第15話 ネックレスを買いに

 仙怠せんたい駅の西口から東口へ通ずる自由通路は、でかい。そこに、とあるサイエンス雑貨屋が入っているテナントビルがある。


「百合香ちゃん、俺恥ずかしいんだけど」


 25歳男が、エスカレーターで美少女JKをおんぶしている。


「お兄さん……はぁ……お兄さんいい匂い……」


 甘ったるい声で、背中に顔を押し当てている。ぐいぐいと押すもんだから、俺の頭が前後にうごめく。


「嫌ぁね、何かしらあの子たち」「うっわ、オッサンがJKおんぶ。引くわー」「あのJK、マジかわ」「リア充爆発しろ」「死ね」「ゴミムシ」


 いろんな罵詈雑言が心を刺す。例外もあったが、ほぼ全て悪口だ。


「なあ、百合香ちゃん下りないか?」


「いやぁ、ですぅ。……すんすん」


 俺の背中の匂いを嗅いでいる。呑気な子だなぁ……。


 美少女JKの黒ニーソ美脚を俺の腕が支えているわけだが、なんと温かいことだろう。この、ほんわりとしたぬくぬく感。


 エスカレーターを上り終えて、サイエンス雑貨のあるフロアに到着した。


「百合香ちゃん下りて。もう十分だろ?」


 頭を横方向にぐりぐりと背中に押し付けたのは、いやいや、まだまだ、という無言の意思表示だろう。甘えん坊にも限度がある。


「君はJKなんだから、もう少し大人に」


 …………なんて。俺だって25のくせに、全然大人になりきれてないんだ。俺が言う資格なんか微塵もない。


「はぁ、お兄さんの匂い安心しますぅ……すんすんすん」


「そんなこと言ったってだな……あ、着いたぞ?」


 サイエンス雑貨屋「scza」。適当な名前ながら、品揃えは豊富。ここで宝石ネックレスを買おうとやって来たのだ。宝石と言っても、小さくて値段の控えめなのしか買ってあげられないけど。


「あ、ぐるぐる!」

「子供か」


 二つのリングが複雑に回転する内部に、銀色の球体。その名もモビールコスモス。リングの回転を見つめ続けていると、ふと自分が瞬きしていないことに気づいた。


「お兄さん、これもすごいです! サンドピクチャーっていうらしいです!」

「確かに。これはすごい」


 色とりどりの微細な砂がガラス板の間に挟まれ、一緒に気泡も挟まれている。気泡と気泡の隙間から砂がせらせら流れ落ち、山の形となって、一つの絵画となっている。


「お兄さん、あっちにも何かありますよ!」


 おんぶしたままだから、まるで騎手に操られている馬みたいな感覚だ。でも百合香ちゃんだからいいか。


「じゃあ、行ってみるか」


 歩み始めた、そのとき。


「お客さん、店内の商品が破損するかもしんないから、おんぶは遠慮してくれるか?」


 ヒゲが長く、目がコワいおっさんに注意された。


「わかり、ました。ほら百合香ちゃん下りて」

「ええー。しょうがないですねぇ」


 下りたと思ったら、すかさず腕に絡みついてきた。やわらかみが俺の腕を襲う。

 やっぱり、異常になついている。年上好きなんだろう。


 

 百合香ちゃんはなかなか宝石エリアに来ようとしないので、無視して俺だけ向かうことにした。どうせ後からついてくるだろう。


「ほう、黒曜石」


 真黒くて光をキラキラ反射する、平べったい綺麗な石。淡緑色のクモの巣状の模様が入っている。

【ケイ酸に富んだ溶岩が固まった物で、ガラスに似た性質を持つ。含有する磁鉄鉱

の影響で黒くなる】らしい。


「ほう、黄緑の宝石」


 ペリドット 0.24カラット

 直径2mmほどの小ささでありながら、光を巧みに反射している。脱脂綿が入った専用の箱に、同じものが3つ、正三角形に配置されている。

 

