第13話 美少女に翻弄される

 バス停にて。

 普段は街中に、古びた自転車でケレケレ向かう。だが、今日は百合香ちゃんと一緒にお出かけ。たとえ目的が卑猥なものを売り払うことであり、目的地が同人誌の中古ショップだとしても、お出かけには相違ない。


「お兄さんと一緒にお出かけするのが嬉しくて、私の体がお兄さんの体とくっついて離れません。お兄さん助けて?」


 腕にすりすりと顔やら体を擦りつけ、きゅうっと目を閉じている百合香ちゃん。


「俺はかなり恥ずかしいんだが……」

「私はすごく嬉しいです。お兄さん大好きっ」


 俺の匂いを嗅いでいるのか、しがみつかれた腕からすんすんと可愛い音が聞こえる。上がる一方の恥ずかしさゲージ。


 通りかかった自転車のおっさんが、ゴミを見るような目でこっちを見た。

 通りかかったおばちゃんが、臭いものを見たかのように鼻を曲げた。

 通りかかった大学生っぽいのが、こっちを睨んで舌打ちをした。


 それでも離れぬ、美少女JK。甘えモードの猫よりも甘えている。


「あの、百合香ちゃん? お願いだからバスの中では離れてくれよな」

「嫌です。お兄さんと離れたら、お兄さんの体温が感じられないですもん」

「バスの中は暖房がきいてる。今は外にいるから、くっつくと暖かいかもしれない。でもバスの中だと確実に暑くなる。な? バスの中では離れるんだぞ?」


 ぎゅうっと腕を締め付けて、暑い吐息を一つ、腕に当てる。


「お兄さんの首筋から流れる汗を舐めとって、お兄さんの愛を体の中から感じ取りたいです」

「だめだ。そんな不健全なこと」

「ええぇ……なら今」

「だめだ。もっと不健全だ」


 今も十分に不健全だ。でもなかなか離れないし、無理に引き剝がしたら余計に目立つ。


―――――――――――


 バスの中、最も後方の座席にて。

 俺の膝を枕にして眠る美少女がいる。眠っているのにぎゅっと膝を捕まえて、「お兄さん……」などと寝言を言っている。

 車内はやはり暖房がきいていて、暑い。汗ばむほどではないものの、膝は少ししびれている。


「ちょ、起きなさい」


 小声で言うしかできない。俺は臆病者で、公共の場で大きな声を出すことが苦手だ。狭いバス内の空間で自分の声が響くのなんて最悪。まして、美少女を起こすための呼び声が乗客全員に聞かれるなんて、死ねる。

 だから、絶対目を覚さないであろう小声しか出すことができない。


「……」


 結局、声をかけるのを諦めた。百合香ちゃんは安心しきっているのか、よだれを流している。よだれの跡なんて、どこの馬の骨とも知らぬ連中に晒すわけにはいかない。もしかしたら変質者が、百合香ちゃんのよだれの跡を写真に撮ってオカズにするとも限らない。


(ハンカチ持ってねえ…………)


 仕方なく、俺は自らの手で拭った。というのも、百合香ちゃんの両手は俺の膝をがっちりつかんで離さないためだ。


 ぷにぷにっとした唇をそっと拭う。細い糸をひく、粘りのある液体。


「……」


 この液体を舐めるなんて悪事、絶対に働けぬ。寝てるからバレないとか、寝てなくてバレたとしても(照れながら)喜びそうだとか、無関係だ。

 俺はズボンのポケットに手を突っ込み、ポケットティッシュを出す。


(当然ティッシュで拭くさ)


 左手でティッシュを持ち、濡れた右手を軽く拭く。


「お兄さん、暑い…………ふにゅぅ……」


 完全に夢の中だ。いったいどんな夢を見ているのだろう。

 それが関係しているのか、またよだれが流れている。延々と拭き続けたら傷になってしまうから、ティッシュを口に当てておこう。


(これでよだれの問題は解決されたな)


 手を口にそっと持っていき、ティッシュを置……


「いだっ」


「お兄はんこのほーへーひおいぃ…………」


 嚙まれた。しかも寝言まで言うもんだから、かみかみ、と何度も噛まれた。


(いって…………)


 手を引いて指を見てみると、ちょっと血が。「美味しい」という寝言は、実際に味わった感想だったのかもしれない。


 消毒液を持っていないからといって、指を舐めるわけにもいかない。ティッシュで拭いて、くるんでおけばいい。


(…………え)


 ティッシュがなくなってしまっていた。まさかこのタイミングでなくなるとは。


(ま、二つ目がカバンに入れてあるし)


