柔らかそうな黄色い玉子焼きが、黒々とつやめきだったからすに、ついばまれている。


「百合香ちゃん大丈夫か?」


 見れば、首が真っ赤に腫れ上がっている。


「大丈夫です。鞭は初めてだったけど」

「鞭は初めてって、どういう意味だ」


 百合香ちゃんはキッ、と強い目つきで俺を見る。コバルトブルーの瞳が異様に輝いているのは、涙が溜まっているから。頬がリンゴのように赤く染まっているのは、泣いているから。



「お兄さんには関係ありません!」



 バッと立ち上がって、校舎に走る。スカートがなびく。セミロングの髪の毛が尾を引くように空中に流れる。

 追いかけようと足を出した時、流れる髪の毛は校舎内へと消えた。

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