 カラットという単位を見るだけで、高値なんだろうなと思える。箱の裏側に何か書いてあるだろうか。

『¥2100+税』


「……やっす」


 気を取り直して、ネックレスのコーナーに目を移す。


「こっちは、辰砂か。赤黒いな」「これは、カルサイト? 綺麗な緑」「パイライト、カルコパイライト。いろいろあるんだなぁ」


 ただ、どれも安い。最低でも一万円はしてほしいものだ。安物を百合香ちゃんに身に着けさせるのは忍びない。


「お兄さん見て? チンパンジーのミニチュアですよ!」

「おう、チンパンジーだな。それより百合香ちゃん、ネックレスはどうする? 高いのは買えないけど、似合うのを買ってあげるよ」


 ぱっと目を見開いた百合香ちゃんは、


「そんな高いもの買わなくても大丈夫です、無理しないでください」


 遠慮がちに両手をぱたぱたさせる。そこで遠慮するなら、おんぶやすり付きも遠慮するものだと思うが……


「五万円くらいのやつで十分です。それ以上高いのはお兄さんに悪いです」


 全然遠慮してなかった。遠慮していないことすら自覚してなかった。


「…………あ、このオレンジのネックレスどうかな。宝石界の帝王、インペリアルトパーズだって。百合香ちゃんの匂いはオレンジの匂いだから、ネックレスもオレンジにしたら?」


 ぽっ、と頬を桃色に染めると、


「私、ちゃんといい匂いしてますか?」


 コバルトブルーの瞳がキラッと向けられる。宝石かと思うほどの光沢。小さなくちびるさえ輝きを呈して、ピンクの宝石と見間違える。


「百合香ちゃんは、すごくいい匂いだよ。自信持っていいと思う」


「きゃ〰ッ」


 目をぎゅっとつぶって、胸に手を当てて、両手でグーを握っている。


「私、お兄さんにすごく好かれてますぅ〰ッ」


「そうだな。百合香ちゃんは俺に好かれてるぞ。可愛いからな」


 そう言って、誤魔化す。絶対に五万円のネックレスなんか買えない。一か月の家賃に相当する値段なんて、さすがに貧乏人には払えない。


「お兄さんに可愛いって言ってもらえるなんて〰っ。もう何もいらないです〰ッ」

「ネックレス買うんじゃなかったのかよ。ほら、このインペリアルなトパーズでいいか?」

「もうなんでもいいです、五万円くらいなら何でもいいです〰ッ」


 興奮しているうちに、さっさとインペリアルトパーズ(オレンジ色)の購入を済ませてこよう。


「すいません、これを」


 ヒゲのおっさんが、会計をする。


「えーと、一万五千円ね」

「カードで」

「あいよ」


 可愛い子には、無駄に高いものを付けさせてはならない。純粋な可愛さをキープするために。


「百合香ちゃん、帰ろう」

「またおんぶしてくれるなら帰りますっ」

「分かったよ、帰らないのは困るし」

「やった! またお兄さんの背中の匂い嗅げるぅ!」


 ネックレスに見向きもしないで、俺の背中に飛び乗った百合香ちゃん。


「おいこら、店内でおんぶなんかするな、バカども」


 店員のおっさんが低い声で怒る。ヒゲがもさもさ動いている。


「すみませんでしたー」

「お兄さん、あんなおっさん気にしなくていいよ。くさそうだし」


 うっわ、大きな声でなんてことを。しかもすぐそこにいるってのに。


「おら小娘、ちょっとこっち来いや」


 バッファローのような巨体が、こちらに向かってくる。


「す、すみませんでした! ごめんなさい!」


 百合香ちゃんをおんぶしたまま、走って逃げる。


「二度と来るんじゃねえぞ、バカップルが!」


 安全は何よりも優先される。おっさんの捨て台詞に猛抗議したいところだが、俺と百合香ちゃんの身を守る行動をするのが最も重要だ。


 俺たちはひたすら走って逃げ、衆目に晒されながら、ひと時の戯れを楽しむ。

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