 ゴソゴソとカバンをあさる。すると


「このシュウマイおいひい…………」


 美少女がティッシュの玉をはむはむしているではないか。


「だめだって、まったく世話の焼ける……」


 そうしてティッシュを口から取り除こうとして、また噛まれた。


 痛かったのは指だけではなく、周囲の視線も激痛だった。


―――――――――――


 中古ショップにて。店内の品物を眺めて歩いている。


「わぁ、いろいろある!」


 興味関心を惹かれている百合香ちゃん。その横で、俺は指の痛みと戦っている。


「いろいろ、あるんだよ。今日は何も買わないけど。……うっ」


「分かってます、全部売り払うんですよね。まだ家に同人誌がありましたから、これから何往復もしないとですね」


「俺一人で往復してもいいかな……その、いろいろとヘビーで」


「いろいろと?」


「バス代とか。貧乏だからね俺は」


「それなら仕方ないです。でも、全部売り払ったら一緒にネックレス買いに行きましょうね?」


「……おう」


 なおも腕にしがみついている百合香ちゃん。店の中で恥ずかしいというのもある。が、それ以上に、しがみつかれた腕の先でひりひり痛む傷に気づかれることの懸念のほうがはるかに大きい。バレたらきっと百合香ちゃんは悲しみ、傷を癒すべく俺の指を舐めるだろう。これは極めて不健全であり、避けなければならない事態だ。


「お兄さん、顔色悪いですよ?」


 心配そうに見つめられる。


「す、少し腕がしびれた。いたたー」


「ごめんなさいっ。つい、嬉しくて……」


 ようやく解放された腕。拘束時間が長すぎた。どんなに美少女にしがみつかれようと、血液の循環を妨害しているのは変わらない。そして解放された腕は、悲鳴を上げたのである。


「き、……気にしなくてもいい。百合香ちゃんは……何も気にしなくても」


 何が悪かったのか分からないけど、きっと俺が悪いんだ。百合香ちゃんは何も悪くない。可愛いから……決して何も悪くはない。


 大体、美少女JKとお出かけできる時点で最高なんだ。どうしてその美少女JKを悪に仕立て上げることができよう。できない。だから、次の往復は俺は一人でやりたい……。


「じゃあ、俺は売るから。百合香ちゃんは一般向けのエリアで待ってて」


「うんっ」


 百合香ちゃんは楽しそうにステップを踏み、スカートをひらひらさせ、女性向け同人誌コーナーに消えた。


「あの女の子カワイクね?」「拙者、同意」


 ガリとデブが会話している。反射的に湧く、殺意。


「あのすいません、ジャマなんでどいてください。買取受付するんで」


 そいつらに言う。


「あ? ああ、すいません(チッ)」「ラブコメ主人公的顔面」


 受付のお兄さんと買取品の確認をしている最中さなか、ムカつく声が聞こえる。


「おい、あっち行ってみるぞ。あの女の子見てみようぜ」「同伴」


 絶対殺す。もし、百合香ちゃんに指一本でも触れたら。


 

 受付を済ませて、野郎どもの行方を追った。すると、そこには百合香ちゃんではなく、小花柄のワンピを着た大学生ふうの女の人が立ち読みしていた。BLコーナーで、一冊の同人誌に頭を突っ込み、息を荒げている。その様子を野郎どもが凝視している。


「あのコ、かわええー」「接触希望、触手解放」


(よかった、百合香ちゃんじゃなくて。そうか、百合香ちゃんを一人にすると男にエロい目で見られる危険があるのか。俺がそいつらの視線をカットせねば)


 百合香ちゃんは未成年。親元を離れているわけだし、血縁関係じゃなくても保護する人間はいていいんじゃないだろうか。


「あ、お兄さん! こっち来てください」


「あ、ああ」


 百合香ちゃんが一冊の同人誌を持って、こっちをパタパタ仰いでいる。


「なんだ? 商品をそんなに扱っちゃいけない」


「これ、これです。ほら」


 見ると、一人のきれいな女の人が、複数の超絶イケメンにあんなことやこんなことをされている。全員細マッチョで、陰部の描写は皆無。


「この人たちの顔をお兄さんの顔に変換してました……はぁ、はぁ」


「……把握」


 俺は手を振り上げ、


「いたっ! 何するんですか!」

「実際にやりかねない、君は。これは有害だ」

「ひどいです! 色っぽいだけじゃないですか、これは芸術です!」

「でも俺の顔に変換してたんだろ? 実際にやられたい願望があって、何度も俺を誘惑しようって思ってるんだろ?」

「当たり前です! お兄さんはこんなことしないから、私は安心してお兄さんを誘惑できます。お兄さんを誘惑するっていう幸せに包まれながら、お兄さんの横で眠るんです。そして眠る私は優しく…………つつまれます」


 最終ページは、女の人が複数の超絶イケメン細マッチョに見守られたり、抱きしめたりされながら眠っている。百合香ちゃんはうっとりした目で、よだれをたらしている。

 そのよだれが運悪く、女の人を左側で抱きしめる紙面上の男に垂れた。


「あっ……」


 驚いた百合香ちゃん。あたふたして、俺を見たり同人誌を見たりしている。その焦燥の運動によってさらに目がうっとりし、一生懸命よだれを拭っている。何度も見比べることにより、、変換の質が向上したようだ。


「ごめんなさい、ごめんなさいお兄さん……はぁ、はぁ、はぁ」


 買わなきゃいけないのか………


「はぁ、まったく百合香ちゃんは」


 不本意ながら、俺は購入した。


「ありがとうございます。あと、ごめんなさい。私、下のアニメショップを見てきますね」


「あまり刺激的なものを見ちゃいけないぞ? 分かったね?」


 百合香ちゃんははっきりと返事をした。「嫌」と。にひ、といたずらっぽく笑った白い歯が可愛くて、俺は何も言えなかった。

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