[09-07] はぐれ狼の寄せ集め
それはラカ・ピエリスにとっても初めて目にする光景だった。
相棒ネネの手首に刻まれたタトゥーが瞬いたかと思った瞬間、彼女の体を中心に青白い光の魔法陣が展開されたのである。
光そのものはもはや見慣れた現象で、ネネが魔王ビュレイストの力を使うときに手首から迸るものだ。
だが、今回はいつもと違った。魔法陣の中のネネがぐにゃりと歪んでいるのだ。
仮想世界で起きうる視覚バグだろうか。
グラフィック的に処理しきれないほど重いオブジェクトを配置すると、空間が歪曲してしまうのである。
ラカの知る限りでは――
あるキャラクターに製作者が情熱を注ぎすぎた結果、その一挙一動で
今、サーバーでラグが発生している感覚はないが、それと似た現象が目の前で起きているのかもしれない。
引っ張り出さないと……!
幼馴染を救おうと反射的に手を伸ばす。が、ぎりぎりのところで自制する。
ネネは正座を崩した体勢のまま瞑想するように目を閉じていた。すでにレイヤーの深層へと転送され、契約クエストに挑んでいるに違いない。その邪魔をするかもしれなかった。
困惑しているのはラカだけではない。アマルガルム族の族長ル・ガルと巫女マナムも同じだ。マナムに至っては年頃の少女らしい表情であたふたしている。
「こんなの初めてだ! お爺様、今すぐ取り止めさせるべきでは……!」
ラカは今のひと言でマナムがル・ガルの孫娘だと知った。なるほど道理でいつも一緒にいるワケだ。なんて、にやにやできる場面ではないが。
ル・ガルがマナムの肩をがっしりと掴み、「下がれ」と自分の背に隠す。
「御使いよ。どうなのだ」
この中で一番落ち着いているアルナイルは、ずっとネネの様子を観察していた。
「ビュレイストの力が働いています。が、その向きは『外』ではなく『内』。ネネの霊体に作用している……のかもしれません」
彼女もわかっていないのである。
ラカはそんなアルナイルに自分の疑問を投げかける。
「弾丸にかけるようなスピンを霊体にかけたら、どうなるの?」
「さあ……霊界に向かって発射されるとか?」
黙り込むラカとアルナイル。多分、ふたりともネネが悲鳴を上げながら弾丸のように飛んでいく姿を想像していた。
アルナイルがこほんと咳払いをする。
「とかく、下手に刺激を与えないほうがよいでしょう。待つしかありません。ネネが試練を終えるか……」
「何よ」
「ネネの肉体、あるいは霊体のどちらかが力に耐えられなくなるまで」
おやおや。御使いアルナイルはネネの安否を案じているのか。
「アルナイル。あたしらはイモータルよ」
「……ですよね」
先にも言ったように、これはVRMMOゲームで、自分たちはプレイヤーだ。
仮にネネが『どっかん! ぐっちゃり!』となっても、遠く離れた町でリスポーンするだけである。またいつかチャレンジすればいい話だ。
この世界の住民たちが『契約の儀式』を大層に語っているが、つまるところはスキルを獲得するための通過儀礼なのである。
ラカが契約したイオシュネの場合は狩人の精霊という
そもそも儀式を行える場所がダンジョンの最奥で、銃もただ撃つのではなく下位精霊を駆使しなければならないという、かなり面倒なテストだった。
霊獣アマルガルムの試練はというと――ネネには伝えていない。何もかも教えるのは楽しみを奪う行為だとラカは考えている――『幻影に打ち勝つこと』とウィキペディアに書いてあった。
具体的には、一定時間、アマルガルムの猛攻を耐えるという内容だとか。
そんなの、これまで初心者ながらいくつもの死線を潜り抜けてきたネネなら、
「大丈夫。クリアできるに決まってるじゃない」
それはアルナイルに言っているように見えて、無意識下では自分に言い聞かせている言葉だった。でなければ、いつまでもここで相棒の帰還を待ってしまっていたかもしれない。
「あたしはあたしの仕事をしてくるわ」
だが、ここで思わぬ反応が返ってくる。
「ですね」
アルナイルも平然と立ち上がったのだ。
それを見て、ラカは「いやいやいや」と慌てる。
「あんたはここにいてよ。これは死んで上等、イモータル同士のケンカなんだからさ」
しかし、アルナイルは『ではお言葉に甘えて』と座ったりなんかしない。
「別にあなたの力を疑っているワケではありませんが、仮にあなたが敗れたら、その残りを私が追い払うことになるのでしょう?」
