第37話 論理的展開


「先輩! 今度は彼、とうとう従魔を獲得してしまいました! し、か、も、それは鳥型モンスターで彼に空路という選択肢が生まれてしまったのです!」


 彼女は凄いな、ほんとテンションが崩れない。どんな事件、出来事に対しても平等にリアクションをしてくれる。実はこれって結構難しいことではあるのだ。より上位のものを見聞きあるいは体験した後に、それより明らかに下位のものに触れると人間は明らかに目減りしたように感じるし、価値が下がってしまったかのように感じてしまうのだ。


 しかし、それは正しくはない。何故ならそのもの自身の価値は変わっていないからだ。それは詰まるところ、人間はとことん主観によって生きているということなのだ。お金持ちからしたら一貫五千円の寿司はとてもリーズナブルに感じるし、一般市民やそれ以下の人たちは回転寿司でも憧れの的であるのだ。


 人間は主観が全てだ。ソシャゲに人生かけている人もいれば、アイドルの握手会のためだけに大量のグッズを購入したりする。それは一部の人にしか理解されず、大衆には受け入れがたい。


 では大衆とは一体なんなのか。皆一人一人価値観は違うのに、主観で好き勝手行動しているのに、何故か集団化された時だけ一定の思想や考えを持つようになる。あるいは持つとされてしまう。これは一体どういうことなのか。誰かが世論を操作しているのか、と都市伝説じみたことを考える人がいるかもしれない。


 しかしその思考もあながち間違いではないのだ。私たちは常に誰かの思想に染まりながら生きている。親、教師、友達、タレント等例を挙げればキリがないが、私たちは誰も確固たる思想を確立していない。そりゃもちろん、中には確立している人もいるだろう。だがそういった人たちでさえ誰かからの影響を受けて育ってきているのだ。


 そこで私は考えた、人に一番影響を与えることができて思想を染められるものは何かと。このように大衆がまとまった時に生み出される共通概念とそれを生み出しているものは何かと。皆がある程度ある分野に関して同じ思想を共有しているとなればそれは同じものから影響を受けている可能性が高い。個人の思想に強く作用しなおかつ多くの人が共有しているのもなどあるのだろうか、私はそれをずっと考えていた。すると、私はある結論に至った。


 教育だ。教育がこの日本の根幹を成立させているのだ。つまりそれを何らかの形で打ち壊s


「はっ!」


 ん? 私は今何をしていた? え、私は今し方夢を見ていたのか? それにしても何を見ていたのか全く覚えていない。何か突拍子もない事が展開されていた気がするのだが全く思い出せない。なんだ、何を私は見ていたのだ?


「はっ……!?」


 そこで私は一つの驚愕な事実を思い出してしまった。



 そう、私の夢になんと後輩が出現していたのだ。



「先輩! せーんーぱーいー! 起きてますかー? ずっとお昼寝してましたよ? 何やら難しい顔で寝ていましたが変な夢でも見ていたんですか?」


 私はその聞き慣れたはずの私に対する呼びかけがどこか、遠くそして奇妙なもののように思えてしまった。


 それは夢のせいなのかそれとも私の日頃思っていることの現れなのか、私は知るよしも無かった。

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