「まあ……そうかもね?」
「でしたら、初めからふたりでかかったほうが楽というものですよ。どうせ私もあなたたちの同行者として数えられているでしょうし、今さらです」
それでもラカは不安だった。〈武以貴人会〉はコミュニティで募集をかけてでも自分たちを討伐するつもりらしい。そうやって過熱化した烏合の衆は、何をしでかすかわからない。
「……危ないと思ったら自己判断で逃げてよ。取り押さえられてからじゃ遅いんだから」
「承知しました。ほら、行きますよ、ラカ。こんなところで言い合っていたら、敵に迫られてしまいます。ネネのことはル・ガルに任せましょう」
堂々とした歩みでテントから出ていくアルナイルを、ラカは慌てて追いかけた。
集落では獣油を染み込ませた皮で作った松明を燃やし、辺りを明るく照らし出している。朝方にサンドイーターを追い回していた狩人たちは、今は村を守る戦士となっていた。ム・アガが指揮を執っている。
当然、ラカとアルナイルには非難の目が集まる。
「わかってるって。極力、あんたたちの出番がないように暴れてくるからさ」
ラカは愛馬スモーキーの鞍に備えつけられたホルスターから、〈ディアネッド〉を引き抜いて肩に担ぐ。
そして、狼のそりを用意していたひとりを捕まえ、
「あたしの馬を食べさせないでよ。したら、アルナイルの約定もほっぽり出して、外の連中をおびき寄せるからね」
そり役が犬歯を露わに威嚇してきたので、ラカも「いーっ」と対抗する。それでなぜか、相手は「ふん」と受け入れたようだった。
そんなことをしていると、ラカたちの元にム・アガが歩み寄ってきた。
「どうするつもりだ。数がかなり多いという知らせを受けたぞ」
「のらりくらりと耐えるわ。ネネが戻ったらすぐにおさらばするつもり。したら、外の連中もあんたらに危害を加えないでしょうから。それでもバカをするようなヤツがいたら、そこは煮るなり焼くなりお任せね」
「火は油の無駄だ。生きたまま捌き、吊るす」
「……あ、そう。なんでもいいけど」
普通、セリアノの一部族を敵に回そうなんて愚か者はいない。なぜなら、当然、彼ら全員が霊獣の加護を受けているからだ。
ゆえに、ヒュマニスの開拓者たちに恐れられ尊重されている、という背景もある。
集落から出たところで、いきなりアルナイルが「ふふっ」と笑った。
「……何?」
「いやはや。ネネから離れるのがとてもイヤそうだったものですから」
「そりゃあ、愛弟子がよくわかんない現象に巻き込まれたら心配にもなるってもんでしょ」
「違います」
きっぱりと言い放つアルナイルを、ラカは横目で窺う。何を言いたいのだろうか。
「私も初めはあなたとネネが相棒でありながら師弟関係のようなものかと思っていたのですが、最近になってわかってきたことがあります」
「へえ?」
「いつもネネを
ラカは顔がかあっと熱くなるのを感じた。
今になって気づかされた、とかではない。その自覚はとっくに持っていたし、だからこそネネはラカにとって特別な存在なのだ。
でも、その感情を他人に見透かされるのは不愉快だ。
軽く睨むラカにも、アルナイルは涼しい顔だ。
「あるいは、私も、かもしれませんけどね」
「……じゃ、あたしらははぐれ狼の
「ちょうど今夜は月が綺麗ですよ。うってつけです」
アルナイルの言うとおり、満月が赤い光を放っている。
雲はなく、風に吹かれた砂煙の動きもはっきりとわかった。その中で蠢く無数の人影も。
やがて風が止み、煙幕が晴れていくにつれ、先頭に立つ者の姿がはっきりと目に見えた。
ラカと同じ年頃の和装金髪少女――
《ハルナ・ジュフイン》
《PC:セリアノ/ダキナ族》
《レベル:48》
《所属:武以貴人会》
〈
彼女いわくラカは『ライバル』らしいのだが――まあ、こんなところまで追いかけてくるのなら認めてやらなくもない。なんて心が広いのだろう、自分は。
「今度もきっちりわからせてやるわ」
ラカは肩に担いでいた〈ディアネッド〉を両手で構える。
アルナイルも腰に手を回し、大剣を固定するベルトを外す。その自重で大地に突き刺さった神剣〈セレスヴァティン〉の柄を、対して力も入れずに掴み上げた。
ラカはにぃと笑ってみせる。
「アルナイル、用意はいい?」
「ええ、参りましょう、ラカ・ピエリス」
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